今はあまりつながりのない子たちを先に書いていきます。
ゆうちゃんは、漢字の読み方違い。
しかも、女の子なのに、名前から男の子とよく間違えられました。
親の仕事の都合で、中学時代をアメリカで過ごしましたが、南部の差別がひどい地域で、いろいろ嫌がらせをされました。それにも負けずに頑張り続け、最後には全員謝らせたそうです。
絶対に負けないという強い意志もあり、成績もネイティブを追い越して、トップを取ったそうです。
その彼女が、帰国して、私の勤務校に転入。
そして、アメリカの学校でもやっていました、そして、私の部活に入部。
あの優秀な子がアメリカでもやっていて、日本でも入る部活だから、まともな部活なんだ、と初めて私の部が校内に認められた瞬間です。
私の部は、国際協働学習を進めるNGOの活動で、様々なプロジェクトがあります。ゆうちゃんの、英文の紹介文をどんどん読み進めていって、周りに紹介してくれる姿は頼もしくも有り、私の英語力では追いつかず、任せっきりでもありました。
アフリカの難民キャンプの子どもたちと文通するというプロジェクトを見つけて、部員に紹介。
部員たちは軽い気持ちで、やろうやろうと始めましたが、
先方から送られてくる手紙は、ノートの切れ端とかに書かれており、内容は、父は殺された、村を追い出されて、このキャンプまで何日もかけて歩いてきた、という内容で、生徒たちはどう返事をしていいか分からない。
当時の私もどうしていいか分からないまま、自分で考えなさい、と言うことしか出来ませんでした。
淡路で、世界からNGOのメンバーが集まって世界大会を開きました。
私も何度かステージに上がり、またワークショップを持ちましたが、全て、彼女が通訳。
ワークショップの通訳をしている彼女を、アメリカ人があれは拷問だよ、と言ったそうですが、本人はいたって楽しんでいました。
世界大会の直後、今度は第1回、何名かで全国プレゼンテーションコンテストに参加し、そこでも優勝。
凄い才能を持っていました。
才能の高い生徒だからここに書いているわけではありません。
学校では、なぜか私を気に入ってくれて、休み時間のたびに私の職員室に。
怒られても、全然めげない第2の娘のような存在でした。
大学は、某国立大学の法学部から、別の大学の大学院へ。
おそらく、今は弁護士になっているでしょう。
連絡はすぐ取れるのに、なんだか意地になって、連絡していません。
一度だけ、夢に出て来たので、気になって、
元気か?と送ったら、
元気です、との返事。
じゃあ、いい
で、終わってしまいました。
幸せになってね。
きっと幸せだと思うけど。