朝起きて、限界だ。と言う。え?何が?自分でも分からない。果たして限界はどこでやってくるのだろうか。答えは簡単だ。そう…そうなのだ。


3月6日、朝起きて会社に向かう途中、捨て猫に気づいた。段ボールに入っている子猫だ。車で家の近くの公園にゴミを出しに行ったら、「にゃあにゃあ」と鳴き声がしたのであたりを見回すと子猫がいるではないか。


ふむぅ。けしからんな、と思い子猫を抱き上げて車に乗せた。恐らくけしからんのは自分かもしれない。飼えない子猫を抱き上げて車に乗せるのだから。それにしても可愛い。コイツと今日は過ごそう、そう決めた。
「あ、おはよう。今日、道の途中で子猫を拾ったので休みます」そう専務取締役に伝えると、「え?ああ、了解。……ってならないよね??」と返事が返ってきた。「はあ…」と返事ともいえない冷めた口調で返すと「あのな…とりあえず出社してくれ」と専務取締役がいう。「分かったよ、子猫を連れて出社するな」と返事した。「どうでもいいから早く来い!」と怒号とも呼べる勢いで専務取締役が言うと、「ツー…ツー」と鳴る音がした。切ったのか、まあいい、と思って会社に向かうことにした。



拾った猫に名前をつけようと悩んでいた。にゃあにゃあ鳴くから「にゃあ」でいいではないか。しかし、頭の中で鋭い目をした狐のような顔の女が言う。
「そんなんで名前つけられたらたまったもんじゃない、アンタの名前がホギャアってなるのと一緒よ、いいの?」と。
しかし、とぼけた髭のおっさんが女に言い返す。
「猫に感情なんてないし、当の本人は名前の意味を知ることすら知らん。それに猫に名前をつけるのだって人間のエゴなのだから、なんだっていいじゃないか。どうなんだ。」今度はおっさんが私に問いかける。
正直どうでもよかった。「にゃあ」という響きも言いやすさも妥当だと思っている。女の言うこともおっさんの言うことも分かるから少し悩んだ。
「ホギャア」でいこう。私は呟き、隣でにゃあにゃあ鳴いている猫に「おい、ホギャア会社着いたぞ」と言った。


子猫を抱いて会社の通用口に向かう。飯田が「おは…」って言いかけた。最後まで言え、米みたいな名前しやがって、そう思いながら「おはよう」と飯田に返した。
「それはマズくないですか?」と言ってきた。
飯田は会社に猫を抱えて出社するのは、専務取締役から怒られるのではないか、と心配なわけだ。そうだな飯田、お前はそう思うだろう。私もそう思う。
「猫を抱いて会社に入るのと、君が鞄を持っているのとどう違うのか説明してくれないか」と言うことにした。
飯田は呆れた顔をしながら緊張感が伝わる表情をしていたが、きちんと説明してきた。
「僕の鞄には会社に必要な書類、手帳、筆記用具ならびに充電器や小腹が空いたら食べるチョコ、小瓶に入った亀、亀のエサ、ポケットティッシュ、タブレットが入っています。つまり、会社に必要とされる物だし、世間一般的に言って鞄を持っている方の割合が多いのです。普通といえば通じますか。それに比べて猫は…動物…あ、いや…猫を会社に連れて行くなんて見たことも聞いたこともないです。つまり、僕の鞄は日常アイテム、猫は非日常アイテムなんです」
悪くない。8点の解答としておこう。満点が何点かはさておき、飯田の言うことも理解した。要するに隠せと、生き物は日常アイテムに隠すべき、それが社会人のエチケット、マナーなんだと。
「確かにな、ありがとう飯田。ちょっと車に戻るよ」と言うと、飯田は満足したような、ホッとしたような顔をしていた。


車に戻り後部座席にある鞄を手に取り、鞄の荷物を取り出した。Yシャツ、Tシャツ、トランクス、靴下のセットが2組。ノートパソコンと書類、筆記用具、ウェットティッシュ、充電器。空になったところで猫を鞄に入れてみる。にゃあにゃあ鳴くので鞄にお菓子を放り込み、お菓子に夢中になっている間にジッパーを閉じた。


抱くのと違い、手に持つとなかなかの重量だ。しかし、いつでも旅行や出張に行く準備をしている私にとってはいつもの重さと変わらない。にゃぁにゃぁと微かな鳴き声がする。ほどなくして通用口に着いた。


「おはようございます」宮澤君が挨拶をしてきた。
「にゃあ~」私の変わりに猫が挨拶をする。おい、今鳴くな。
「え?今、にゃ…」宮澤君が言ったので、かぶせて「おはようニャン」と言った。
「は?え?ハハハ、何ですかそれ?」と宮澤君が言う。白けた顔をして前を歩いていく。大丈夫、私は社内で変り者で通っている。後で笑い話しにされて終わることだろう。
「マイブーム」と私は回答した。


席に向かいながら挨拶をしようとすると、「おはようござい」「にゃ~」と猫とのコラボ挨拶になった。
周りがざわつく。ヒソヒソ声が聞こえてくる。どうだ、私の猫真似は上手だろうと返す準備をする。
「おい、朝の電話、迷惑だからやめてくれ」と専務取締役が言ってくる。半分ニヤけてたので、そんな怒ってないと分かった。
「ああ、すまん」と返答すると「んで、猫はどうしたんだ?」と聞いてきたので鞄の中、というわけにもいかんなと思い「私は今日から猫田です」と返した。専務取締役が呆れた顔で、あっそう、と言葉で言うこともなくパソコンに体を戻した。


「にゃあ~、にゃあ~」とホギャアが鳴くので合わせて「にゃあ~」と言う。専務取締役が頭を抱えて「分かった分かった、やめてくれ、無駄にクオリティ高いのとか勘弁してくれよ」と言う。「ちょっとトイレに行ってくるな」と私はパソコンに電源を入れて席を離れた。さすがにもうバレるだろうと思い、トイレに行って鞄から猫を出す。


「お前、どうして捨てられたんだ。お前、やっぱり寂しいか、悲しいか」私は猫に小さな声で話しかけた。すり寄る猫に頭を撫でて、猫に発した言葉が自分に言ってる事だと気づく。


米田 冠。43歳。私の名前は冠と書いて「カムリ」と名付けられた。親が頭に被る冠を見立てて人の上に立つようにと名付けたのだ。しかし、6才の時、親の家計に私を食わせていけるくらいの余裕はなかった。大人になって知ったが、借金を数千万を抱えていたのだとか。私は施設に入ることになった。親の涙と最後まで手を離さなかった時の親の顔のことを今でも忘れない。泣きながら嫌だと叫んだのも鮮明に記憶している。捨てられた、子供ながらに思っていたのかも知れない。その感情はハッキリと思い返すことができない。ただ、ひとつ今でも言えることは「ありがとう」だ。
成人になって社会に出るまで親を探そうと思わなかった。悲しいことに人は慣れてしまうのだ。環境の変化に次第に慣れていく。施設の子達も同じ境遇だから息が合う。「結局さ、僕たちは捨てられたのかな…救われたのかな」同じ施設の卓也が言っていたのを思い出す。私はその時卓也に返した言葉が今でも変わらない感情だということを改めて認識する。
「人はさ、どんなに違う人生を歩んでも同じなんじゃないかな。金持ちと貧乏とかさ、どっちが幸せかという議論になったときにさ、金持ちは退屈を持ち合わせて、貧乏は苦労という糧を身に付ける。それって個人個人によって差が出るんだけど、大変だ、悲しい、自分かわいそうとか思うより、この辛い悲しいが糧となって自分の未来に大きくプラスになるのなら、それって凄く幸せなことだよね。そういう意味で卓也の言った、捨てられたのか、救われたのかって、俺達の今感じてる感情ひとつだよ。だから、私は感謝してる。ただ生まれてきて、この人生に生きていることに。救われたんだよ卓也。どんな人だって自分の子は潜在的に愛していて本能が子供を救わなきゃって自分のことよりも先に考えるんだよ」
私は卓也にそう伝えたのだ。ハッキリ言うと半分嘘だった。私は人を信用していないし、本当に自分の子供を虫けらのように扱う人だっていると思っている。ただ、私は親が私を愛しているとハッキリと感じることができたから、ここにいることができているのだ。連れていってくれても良かったのに…。時々思い返すと涙が出てくることがある。
22歳になって、親の消息を知ることができた。結論は13年前に両親は無理心中していた。雨が降ると雨漏りがするくらいのボロ屋で抱き合いながら亡くなっていたらしい。施設の人から受け取った両親の手紙があった。それは抱き合って二人の間にあった私の写真の裏を使った手紙だった。
「冠、父さんと母さんはお前がいなくなってとても幸せに暮らしている。寂しいとか、私たちも冠に会いたいと思っているなら勘違いだ。お前を捨てる形で自分達の幸せを選んだんだよ。だから、お前はお前の道を迷わず」ここで手紙の文章は滲んだインクで字にすらなっていないミミズのような線で途切れていた。
分かりやすい嘘を書くなよな、独り言を言って涙が止まらなかった。手紙の滲みがひとつ、ふたつ、先にある楕円上の黄ばんだ滲みの上に重なっていく。そうだよな、きっと限界だって思ってたんだよな、父さん、母さん。ごめん、ありがとう。


「にゃあ~」猫が鳴く。心配そうな顔して私の足にすり寄る。
「ありがとう」小さく子猫に声をかけた。


「おい、飯田。米田社長は戻らないか、大事な案件があって相談したいんだ。呼んで来てくれないか」
そう言った専務取締役の後ろから声をかけた。
「何だよ卓也。飯田に行かせず自分できたらいいじゃんか」
呆れた顔で専務取締役が振り向く。涙の跡に気づいたのか、一瞬顔が曇った。
「ああ、そうだな。実はな…」卓也は難しい顔して案件の説明をする。正直、無理難題を先方に突きつけられている内容で、話しは絶望的だ。
「そうか、まあやるしかないな。ちょうど暇だったし。私がいれば何でも無限大に成長するのだ。断るなんて考えるなよ」
「変わらないな。お前の前向きは。本当にホッとするよ。だからさ、頼れよもっと俺を」涙を察した卓也の一言は私の胸に突き刺さる。やめろ、泣いたばかりだ。


「にゃあ~」猫が私の胸から顔を出した。一瞬社内の時が止まる。間もなくワッと笑いが起きた。唯一専務取締役だけが手で顔を覆ってうなだれていた。


そう…そうなのだ。何ごとも自分の気持ちひとつだ。限界を作ったらそこで人の限界が訪れる。ないんだよ、人に限界なんて。そう潜在的に思えるかで人は成長していく。限界だ。そう思った時が限界なのだ。だから、限界なんてない、そう思えば人は無限大なのだ。そう思えば今も父さんと母さんは生きているのだ。
7年か…久しぶりにきてみれば、小説書かないと!だよな。ずっと考えてたよ。忘れたことなんて一度もない、だから戻ってきたんだ。俺、書きます
今日は不思議な感覚になったので長々と書くことにします。



私には兄弟がいます。最近、一つ上の兄がブログを始め、やがて二つ上の兄がブログにハマり、最後に一番上の姉がアメブロでブログを始めました。


兄弟には私のブログを明かすことなく、ひそひそとブログをしていたのですが、突然、兄弟のブログにコメントをしたくなり、今さっき全員に少しふざけたコメントをしてきました。ってことで、兄弟がこのブログを見に来ます。これは我が兄弟に送る私からの手紙です。


ラオウよ、天にかえる時がきたのだ……。




二十七年間、私を支えてくれた事、感謝しています。犬が一匹、二匹と増え、その子供が産まれ、その犬も亡くなり、私以外は家族を築き上げ、家を離れていきました。長いようで短い月日は私をここまで運んでくれました。
いつも家族に囲まれて育った私はいつの間にか寂しがり屋に成長していたようです。寂しがり屋といっても寂しさを売っているわけではありません。
父と母の仲がうまくいかなくなり、家庭は少しずつ崩れていく事がしばしばあり、それでも、決して崩れる事なく私達は家族でいれています。絆、カッコいい響きを使うなら絆ですね。
勿論、父と母がいての私達ですが、父と母の縁が今にも切れそうで切れない何かで結びついているのは、私達がいるからだと感じています。私達は父と母を繋ぐ絆でもあるようです。たまに面倒だと感じますけど。
先日、ある老夫婦に会いました。二人は寄り添いながら、目の前で息絶えました。これは嘘です。 つい、こういう事をやってしまいたくなるのです。

携帯だとあんまし、記事の字数がかけないので、短くなるけど、この機会に伝えたいので伝えます。伝えたい事があるんだ音符小田和正です。


姉貴、兄貴、私達はずっと兄弟です。きっと犯罪を犯しても兄弟です。人を殺しても兄弟です。人を殺してはダメです。人を殺したら犯罪者です。犯罪者は罪を問われます。それは自分ばかりか、兄弟にも問われます。関係がなくてもです。話がそれました。残りの字数が減ってきました。
私達は兄弟です。何が何でも兄弟です。だから精一杯生きてください。一生懸命生きてください。そして、これからも支えて下さい。私は末っ子だから最後に死ぬので、私より先に死んで下さい。父と母よりは先に死なないで下さい。


最後に、ありがとう。


弟より