先月中旬母が亡くなった
昨年5月に体調不良を訴えて入院し検査したところ血液の癌が見つかった
白血病
検査入院していた病院を退院し、専門の医師がいる病院に転院
年齢が76ということで骨髄移植もできないし抗癌剤治療をする事になったが最初からそれほど長くないということを伝えられた
抗癌剤治療は母にあったらしくて入院当初が嘘のように元気を取り戻した
1週間抗癌剤治療をして1週間ほど様子を見、2週間ほど退院してまた同じルーティンを繰り返す
これをずっと続けると説明されたがここで問題が起きた
「 家に帰りたくない・・・ 」
母の希望
人生の最後を迎えて自宅に帰りたくないという
父と一緒にいたくないそうだ
以前このブログでも書いたことがあるが、私の父は人の心がわからないある意味狂人だ
ありがとう、お世話になりました、人に感謝する気持ちがない
ごめんなさい、悪かったね、人に謝ったこともない
そんな父だがさすがに母の希望をストレートに父に言うのは躊躇われた
仕方がないので「 日中でも何かあればいつでも様子を見に行けるから 」と言う理由で事務所の2階に母の住居を設置
父は激しく抵抗したが人生最後の母の希望をかなえるため私が悪者になった
家を出た母曰く、「 人生の最後だけど今が一番幸せかもしれない 」
そんなに父が嫌だったのか、私だったらとっくに離婚してたけどね
55年間よく我慢したもんだ
発症してから1年間、感染症に罹ったらすぐに死ぬ可能性があるということで外出することもなく安静に過ごした
好きな韓国ドラマを見たり友達と電話したり、退院中は好きなものをよく食べたので病気にもかかわらず丸々太っていった
父は母のところに顔を出しては「 俺がしっかり面倒見てやるから自宅に帰れ、お前も帰りたいだろ、息子のことなんか気にするな 」って私の悪口を言いながら話をしていたようだ
全部母から私に伝わってくる
ある時酔った父が母の部屋に居座って泊まっていくと言い出した
2時間近く私の悪口を言いながら何回も同じ話を繰り返す父に堪忍袋の尾が切れた母が「 出ていけ! 」と孫の手
を投げつけたらしい
翌日父は「 あれがおかしくなった、気狂いだ 」と私に話したが、追い出された原因は一切言わなかった
それから父は母のところに顔を出すことはなくなった
追い出されたことがショックだったのかその後はずっと私に母の悪口を言っていた
子供に病気の母親の悪口を言って同意してもらえると思うその心がわからない
私の姉も父を避けるようになり、一度大喧嘩をしてから父のところには顔を出さなくなった
母のお見舞いに他県から来ているのにずっと母の悪口を聞かされては姉もキレる
誰も俺のことを心配しない、惨めだ、寂しい、皆あいつ(母)のことばかり心配する
余命幾許もない母と元気でゴルフを楽しんでいる父とどちらが心配ですか?って言ったら「 俺だって調子が悪いんだ! 」と絶叫
信じられない思いでいっぱいです
そんな1年を過ごしましたが先月中旬にとうとう母が亡くなりました
亡くなる5日前に「 そろそろ本当に覚悟してくれと先生から言われた 」と父に話したらようやく母のお見舞いに行った
亡くなった当日、姉が駆けつけて父と2人で母を看取った
私は5分ほど間に合わなかったが、最後に話ができたのも私だったし1年間母の面倒を見れたことが今になってみれば幸せだった
すぐに葬儀屋に連絡をして遺体を自宅に運んでもらう
亡くなった日の夜、私と妻は一度家に帰ると言うと、「 俺を1人にするのか! 」父が言う
私だったら1人で妻と語りたいと思うのだが父は違うらしい
「 私がいるでしょ! 」って姉が言ってくれたので父もおとなしくなった
翌日葬儀の打ち合わせ
コロナも流行っているし最低限の身内だけで葬儀をすることを提案するも葬儀屋と父の猛反対で普通に行うこととなった
全てが決まってお通やの日、うちの娘がコロナに感染した
私と妻は濃厚接触者
お通やに出ることができず、終わった後夜遅くに妻と2人で母にお参り
流石に葬儀は欠席するわけにはいかずにソーシャルデイスタンス最大限で出席
喪主(父)の挨拶で「 最後まで私が面倒を見て看取りました 」の言葉にドン引きした
弔問客に泣きながら母の話をする父を見て私が思ったこと
人間生きているうちに大切にしてやることが大事で死んでからいくら思いをぶつけても本人にも周りにも伝わらない
葬式の後、位牌の準備をするのに父と母2人を並べて位牌を作りたいと父が言う
母はそれを望んでないよ、とは言えない
お墓に母の戒名を掘るのに石屋に頼む
立派なお墓を私に自慢し、あいつも喜んでいるだろうと父は自己満足
母はこの墓に入りたくないと言っていた
なんか喜劇だ