エーカダーシー満月または新月から11日目に節食することです。

ヨーガの勧戒・ニヤマのひとつ、タパス(苦行)の修行とも言われますが、半断食で一日過ごします。マハトマ・ガンジーは後年、日常の食事もエーカダーシーに摂るようなものを食していたそうです。どんなものかといえば、バナナなどのフルーツにナッツ類、ドライフルーツに少量の油、と聞きますと、ロー・フード??と思いますが。

私たちはと言えば、社会生活の中での多忙な日常、家事、育児や仕事、そして学業と、ゆっくり食事なんて無理ですな、という毎日を過ごしている方々も少なくありません。半断食までしなくても、普段の食事より少しだけ質素にしたり、お酒やデザートを取らないだけでもいいと思います。大切なのは方法ではなく、それによって得られるもの。その日は心身の状態など、自分の内面に目を向けて、こころ穏やかに過ごしたいものです。普段の食事への気づきもあるでしょう。

オキシャンティでは定期的に「食事瞑想」をしていますが、食に対する集中的な意識は、日常生活への気づきをたくさん与えてくれます。日常生活への気づきとは、自分への気づきそのもの。沈黙して噛む事に集中し、研ぎ澄まされた五感を味わうだけで、多くのことを受け取ります。それは凝り固まった感情や、忘れていた自分への愛情だったりもします。

肉食に関しては、命に対しての繊細な考え方があり、どうしても受け入れられないという立場の方々もいます。ここではその問題を取り上げているわけではありませんが、上座部仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老が、母国スリランカでのお話として、托鉢でいただいたものに魚や肉が入っていても、それは感謝していただくのだとおっしゃっていました。インドでエーカダーシーを厳しく実践するストイックなハタヨーガの修行者たちも、食事は托鉢によってまかなわれているので毎食が必ずしも菜食とはなりません。
そしてアーユルヴェーダが肉食を禁じているわけでもない、と伊藤武氏は著書で書かれています。インドでは植物相が豊かで菜食主義が可能だったが、野菜・果物がほとんどないチベットでは、チベット仏教の僧侶たちは肉食を厭わなかった、と。マクロビオティックも同じですね。マクロビオティックでは、食物を良い、悪いでは分けません。対極にある陰陽のバランスを中庸にもっていく食事を心がける、ゆえに陰性がとても強い人は陽性である魚類を食べるのが良いという事にもなります。

菜食でも肉食でも、本人が何をどのように食しているのかを気づいているのであれば、いいのではと考えます。気づいている、というのは質や量、そしてそれによる心身への影響も含めての事で、そして自分に合っている食事なのかが、とても大事ではないでしょうか。
例えばアーユルヴェーダの食事では、発酵食品を毎日食べてはいけないと教えていますが、和食は味噌、醤油、漬物など基本のほとんどが発酵食品ですから、インドの医療・生活術をそのまま持ち込むには無理があります。私は沖縄4年目になりましたが、味覚に変化が起こってきました。塩の味が前より好きになっています。

自分が生活している土地や環境を見てその土地の旬のものをいただき、それによって育まれ変化する心身の声に耳を傾けます。何を欲しているのか、何が必要なのかを受け取る力を目覚めさせていきましょう。


余談ですが、托鉢からの話題。スリランカやチベットにある仏教寺院は日本のものと違って、四角い土台にドーム型が乗っています。ストゥーパ、仏舎利塔というので、お釈迦様のお墓なんだとは知っていましたが、あれは折りたたんだ袈裟の上に、托鉢用の丸椀を伏せて置いた様子なのだそうです。

ちょっとイメージしてもらおうと、練習着の上にお椀を置いてみましたが...。


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想像の助けになったとは言えない、なんだか間抜けな写真ですね~(笑)。




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