マユがイタリアへ旅立つ。
休むと決めた、と聞いたのが去年の今頃。まだ一年も先だな~と思っていたら、もう出発の時間になりました。
この一年、滞在先や移動手段など、英語とイタリア語を操りどんどん準備を進めていく様子を見てきましたが、尊敬の念しかありません。
旅行の準備だけではなく、旅立ちの前にけじめをつけておきたかった事も、あったようで。
それもきちんと終わらせて、今回は捨てる旅、と言っていました。
ここ数日、しばらく音信が無かった綿本門下の同期の2人の、難儀にあっていた近況が入ってきました。
離婚、人生の方向転換、近親者との死別に関わる葛藤とそこからの変化。かなりしんどい状況だったようですが、その二人を支えていたのがもう一人の同期、沖縄にも来てくれたヒサちゃんであったり。
私自身、沖縄初のヨガフェスタ、サットサンに講師で呼んでもらったり、そのサポートに駆けつけてくれる仲間がいたりと、いろいろと助けてもらっています。TT同時のみんながいろんな場で支え合っているのを見ると、心強い。この大きなうねりの中にいることを感謝しています。
なぜ、苦しむのか。ヨーガをする者は苦しみ、そして多くが戦っています。さまざまな問題を抱え、別な言い方をすればそれに気づくセンスを備えていて、だからこそヨーガなんかをするとも言えますが。
癒しは戦いであり、心の平安は時として、壮絶な葛藤の末に手に入るもの、だったりします。
もう一人の綿本門下、私も好きな「アルケミスト」に言及しているユリちゃんの公開日記を読みました。
彼女は今とても素敵な人と一緒にいるご様子。動きのない水面のように穏やかな日常ではないかも知れませんが、葛藤と苦しみの忙しい時間からは、少し距離を置いているようです。
その居心地の良さを与えてくれる彼と出会い始めの頃、キックボクシングをしていることにちょっと驚き、なぜそれをするのかと聞いたユリちゃんへの答えは、「恐怖から目を背けないようにするため」。
以下は彼女の文章から(全文はこちら)。
それでよくわかった。闘うためでなく、よく見るために、それを学ぶのだと。恐怖におののいて目を閉じると、暗闇が生まれる。それはもちろん状況を悪くする。そうはしないために、目をよく開いて、自分を見極めるのだと。
向き合わないといけないこと、それとはやはり対峙しなくてはなりません。逃げても後で辛くなるだけ。
なぜならそれを忘れる、無かったことにすることはできないからです。自分のやってきたことって、全て脳は覚えているんですね。
向き合った方が、ラク。
ダメだった、もしくはダメな自分だったと決めてしまった事を、許してあげるのは大切です。許してあげましょうや。
でも逃げることは、後々の傷を深めるので避けた方がいいですね。それは逃げた事が何度もある私が保証します。
自分に向き合い、今内側にある感覚、感情に寄り添い、それを味わう。ちゃんと感じて、怒りや悲しみといったネガティブなものでも受けとめます。
ゆっくり力を抜きながら味わってみると、そんなに嫌なものでもないんです。そうして抱き留めたら、離してあげよう。受け取ってくれた自分に感謝して。
このビデオは、7歳の少女の空手の型の練習を映したものです。これを見ていると、空手はヨーガのアーサナによく似ているなと思います。
ヴィーラバドラーサナ・戦士のポーズAのような型。後ろ足の踵がしっかりと床につき、力強いグラウンディングから炎のようにエナジーが上がっています。
彼女の集中力、向き合う力に圧倒されます。
松濤館流の型、「観空大」。身が引き締まる。
捨てる旅に、向かうマユ。今生きる時間に向き合うユリちゃん。逃げずに自分に向き合う仲間たちに、深く尊敬の念を抱いています。そして感謝と。
私を助けてくれてありがとう。
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