母が亡くなって、妹も含む親族と縁を切りました。
どうしても許せない人がいたから。
今朝、夢で痛い痛いと叫んで起きました。起きて、布団の中で一人泣きました。
私は親が離婚し、10歳の時に、母の実家がある大阪に引っ越しました。母は7人兄弟の2番目。一番下の叔父は私より4つ上の中学生。大家族の一番下だった彼は、上からの圧力で鬱憤が貯まっていたのでしょう。私と妹はまさしく標的でした。まだ幼かった妹はある程度、彼のいじめからは逃れることができましたが。
暴力を振るわれ、小遣いは全て巻き上げられ、あることないことを家族に告げ口され、彼が就職して家を出て、やっと解放されるまでの日々は、本当に地獄でした。
小学生のとき、橋の上に立ち、川に飛び込もうか真剣に悩んだこともありました。追いかけられて、逃げるために、踏切の中へ飛び込んで、電車をギリギリよけたこともありました。自分では、逃げることしか考えず、ギリギリとか分からなかったのですが、後から大人にこっぴどく叱られたので、そうだったのでしょうか
50年たった今でも、あの時の悔しさ、悲しさは忘れられません。
夢の中に、その叔父がいました。がんで痛い私のお腹を、しつこく執拗に攻めてきました。やめろ、と命がけで抵抗しているところで目が覚めました。
夢だと分かっているのに、泣きました。
大人でも、性格が悪く、いじめをする人がいます。被害者の気持ちは、加害者には分からない。
相手に一生消えない傷を与えます。
叔父のおかげで、私もひねくれた性格になってしまいました。本当なら、もう少し良い人になれたと思います。
自分もこれまで、誰かを傷つけていなかったか心配です。
妹も、そのような環境の中、母は朝から夜遅くまで働いて、愛情を感じることがなかったのでしょう。ひねくれました。
母が亡くなるまで、一緒に暮らしてくれたので、何も文句は言いませんでしたが、ずっと母を泣かせていました。
おばあちゃんに電話しなさいと娘に、誕生日や母の日、敬老の日など、様々な記念日に電話させましたが、娘は嫌がる様子がありました。
ある日、理由が分かりました。
電話の向こうで、妹が母をいびるのが聞こえて、娘は、自分が電話するとおばあちゃんが悲しむ、と泣きました。
母の死後、手切れ金と言いませんでしたが、妹にお金を送り、それ以来、絶縁しました。
母は、私が日記に書いて、そのあと破いたページを鞄の中から見つけて、持っていました。母が持っているのに気づいて、取り返して捨てました。私には何も言いませんでしたが、母も辛かったでしょう。
この話は、今まで誰にも話したことがありません。今朝の夢がなければ、ずっと黙っていました。
今は幸せです。私を大切にしてくれるパートナーがいて、娘は結婚し、かわいい孫の写真を毎日送ってくれます。
彼女たちが幸せでいてくれれば、それだけを願います。
心の奥に眠っていたものを吐き出しました。これで楽になるはず。
ウクライナのことをいつも考えます。私などの小さな悩みより、もっともっと苦しい命がけの状況にいる人たち。
私にできることは募金と、SNSでNoWarと書くことだけ。
それしかできないことも辛い。