サンダンス映画祭2014年度のドキュメンタリー部門で観客賞を受賞した、「ALIVE INSIDE」を観ました。認知症やアルツハイマーを患う高齢者たちへの、音楽療法を推進するソーシャルワーカーの試みを追う記録映画です。邦題は「パー ソナル・ソング」で、昨年末から日本でも上映されています。

登場する医師のひとりが話していますが、音楽は脳の非常に広い範囲に刺激を及ぼすそうです。それを証明するかのように、音楽を聞いた途端、突然スイッチが入ったように再び自分自身と繋がる人々。
何をしても効果はなく寝たきりだったお婆さんが、ヘッドホンをかけたら全身を揺すりだす。娘に手を握られても誰だか分からず、下を向いて内に籠っていた90を超えるお爺さんが、好きだったキャブ・キャロウェイの歌を聴きながら歌い出し、愛と神への感謝を語りだす。

怒りと深い悲しみに囚われていた人が、絞り出すように口にする好きな歌の名は、「アベマリア」。邦題の「パーソナル・ソング」は、私の特別な歌、好きな歌ということから付けられているのだと思います。
 
悲 しい顔に笑顔が広がる映像は心躍りますが、アメリカにおける老人養護施設の問題点も描かれます。比較的意識がはっきりしているおじいさんのひとりは、いつ も脱走を目論み、出口に通じるドアをあちこち開けようとします。一時帰宅で戻った家族の元で暮らしたい。ここにあるのは生活ではないと話します。

認知症末期の多くの入所者たちに施されるのは連日の投薬で、治療と云えるものではないと他の医師が語ります。そして音楽によるこのような変化は、どんな薬でも成し遂げることはできないのだと。

自宅で療養する人々も出てきます。神経科医に通い、スプーンを示されてもその名前を答えられず、クリニックのドアを開けたら自分が来た方向が分からない女性、メリールー。ソーシャルワーカーはそこへも乗り込みます。
自信を失い委縮していた彼女が、大好きなビートルズを聴いて立ち上がり、ジャケットを脱いで踊りはじめます。ひと通り踊って楽しんで、あふれる涙を拭いながら彼女が発した言葉は、「It can't get away from me, if I'm in this place.  生きてる限り、私から、取り上げることなんかできない。」その"取り上げられないもの"、にはいろいろな意味があると感じます。

人生の楽しみ。感じる心。人間性。記憶。生きていること。そして音楽も。

10年薬なしで、自宅で妻のケアを続ける人も出てきます。クラシックのピアノ音楽に合わせてダイニングテーブルを鍵盤のように叩く妻と暮らす、彼の顔に焦燥感はありません。

最近"代謝"について調べていたら、脳の興味深い仕組みを知りました。
ここでは簡潔に書きますが、内臓と異なり、筋肉は連続的に活動させると増強し、しないと委縮していきます。
「からだの働きから見る代謝の栄養学」の著者・田川邦夫氏によると、脳全体としての活動は休みなく働き続ける内臓に近いけれど、大脳は筋肉同様に、活動停止状態が続くと次第に機能が低下するのだそうです。
薬で眠らされ、脳活動が低下する日常は、脳の委縮を促進させるのです。

記憶が無くなったら、人間という生き物はいったい何なのか。「ブレードランナー」のアンドロイドを思い起こさせる質問です。そして人間は孤立し、隔離されるのではなく、他者との関わりの中で生きていくのが自然の姿なのだと、フィルムでは繰り返し訴えかけてきます。


個人的な好みの問題だと思いますが、日本語の予告編をチェックしてみたら、どうも映画を観る気が失せてしまったので(笑)、アメリカ版のトレーラーです。





そしてもうひとつの音楽の話し。こちらは明るく希望的というわけでもないのですが、興味深い話を聞きました。

昨日初めてクラスにいらした受講生さん、フラメンコを踊っています。そこで私の好きな、ロックギターから入ったフラメンコ・ギタリスト沖仁(おきじん)の名を出しました。沖縄南部のパワースポット・ガンガラーの谷でのコンサートに、アコーディオン奏者のCoba、押尾コータローと一緒に出演していたのを観にいったと話したら、彼女もそこにいらしたそうで。その話の流れで少しフラメンコのルーツなど教えていただきました。

フラメンコは元々ロマ族という、インドの方からやって来てスペインのアンダルシア地方に住みついた、ジプシー達のものだそうです。「沖縄と似ているんです。」と彼女は言っていましたが、虐げられ、貧しく、這いずり回って暮らしている中から生まれてきたものなので、悲しく辛い歌が多い。そういえば、パートナーが島唄・琉球歌は悲恋や生活苦が主題の悲しい歌が多いと言っていました。

始めの数年は感じなかったのが、のめり込んでいくにつれて精神的な浮き沈みが激しくなっていき、夜も眠れないそうです。その歌の歌詞を理解していなくても、そこに込められた思いや情を感じて心身に影響を受けていくのだと、彼女は解釈していました。

何だかとても感じる入るお話しで、いろいろと考えました。

大会などのために長い期間ずっと同じ歌で踊りを練習していると、更に精神の不安定さが増していくのをどうにかしたい、とヨーガにいらしたのです。それに気づいていることで、すでにヨーガ的であり、気づきを受けとる繊細さが、フラメンコの情を感じるのだと思いますが。

まるで違う音楽の持つ力を考えた、感慨深い日でした。











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