私のお師匠、綿本彰先生の最新刊「一瞬で自己肯定を上げる瞑想法」を読みました。瞑想を始め、深めるための解かりやすい手引書で、とても丁寧に書かれています。

 

内容は綿本門下たち、特に指導者トレーニングで繰り返し語られていることで蔵出しの感があり、初心者のみならずどのレベルの瞑想者、ヨーガ修道者にも読みごたえがあると思います。

 

大きなテーマは"脳を休めること"、"自己と他者、両方の肯定"、そして"ありのまま、を肯定"すること。

 

瞑想時の姿勢の大切さ、図解を交えての親切な説明があり、続いて始めやすいようにいくつかの瞑想法のテクニックの紹介があり、しかしその全ては瞑想の途中までしか連れていってくれない、との断り書きがあること。

 

瞑想が深まらない場合の心身両面からのアプローチの仕方があり、瞑想終了後からの抜け方の指南があること。

 

そしてくりかえし説かれる、瞑想によって育まれる精神状態を日常に持ち込むこと。

 

瞑想によって到達する心の状態が、生産性・創造性があるのか。ありのままを観る姿勢が"生きていく"状態になれるのか、に関しても書かれています。

 

お師匠のこのテーマに関しての記述を読んでいると、彰先生は一度向こう側、悟りの境地まで行かれたんだろうと感じます。

8年ほど前に私が最初に出会ったもうひとつの著書「瞑想ヨーガ入門」の中では、瞑想を深めていって地図を見失った精神状態にしばらく置かれたことが書いてありました。

 

悟りの10段階を描いた禅の「十牛図」は綿本門下での重要な書のひとつですが、牛に例えられる暴れる自分の心を収めたのち日常の中に帰っていくように、お師匠もあちらに行ったままではなく、それを経験して戻ってくる決心をしたんだなと。

なんだか観音の姿勢のようですが、観音はヨーガの神、シヴァ神の化身ということですから納得です(笑)。

 

今年は年始に登録講師たちに毎日瞑想を20分間、それぞれ別の場所にいるけれど、同じ朝に続けましょうとのお話しがあり、どちらかというとアーサナによるプラクティスに目が向き過ぎているヨーガ界の現状についてもご指摘されていました。

 

ヨーガをいろんなアプローチから、たくさんの人たちに経験して欲しい。そんな思いから、お師匠は率先して雑誌を立ち上げたり、フェスタを開催したりしてきました。

 

素敵なヨガウエアやマットを使って、こころもからだも美しくなる。ダイエットのために、ストレス解消のためにパワーヨガをする。年に一度は参加したい楽しいお祭り、ヨガフェスタ。

オーガニックな菜食、漢方やアロマ、動物実験無し、もしくは環境に配慮したプロダクツ、ヨーガ雑誌にはありとあらゆるジャンルの広告が入っています。

 

そういった傾向はご自身がやってきたことの結果でもあるのだけれど、ヨーガ修道者たちはその先にあるヨーガの境地に自分を導いていって欲しいと最近お師匠はお考えのようで、この瞑想の手引書からもそれはよく伝わってきました。

 

 

 

 

私は師と思っている方たちが何人かいらしていて、それぞれの先生たちに出会えたことをとても感謝しています。お師匠の綿本彰先生、陰ヨガのジョー・バーネット先生、そしてFRP考案者でもある中村尚人先生。

 

どちらの師も、学んだことの素晴らしさは計り知れません。それは知識や理解の深さだけではもちろんなく、人間性、教育者であるところの懐の大きさと優しさです。

 

少し前に尚人先生がFBで投稿していたコメントを、自分へのメモとして載せておきます。これを読むと、最近多くのヨーガ講師たちが同じようなことを感じているのかなと思います。

 

アーサナの先にある、ヨーガの連れていってくれる場所。

 

 

【ヨガしている人のアチャ〜的あるある】


ヨガをしているのに欲深くなってる
ヨガをしているのに執着が強くなってる
ヨガをしているのにエゴが強くなってる
ヨガをしているのに依存が強くなってる
ヨガをしているのに他者と比較し始める
ヨガをしているのに形にこだわり始める
ヨガをしているのに他を否定し始める
ヨガをしているのに視野狭窄している
ヨガをしているのに期待が大きくなっている
ヨガをしているのに恐怖心が消えない
ヨガをしているのにヨガに固執し始める

 

僕がそうでした、、、。


だからそういう方を見ても不思議とは思いません。
あるあるですから。

ただ、同じ袋小路にいるんだとしたら残念に思います。
かつ自覚なく、その方の先生もその事に違和感を持っていないとしたら。

 

僕は古典と悟りを開いた師に出会って大きく変わりました。
本来のヨガの姿が見えると上記のものは消えます。

古典に固執したら同じことになってしまいます。

ヨガは生き方であるという事が腑に落ちたとき楽になります。
見えることではなく見えないことに気付くこれがヨガです。
体と心の関係から心の本質に気付く事です。


宇宙や神という表現だったりしますが、宇宙の法則なんだと思います。
それは哲学であれ科学であれ人が学問を通して探し続けていることと本質的には同じだと思います。

ヨガなりの答えに気付くには、その答えに辿り着いた方からヨガを伝えてもらう事が重要です。
かつ依存せずに。

 

僕も完全に悟ったわけではありませんし、まだまだ人生でも半ばです。
でも以前僕がそうであって、今そうでないものに関しては助言できます。
多くのヨガ愛好者が陥るあるあるにできるだけ陥って欲しくないのです。

それはヨガという名で自分を不幸に陥れる事だからです。


ヨガを通して苦ではなく幸せが、不安ではなく安心が、孤独ではなく共感が訪れますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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