こんにちはおきサトです。


そもそもプライドって何ってお話ですが、
要は自分の信念となるものです。


私はこうあるものなんだと
自分に対する在り方だと私は思っています。


そんな定義がわっかりにくいプライドの
必要なもの不必要なものについて
お話します。


例えば私の得意分野は
絵を描くことと歌を歌うこと。


子どものころから自画自賛しています。


なので私はこの得意分野は
誰にも負けないという
プライドを持っています。


そのプライドを持っているので、
私より上手な人が私の目の前に現れると


めちゃくちゃ動揺します。


だって私にとってその人は
私の才能に勝る脅威だからです。


そしてこのプライドたちの
私にとって不必要なものとは…


自分を傷つけてまで守り通そうとする
過度なプライドだと思っています。


プライドはあってもいいのよ。


それが私にとっての特色を表すもので、
アイデンティティでもあるんだから。


だけどね。


それらを脅かすほどのプライドへの執着は
必要ないってことです。


例え私より才能を持った人が
目の前に現れたとしても、


プライドに対する余計な執着が無ければ、
普通に尊敬できますものね。


そしてその方を自分のお師匠さんとして
教えを乞えばいいんです。


それでもプライドに執着する気持ちが
勝ち負け合戦を勝手に行い、
勝手に傷を負います。


なんでそんなに執着するかっていったら、

そもそも自分には価値なんて無いと
感じながらに生きているからです。


その人にとってのプライドとは
唯一の自分の価値てす。


唯一の自分の価値を
誰かにかっさられてしまう。


そんなふうに感じてしまいます。


自分の価値かゼロになることを恐れ、
過剰に反応してしまいます。


これもダメな自分を認めなくない
気持ちからきています。


過去の失敗体験が身体の体感として残り、
それを感じることを拒んで、
必要以上に拒否反応をしますのでしょう。


そんな時は自分に聞いてみてください。


『それらを無くしたとして、
一体あなたは
何を無くしたと感じているの?』


すると体感は無くしたときの体感を
出してきます。


身体のどこかしらがザワザワ、モヤモヤと
反応するでしょう。


その体感の沼に入ってみてください。


すごくイヤーな感覚になると
思います。


だけど、身体は喜んでいます。


だって、
それをあなたに見つけて欲しくて、
イヤな出来事を引き寄せていたからです。


嫌な気持ちになるたびに
これを繰り返してみてください。


いつの間にか勝ち負けのない
平和な世界に身を委ねることになるでしょう。