NHK・BS放送のアーカイブス、聖徳太子の法隆寺の特集を観ました。焼失したと伝えられるも、元々の場所に再建されなかったのはなぜなのか、の謎解きを初め、金堂の土台が崩れてしまい、その修復のために仏像を運び出して新たに解ったこと、国宝級の仏像や厨子、それぞれの検証など、とても興味深いドキュメンタリーでした。

まず一番に面白いと思ったことです。仏像をご存知の方には失笑ものかと思われますが、ムドラを作る(印を組む)ブッダの手には、水かきがあるということ。救いを求めるすべての人たちを、こぼれることなく受けとめているのです。

歴史の授業で習った聖徳太子の
十七条憲法ですが、その内容は全く覚えておりません。ドキュメンタリーで、和の心を説くその内容を知りました。


一曰、以和爲貴、無忤爲宗。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。


七曰、人各有任。

七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。


十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。

十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。
人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。
われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。


(ウィキペィデイアより)



とてもヨーガ的な精神性が表われていますが、元々ヨーガ行者だったお釈迦様ですから、ヨーガと仏教はその哲学を共有する部分は少なくありません。仏教の復興に精進した、天竺フリークであった聖徳太子(インド料理も作らせていたようです)に対しての、アーユルヴェーダの草分け的研究者、伊藤和洋氏の説が興味深いです。

インドを統一したアショーカ王は、仏教を手厚く庇護しました。聖徳太子はかの王政を鏡とし、和と慈愛を説きます。太子の時代である「飛鳥(アスカ)」とは、アショーカ王への憧れ、オマージュが籠められているのでは、と伊藤和洋氏は言います。アショーカ王のマウリア朝のシンボルである孔雀も、飛鳥の文字に通じます。

聖徳太子自身が生きた状況、部族社会から中央集権国家に移行する日本
と、その7、8百年前にインドに生きたアショーカ王の置かれた状況が、酷似していたと伊藤武先生の著書にありました。


余談ですが、水泳選手の手には"水かき"ができて、育つらしいですね。
凄いな、生物の変化って。



frogPad


スタジオの蛙のお香立て。マクロレンズで水かきを接写してみました(笑)。









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