沖縄にきて早15年。

強く思うことがあります。

 

それは、理解力の低さ。

 

Googleで『理解力』と検索をしてみた所このように出てきました。

 

理解力とは物事の仕組みや状況を適切に判断する能力のことを指します。 

「理解する」という能力は、それ自体が単体で成り立っているわけではなく、知識や学習などと深い関係があります。 

たとえばですが、ある文章を読み、その意味を理解するには、まず書かれている文字(漢字やひらがななど)を読む力が必要になってきます。

 

沖縄の友人、仕事で付き合う方、日常の買い物、食事先の従業員さん。

なんでもいいですが、すべからく物事を理解する能力、『理解力』が低い。

東京で過ごしている半分の間は会話が早かったり、話が簡単に通じます。

 

なぜか、沖縄ではそれが5倍ぐらい遅い。

2倍程度の差なら我慢できるのですが、これが届かない。

 

うちなー特有のゆるい考え方。

などといえばそれまでなのですが、これはあからさまに差がありすぎる。

観光で遊びに来ている位置ならば、「沖縄だよねー」と笑って許せることもなかなかどうして許せなくなる。

 

何が一番の問題かといえば、ソレを理解していないことである。
そして、理解できない故のトラブルであったり、クレームがなお悪い。
 

沖縄県は狭い島であり、知り合いの知り合いが親戚や親などの場合もある。

たまには、元彼女の知り合いが今の彼女であったり。

同級生の元彼女が今の奥さんなどといった、穴・・・などもザラである。

それゆえ、表立って言わない。

まぁ簡単に言えば『裏』でいったりする粘着気質な部分もある。

最近ではSNSが大活躍のようであるが、本土の人間からすれば、ゆるい感じで粘着気質が目に付く。

 

話を戻すが、これは競争がなく、理解できなくて『外』として放り出されない。

言い換えれば、沖縄県民の生きるすべかもしれない。

頭の回転が早ければ早いほど浮き上がるのだ。

理解力の乏しさは、教養の欠如ともいえるが、競争力の欠如でもあると言える。

 

沖縄を現代から遅らせてきているのは、競争する精神がなく、学ぶ精神もない、理解する力を磨かないからだと筆者は考える。

それを、ゆるい。

沖縄ての良さ。

などと、低レベルでの言葉で逃げてきた沖縄県民。

これを恥じと思わないのが、沖縄樽ゆえんである。

 

その結果、

沖縄に移住した人間は結局は戻る。

これは逃げ帰っていると言われるかもしれない。

しかしながら、沖縄を見限り、いい思い出を持たず、まともな現代社会に帰ってるとも言える。

 

沖縄は現代社会において遅れているとわざる得ない。