東日本大震災から10年が経ちました。今年もオキシャンティで、3月の「祈りの太陽礼拝108回」を行います。
今回はオンラインにて、参加費は無料。当日11日の早朝7:30からのスタートです。

大震災への祈りとしてスタートした3月の太陽礼拝ですが、ここ数年はいま世界中で繰り広げられている悲しい出来事に目を向け、平和の祈りとして続けています。

 

東日本大震災は当時沖縄にいた私にとっても強烈に心が揺さぶられることでした。

 

その日の朝、嘉手納基地ゲート前にあったスタジオMartial Artsでアシュタンガのレッスンを終えた私は、講師のイングリットともう一人の練習生の3人でランチに向かいました。

 

不思議ですが、その時3人でした会話はよく覚えています。

 

練習生の彼女は妊娠中で、生まれてくる子供が自分のように小麦アレルギーになるのを心配していました。

 

お醤油にも入ってるから、沖縄での外食やお惣菜などの日本食も注意が必要なんだね。リキッドアミノが代わりになるんじゃない、といったことを話していたんです。

 

食事の後ロコマートのちゃんぷるー市場に居た辺りで町にアラートが流れ、その時はあまり聞き取れずに何だろうと思って自宅に戻ってきたら、あの田畑を覆いつくし、回避しようとする車両の列を飲み込んでいく津波の恐ろしい映像を観ました。

 

夜には燃えさかる工場地帯の映像が流れます。

NYで9.11を目の当たりにしている私はまさに戦慄を覚え、画面を通して流れるその数々の映像が現実に起こっていることとは思えない、という声がよく理解できました。

 

黒煙を上げるツインタワーを大学のキャンパスからタイムリーで見ていた私たちの多くも、よくできたCGの映画の場面のようだとしか捉えられなかったからです。

 

 

 

 

その年RYT200のヨーガ講師トレーニングを申し込んでいた私は、合宿でたくさんの同期たちの深い悲しみを目の前にすることになりました。

実際に被災し、大事な人やものをなくした仲間もいました。

 

福島在住の臨済宗の僧侶、玄侑宗久禅師が震災直後に出されたお言葉です。何度かブログに書きましたが、今年もご紹介します。

今、この国には形式化、儀式化されない、むきだしの祈りがあふれている。
最も純粋な、祈りの原点ともいうべき心性が、
困難な人々の支えになると信じている。


私もそのむきだしの祈りがあふれる心性が、支えになると信じています。

 

昨年からの一年で、コロナ感染により世界中で夥しい数の命も亡くなりました。

数字の問題ではないですけれど。

 

東日本大震災に関しては、ひとつの死が2万件あった、と北野武氏が言っていました。

テレビや新聞でも、見出しになるのは死者や行方不明者の数ばかり。8万人以上が死んだ四川地震に比べればマシだったのか、とか数字でしか考えられなくなってくる。
それは死者への冒涜だ。

そうではなくて、そこには
「一人が死んだ事件が2万件あった」
ということなんだ。

2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いをしている人たちがいて、その悲しみに今も耐えているんだから。

 


祈りをこめる、送る、または手放す、そして何かしらの想いに向き合いたい方は、ぜひご一緒いたしましょう。

怒りでも悲しみでも、喜びでも、無心でも。
 

☆3.11「祈りの太陽礼拝108回」/Sun Salutation 108 for 3.11☆
2021/03/11 (木)
7:30 - 9:00
参加費無料

*お申し込みはこちらから。ご参加をお待ちしています。

 


Pray for Peace.
祈りの太陽礼拝は、年末の108回と違ってリードはありません。スタイルはご自由に、カウントに合わせて様子を見ながら、全員で同時に終わるのを目指します。
出入りは自由。途中参加、途中退室も構いませんので、ご安心を。

3月11日の7:30にお会いしましょう。
 

 

 

 

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