前回のブログで取り上げた

「不安ビジネス」とは、

 

ある事柄やある人について、

 

……かもしれない?

……誰某さんが言ってた、見た

……関係者が語る、知人Aさん曰く

 

と言った憶測や、

事実かどうか分からない記事を上げて、

話題を作るビジネスだという。

 

アメリカでも

「不安ビジネスは一番儲かる」と、

言われてるとのこと。

 

 

これは、ありもしないことや噂を作って、

ネットに流すプロ集団が居るので、

惑わされないようにと警鐘されて、

 

イギリスのBBCから

2016年の世評を表す言葉として報道された。

 

  「post-truth」と同じこと。

 

 

 

去年から「COVID-19」についても、

世界中で様々なうわさが流れた。

 

今回のワクチンについても、

「ワクチンには毒が入ってる」とか、

「ワクチン打つと金属が体に付くらしい」

とか…

 

土曜日の夜のニュース番組でその映像が流れ、

ゲストコメンテーターの医師が、

「本物ならぜひ見てみたい」

と言ってたが、私も本物を見たい❣️

 

 

ことほど左様に、

噂がウワサを呼び、

まるで昔の大道芸「いたち女」のようだ。

 

ワクチンに関しては、

あくまでも個人の意思なので、

周囲が騒ぎ立てるものでは無いと思う。

 

ちなみに、

ワクチン接種して一ヶ月近く経つが、

私の身体には匙一本付かない❣️

 

 

さて、

2020.12.31日に活動休止した嵐についても、

実しやに

「嵐は不仲だ」とか、

「連絡も取ってないらしい」とか、

 

よくもこう次から次へと話題が出てきて、

やはり人気者なんだな❣️と実感した。

 

 

Netflixでおよそ2年密着した

「Voyage」は、

「嵐の真実」を追ったドキュメンタリー

との事だが、

やはり打ち合わせして制作されたものとして、

全て楽しく見せてもらった。

 

 

所々で、フィクションでは無さそうな、

本音に近い気持ちなどが感じられた。

 

ファンとの蜜月の2年間のうち、

最後の2020年の予定が、

悉く実現不可能になったことは、

無念で有っただろうし残念だった。

 

でも、だからこそ彼らの本当の姿(私見)

を垣間見ることができて感動もした。

 

希望と企画がボロボロ崩れていく中でも、

更に前へ前へ進もうとする姿は、

 

2017年に書いた ブログを思い出した。

 

 

 

実は私、

2018年11月18日の

「5×20」の初日に参加してる。

滅多に当たらないアリーナ席で、

初日の興奮と緊張感を目の前で見た。

 

 

あの時の異様な雰囲気は、

特にニノの挨拶には違和感しかなかった。

 

多くのレポなどには、

ニノの挨拶に笑いが起こったと、

書いてる人が多かったようだが、

私と相方には「ニノの怒り」に驚愕と不安感しかなかった。

何が起こってるのか?…と。

 

 

そんな気持ちを抱えて見た

2019.1.27の会見は、

彼らの口から気持ちを聞けて良かったが、

初日のあの挨拶の意味は分からなかった。

 

「voyage」を見始めたのは2020年の春で、

会見のシーンから見始め、

会見後の5人の姿までを纏めて見た。

 

 

会見では、

「自由になるには事務所を辞めなくてはならない」

と思ってた大野智が、

 

「お休みで良いんじゃない?」と言われて、

「そんなことできるんですか?」

との顛末を知った。

 

 

会見後のインタビューで、

言えてホッとしたけど、

これからのことを考えると心配だとか…

ニノのことだとか…

 

思わぬ本音に近い言葉が出てたが、

2019年いろいろ有ったが、

無事に「5X20」オーラスを迎えた。

 

 

そして2020年、

瞬く間にコロナ禍になり、

嵐は紙芝居集団になったり、

ワクワク学校をネット開催するなど、

ファンのみんなに寄り添って行動してくれた。

 

 

そんな中で、

大野智の言葉や姿が、

会見前の苦悩してた時より、

柔らかくなっていったような気がした。

 

 

辞めたい病はかなり前から感じてたけど、

自分の気持ちを公に吐き出して、

ホッとしたように私には感じられた。

 

 

その辺りから、

個展開催が発表されて、

雰囲気が変わって行ったように感じる。

 

製作中にアトリエに陣中見舞いに来た

松潤と飲みながら話してるシーンは、

かなり本音で話してるように思う。

 

 

描き上げた ジャニーさんの絵 を見せて、

「この絵、個展が終わったら事務所に飾ってくれるんだって」

と嬉しそうに話してた。

 

 

「嵐の仕事をお休みすることは事務所を退社しなくちゃいけない」

と思ってた大野が、

「お休みさせてもらえるそんなことが許されるのか?」

と 口にする人が、

退社しようとする会社に「自分の絵を飾ってくれる」

と喜ぶとは思えない。

 

 

「嵐としての活動はお休みして」

ということの捉え方はひと様々で、

嵐は解散したわけではない。

 

私は「5人の嵐としての活動」とは、

嵐としての新曲の作成、コンサート、

冠番組の出演だと思っている。

 

 

今回の「アラフェス2020」の嵐ジオに、

2人ずつ2組で出ることは、

2020年の嵐のライブ映像販売の販促活動だと思うので、

商業活動としてはごく当たり前のキャンペーンのひとつだと思う。

 

それを、

活動休止してるのに、

嵐を名乗って4人が活動するのはおかしい

という意見には私は賛同できない。

 

売り出しておきながら何もしない方が、

もっと無責任では無いか?

 

そして、

嵐という名を名乗るな!という意見も、

それこそおかしいのではないだろうか?

 

だって、

嵐は解散した訳ではないのだから❣️

 

 

 

次回は久しぶりに

「ライナスの毛布」ナウを…

 

 

  昨年から世界中を不安に陥れてる

「COVID-19」は 様々な噂を生み出して、

 なかには 「オカルト映画ですかい?」 

といった話を、実しやかに話す人も出てきたり・・・

 

 「不安ビジネスは、ビジネスの中で一番儲かると言う」 と、

すでに去年末にワクチン接種をした、

アメリカ在住の友人の言葉を思い出します。

   まさにこれ POST-TRUTH  です。

 

 

去年から毎日報道される 

溢れかえったコロナ情報に振り回され疑心暗鬼が生まれ、

今年になって日本でもワクチン接種が進み、

ワクチンへの懸念が少しづつ払拭され、

接種を希望する人が増えてきました。

 

 

 実は先ほど挙げた 

アメリカ在住の友人(40代男性医療従事者)が、

2回目の接種でかなり重めの副反応を経験して

 

「まるでコロナ体験をしたかのようだった!」

 

と言っていたのでワクチンは不安だったけど、

顛末を最後まで聞いたときに決心しました。

 

 

もし自分が感染してしまったら、

知らないうちに周りの人に伝染することが一番困ると思い、

私も医療従事者の一端として

2月の中旬にワクチン接種を申し込みました。

 

 

この接種は 義務でも強制でもない ので

個人の自主選択でしたが、

非常勤のスタッフ以外はうちでは全員接種を希望しました。

 

 

1回目のワクチン接種から 

3週間後の2回目の接種後の変化などを、

自分自身のことも含め備忘録として、

ここに書き留めたいと思います。

 

 

コロナ感染やワクチンの副反応は

個人差があるので、

あくまでもご参考程度に読んでください。

 

 

 

 2月の申し込みから

なかなか接種日程の連絡が来ず、

やっと連絡が来たのが4月に入ってからで、

決められた日程の中から選ぶ方法でした。

 

1回目の接種が4月下旬の水曜・木曜日で、

3週間後の2回目も5月中旬の水・木の同じ時間でした。

 

今回受けるスタッフは10人だったので

ワクチン対策シフトを組み、

接種する日を水曜日の夜に4人と、

休日だった木曜日午前に6人振り分けました。

これは仕事に支障をきたさないためです。

 

 

ワイドショーなどで副反応について、

毎日のように報道され不安を煽っていたので、

接種後に反応が出た人は翌日休みを取れるようにシフトを組みました。

 

 

内訳は、30代から60代までの女性8人と、

50代と70代の男性2人を水曜日と木曜日に振り分けました。

 

ワクチン接種前と後に水分を十分に取り、

接種に臨みました。

 

 

一回目の接種直後の痛みは60代女性に少し出て、

注射そのものの痛みは殆どありませんでした。

6~7時間後に接種した方の腕が腫れて肩より上に上がらず痛いという程度で、

日常生活に支障をきたす程の反応はほぼ出ず、翌日は全員仕事ができました。

 

 

ところが、木曜日に接種した70代男性だけが

金曜日の午後から、

「注射したところが痛い!身体がだるい!」と言い出して早めに寝ませました。

この倦怠感は土曜の夜まで続きましたが、その後はケロッと回復しました。

 

大量のスポーツドリンクを飲むことを全員で実行して、

こうして1回目は薬を飲むこともなく終了。

 

 

そして、3週間後の2回目がやってきました。

 

アメリカの友人が言う 

「疑似コロナ体験をしたくらい辛い」

ほどの副反応が出るのか?

 

彼は接種後8~10時間後に発熱と震え、

猛烈な倦怠感と頭痛で眠れなっかったそうです。

翌日は仕事を休みベッドから出られず寝汗をかいて、

2度目の夜には回復したとのこと。

 (ここで気が付いたこと! 彼は水分補給をして無かった)

 

 

さて、うちのスタッフの2回目の反応は・・・

 

一回目の接種後に一人だけ反応が強く出た70代男性は、

二回目のワクチン後は何の反応も出ず全くケロッとしてました。

 

女性スタッフは腕の腫れや痛み軽い発熱が有ったので、

翌日の仕事を休むようにしました。

そのうちの30代と60代の女性2人が、

38℃以上発熱と倦怠感で起きられなかったとのことでした。

 

しかしながら、

 

「疑似コロナ体験」程の反応がでたスタッフは、一人も居ませんでした。

 

 

この反応は一般的なのか、

医療従事者だからなのか分かりませんが、

処置や治療の前から緊張して固くなると、

痛みを呼ぶような気がします。

 

 

 

では、私の反応はどうだったのか?

 

まず私は、献血マニアといわれるぐらい注射に慣れています。

年間2回の献血ルールなのに、3回出向き断られた経験があります。

特に持病もなく入院したのは、

小5の時の虫垂炎と出産のときだけです。

 

そして私のワクチン接種時間は、

2回とも水曜日の19時15分からでした。

副反応が出ると言われる6〜8時間後には就寝してる時間帯でした。

 

 

今回の筋肉注射は初めての経験でしたが、

打たれたことも気が付かないほどあっという間で痛みも有りません。

 

接種後数時間経って多少の腫れを感じて、

 一回目の接種後は打った方の腕を下にして寝ると痛いくらいの反応でした。

 

 

 そして懸念してた2回目の接種後は、

 腕を下にして寝られたくらい腫れもなかったので、

水分を今まで以上に大量に飲んで就寝。

 

 寝たら何が有っても起きないほど爆睡する私は、

朝までぐっすり寝てしまいました。

 翌朝起きた時に布団がジメッとするほどの寝汗をかいたことにびっくり!

でも痛さも発熱も気怠さも有りません。

副反応は私には起きなかったと思いました。

 

しかし、

寝汗をかいたことで、

もしかしたら寝ている間に発熱してたのかもしれません。

ワクチンの前後に普段では飲まないほどの量のスポーツドリンクを飲んだことで

発熱が抑えられたのでは無いのか?と思いました。

 

 

数日後、スタッフからの報告や感想を纏めてみて思ったことは、

副反応は個人差があるので一概には語れないけど、

もし反応が出ても一過性のもので、

耐えられないほどの痛みや高熱以外は薬の服用は必要ないと思います。

 

 

今回のワクチンで、

私やスタッフが軽く済んだのは、やはり水分補給だと思います。

そして、不安を煽るような情報に左右されないこと!

溢れかえる情報の中で取捨選択することが大事だと思います。

 

 

しつこいようですが、

 ワクチンの前後に大量の水分を補給すること❣️

     これに尽きると思います❣️

 

 

以上が拙いながらも、ワクチン接種の顛末でした。

 

 

 

 

 そして、「不安ビジネス」という言葉について、

 嵐くんたちのケースにも当てはまると思うので、

次のブログはそんなことを書いてみようかな?

 

 
 

「ありがとう 嵐。またね!」プロジェクトが、

1月27日の朝日新聞に掲載されたことについて、

やはりあちこちで様々な意見があるようですね。

 

前回のブログで書いたように、

今回のこのプロジェクトは一種のボランティア、

有志一同の「気持ちの贈呈」のようなモノだと私は思いました。

 

この方法に対して一部の反対意見を読んで、

「なるほど!そういう意見も有るのか」

とビックリしました。

 

この行為に賛同した人は、

新聞という媒体を使い 「ありがとうを伝えたい」 という純粋な気持ちで

参加した人が殆どではないかと思います。

 

 

前のブログで長ったらしくボランティアについて書いたのは、

ボランティアという行為は、

強制されたモノでもなく義務でも有りません。

助けを求めてる人に とっさに手を差し伸べる行為 だと思います。

 

そして、その行為の先をあれこれ言うものでは無いと思います。

 

 

中国に学校を建てたボランティアの時の話で、

T先生に伺ったことを思い出しました。

 

 「先生、これは国に掛け合って援助してもらうことは出来ないのですか?」

 

T先生

 「国は口ばかり出してなにも援助もしてくれない、

 いろいろ手続きが複雑ですぐ動けないから、

 自分たちでやれることをやった」とのこと。

 

   これは、2006年から書いていたyahooブログの日記です。

  2019年末にyahooブログが終了したので、とりあえずamebaに移行して放置してました(-_-;)

 

これと同じで、

誰かがやらなきゃ始まらないことには、

協力してくれる人々と共に、

非難と批判と無関心がついて回るようです。

 

 

何かを始めるということは、

だいたいが同じような道を辿るようで、

怪しいと思ったら参加しなくて当然だけど、

純粋な気持ちで賛同してる人を非難しないで欲しいし、

動かない人が「にわか評論家」 にならないで欲しい。

 

 

聖書の中の「汝の隣人を愛せよ」の箴言

道端で倒れてれる人に対する「祭司、レビ人、サマリア人」の違いのように、

手を差し伸べることは本人の気持ちから出た純粋な気持ちだと思います。

 

世の中に、

善きサマリア人が増えることを希望します。

 

 

 

 

数日前、たまたま見かけたプロジェクトに魅かれて

すぐに手続きをしてしまってから、私の周りのリアル嵐ともに伝えたら、

ほとんどの人が知らなかった・・・こ

 

 

 

 

そのプロジェクトの内容を読んだとき、

すでに私の頭の中には 新聞に載る「ありがとう」 の文字が浮かんでた。

  

 


    こんな感じです (SMAPさんの写真をお借りしました)

 

 

まるでお花畑マンガのような出来事だが、

私の今までのボランティアは、だいたいこんなことから始まっている。

 

 

2001年に、上海~北京間の寝台列車に乗りに行ったとき

車内で仲の良さそうな二組のご夫婦と一緒になった。

当時はまだ北京オリンピックの前で、上海~北京間は寝台列車での移動だった。

鉄オタの私と息子はその古い列車に乗ることが目的で上海に向かった。

 

あまりにもその列車に慣れてる様子だったので、

食堂車でお互いに自己紹介しながら世間話を始めた。

 

お二人は秩父の中学校の元教師と教え子で、

卒業して30年以上経っているのにとても仲が良く微笑ましかった。

 

 

極貧の中で育った教え子K氏は、中学時代にT先生に大変お世話になって、

何とか卒業できたとのこと。

その後一生懸命働いてK氏は会社の社長になっていた。

その会社に中国からの留学生S氏が住み込んで、3人の人間関係ができたとのこと。

今回の旅は、北京で待つS氏に会うためだと教えてくれた。

 

S氏が育った頃の中国は、まだ文化大革命の最中で、

北京の学校の教師だったS氏の父は下放(知識人たちをど田舎に追放する政策)され、

一家で北京から300キロほど離れた寒村に追放されて、S氏はそこで育った。

 

 

1990年ころから自分の故郷に学校を作りたい夢を持つようになったS氏は、

日本に留学して、K氏の家で下宿しているうちに夢を語り始めた。

 

T先生、K氏は自分たちでなんとか応援できないかと考え、

T先生はご自分の退職金をつぎ込み応援者を募り、

1995年にその寒村に日中友好学校を建て始め、5校建てた。

 

後日、学校を建てる前の頃の写真を見せて頂いたが、

机もない板の上で椅子はそこらへんの石に座る暗い部屋で勉強していた。

 

その話を聞いた私はすぐ

「先生、私にも何かお手伝いさせてください!」と申し出た。
 

そう、出会いはこんなことから始まって、

 

友だちにも協力してもらい、

文房具の寄付や、中国の教育的里子を持つようになった。

 

教育的里子とは、

生徒(主に小学生)一人の1年分の教育費(15000円)の援助をすること。

 

2000年当時、北京の高級ホテルのビールが1杯6~700円だったが、

その山村では、15000円で一年分の学費と簡単な食費が賄えたそうだ。

 

それから15年ほど経ったころ、

Sさんは北京の美術大学の教授になり中国もだいぶ裕福になって、

中国の里子ボランティアは一段落した。

 

 

そして、2011年3月、東北大震災が起こった。

この時も、T先生とK氏と気仙沼で落ち合って避難所に物資を届けたり、

5月から度々出かけ現地の方のお手伝いをほんの少しさせていただいた。

 

6月のある日、南三陸の避難所に嵐グッズをすこし寄付したときに、

顔なじみになっていた女性が一言つぶやいた。

「バーテンダーはどうなったの?」と。

 

3月11日は金曜日で、彼女は当然ドラマを見るつもりだったとのこと。

それまでお会いした時は気丈にふるまっていてそんな会話は一度もなかった。

あの震災で人生が一変した人とその時初めて一緒に泣いた。

 

 

本題からそれて長くなってしまったが、

偉そうに言うつもりはないが、出会いによってつながる気持ち。

これが、今回のプロジェクトに参加した気持ちです。

 

 

嵐くんたちは、私たちファンにおよそ2年かけてたくさんの思い出を呉れた。

 

それに対して「ありがとう」を目に見える形で伝えたい。

 

「嵐さんが喜んでくれれば・・・少しでもファンの気持ちが伝われば」

と、有志一同で立ち上げたプロジェクトだと思う。

 

そして、朝日新聞のちゃんとした企画なので心配いらない。

若い人の純粋な心に打たれて、おばさんも参加させてください!

 

 

1月27日の会見で「ファンに悲しい思いをさせたから・・・」という気持ちが

嵐くんの心の中に拭えない澱のように残っているのではないだろうか?

 

だからこそ、その1月27日に 

新しい道を歩き始めた嵐5人の門出のお祝いとして、

ファンからの「ありがとう」を伝えたい!

 

先ほどからボランティアのことを長ったらしく書いたが、

私はこれは一種のボランティアだと思っている。

誰が企画したのかではなくて、

その行為が尊いものだと思います。

 

ボランティアは一人ではできないし、一人でも多くの人の協力が必要です。

ただし金銭が絡むことなので、慎重に考えてください。

 

そして、「いつか人のためになれるように」と思っている人たちが

笑顔になってくれるといいな!

 

 

   (2021.1.18  一部追加して、再アップしました。)

 

 2008年から嵐会員になったころの私は、

ジャニーズにほとんどご縁がなかったので、

SMAPファンだったEちゃんに会員手続きをすべてやってもらうほど

「ジャニーズファンあるある」のようなルールは知らない初心者だった。

 

 

2006年から「yahooブログ」を開始していたが、ジャンルの違うものなので、

嵐のことを知りたくて、当時は盛んだった「mixi」に入会してみた。

 

mixi 4mixi 2

 

先日ちゃんと調べてみたら、

2009~2011までの間に、98本の自己満ブログを書いていた。

 

こんな感じで書いていたが、

マイミクさんとライブでお会いしたり楽しいブログ生活だった。

 

この中にある 「大野くんへのメール」 は、

2009年11月の札幌公演に参加した後で、大野くんに送ったメール。

このメールを書く経緯はアメーバブログでも少し書いていたが、

当時はこういうファンが居たことを書いておこうと思う。

 

 

2008年に会員登録した私の番号は 301xxx番

私に嵐のDVDやCDを貸してくれて嵐のことを教えてくれた友の番号は、

2004年登録で 130XXX番。

 

4年間で17万人(概算)増加した。

これは彼らの地道な努力が生んだ数字だと思う。

 

ところが、2010年現在(この当時)は、80万人を超えているという。

この2年で50万人増え、これをバブルといわず何と言おう。

 

歴史が証明するように、バブルというものは必ず弾けてしまう。

 

そのバブルをシャボン玉で終わらせてしまうか、

バランスボールのように空気を持続する玉にできるか?

それは、その中心にいる人たちの姿勢と努力次第ではないだろうか?

 

と、面倒くさい話はこれくらいにして本題に!

 

 

 

札幌で気持ちが切れてしまった私に、

宝塚ファンであり私が嵐ファンに引き込んだ妹分のSちゃんは、

毎日のように気持ちの整理をしてくれた。

 

初めてカミングアウトした日に聞いた「WISH」のシークレットトークのことや、

CDやDVDを観て盛り上がったことなど・・・etc

 

それでも吹っ切れない私に、最後に言ったSちゃんの一言。

「勝手にしぼまないでください!私の気持ちはどうするんですか?」

 

そう、まるで伝道師のような(S曰く)私の布教活動で、

熱心な嵐教の信者になった彼女は、

 

「私にも確認作業をさせてください!

そして、一緒に確認してから止めるなら辞めてください!」

 

と、言いだしっぺの私に喝を入れた。

 

仕事の関係で地方に行けない彼女は、東京ドームのチケットを持っていた。

 

宝塚では、手を抜いた演技を観ようものならファンが黙っていない。

もちろん、すべて丸ごと「可愛い、きれい!」と受け止めるファンも居るが

Sちゃんやももちゃんのように幹部クラスのファンは、

厳しい目で観ながら見捨てず育てていくのが宝塚ファンである。

だから、100年の歴史を保ち続けているのかもしれない。

 

京セラで雲の上に昇ったようにフワフワして、

札幌でどん底に落ちたのは私の身勝手であることを反省した。

 

 

そうなると、私のなかの母親目線がムクムクと頭をもたげてきた。

 

このお祭りムードのなか、

バブルで終わらせないで、本物の玉(珠)にするには、

「大野智の核」が必要不可欠であると思った。

 

そこで、必ず目の届くところにメールを送った。

以下は、そのときの 全文。

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  大野 智 さま

 

初めてお便りさせていただきます。

 

私は去年の春から急に嵐ファンになった母親世代の者です。

 

いままで全くご縁がなかったジャニーズの世界に足を踏み入れたのは、

あなたの色気のある歌声とキレのあるダンスの虜になったからです。

 

そして、娘が大野くん、息子が二宮くん、松本くんと同じ歳なので、

ついつい母親目線で嵐の皆さんを見ている自分がいます。

 

今年初めて京セラのコンサートに参加して堪能させていただきました。

京セラで初めて観たあなたの存在感は、4人を支える屋久杉のようで

私の目に狂いはなかったと思わせるものでした。

 

ところが、2か月後の札幌(11・15)で観たあなたは・・・

どうしてしまったのでしょうか?

まったく踊りにキレを感じませんでした。

 

私は、あなたのダンス(DVDで観たものですが)の中に

宝塚のダンスの名手「大浦みずき」を勝手にダブらせていたのですが、

それほど、あなたのダンスは魅力のあるものだと思っていました。

 

11月15日の札幌ドームコンサートの最初の3分の1くらいは、

だるそうで具合でも悪いのか?と思わせるものでした。

 

あなたのダンスや歌を楽しみにしているファンはとても多いのです。

可愛い、カッコイイだけで評価している人ばかりではありません。

 

あなたは、もっと踊れるはずです!

ステージで、輝ける人だと思います!

どうぞ、その期待を裏切らないでください。

 

1年間に、たった15回しかない生のステージです。

その1回しか観られない人も居るのです。

 

その貴重な機会、一期一会を大事にしてください。

ついつい母親目線で書いてしまいましたが、

東京ドームでは輝いている「大野智」とお会いできることを期待しています。

 

嵐さんの、ますますのご発展をお祈り申し上げます

 

  2009年11月〇日     

                                 大宮 ぱん(mixiのHN)  

              ここはもちろん 本名と実年齢

 

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以上が、11月下旬に送ったメール。

老婆心(余計なお世話?)ながら、こう書かずにいられなかった。

 

このブログに真剣なコメントを頂き、

「本気の大野は、タダでは観られない」と、言われてたことを知った。

ならばなおさら、ステージでの手抜きは本意ではないだろう。

 

たぶんあちこちから

札幌での大野智の態度に、

「愛あるダメだし」が出ていたのではないだろうか?

 

Sちゃんに連れられて行った12月4日の東京ドームでは、

輝いてキレのあるダンスを魅せてくれた。


 

そして、12月6日の東京ドーム(ラス日)での挨拶で、

 

「今日はみなさん有難うございました。

えー、あっという間の10年でした。

本当になかなか出来ない経験をさせてもらって。

みなさんに支えてもらってここまで来ました。

これから、なにかあったら言ってください。

もうちょっと頑張れ、とか、もうちょっと出来る子だよ、とか。

言ってくれれば僕、頑張ります。

これからも嵐についてきてください。

今日は本当にありがとうございました」

 

と、この日に参加した友だちが、 

大野くんの挨拶を教えてくれた。

 

私がメールを送ったことを知って

「大野くんが可哀想そうだ」と言っていた人からの報告。

帰りの電車の中でも涙が止まらなかったそうだ。

 

この頃にはたぶんあちこちで、

ファンに対する態度や心構えを注意されたのではないだろうか?

 

で、それに対して、

自分の口から真摯な挨拶のできる人がリーダーである嵐だからこそ、

 

嵐の未来は輝くだろうと思ったことを忘れない。

 

 

 

前回のブログでは、

急にフレディと大野智の話題を独断と偏見で書き込んで、 

クイーンファンと大野智ファンの方は「なぜ?!」と思われたのではないかと反省。 

確かに起承転結の何かが抜けていた。

 

そこで、私のブログをリプログして下さった和子先生のブログにお邪魔して、

コメントを入れさせて頂いた文と共に、ここに改めて書いてみよう。

 

 

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和子さま

 

私のブログをご紹介頂きまして有難うございます。

あまりにもお褒め頂き恐縮してお礼に伺うのも憚られました(汗)

 

実は私はビートルズ世代なので、

この映画を観るまで、クイーンは「キワモノ」と思っていました。

よく知りもしないで「大人の対応」をしていたのです。

 

そう、2006~2008年ごろよく言われた

「いい大人が、ジャニーズ?」のアレです。

まさに私が周囲の大人に言われた偏見でした。

 

「ボヘミアンラプソディ」も最初は物見遊山で観に行き、

途中から涙が止まらず自分の狭量をフレディに謝りました。

フレディのセリフの一つが心に残り、

それから会見を挟んで4月までの間に10回観ました。

 

もちろん嵐にハマった時のように、

手に入る媒体は殆ど手に入れ聴きまくり読みふけり見まくりました。

そしてますます「クイーンの絆」「嵐の絆」について考えたのです。

もちろん私の独断と偏見なので自己満ブログになってしまったのですが・・・

 

アレ⁈

お礼に伺ったつもりが・・・弁解になってしまいました。

長々と失礼しました。

 

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と、和子さまのブログにコメントした通り、

 

 

 実は私は、ビートルズ、クリフリチャードのファンだったので、 

クイーンは名前と代表曲くらいしか知らなかった。 

初来日したことはなんとなく覚えているが、

どちらかというと「キワモノ」というとらえ方をしていた。 

 

日本ではフレディの真似をしたコミックバンドなどが話題になっていて、 

どうしても真面目にとらえられなかった。 

 

 

それから40年以上の年月が流れ、

2018年11月に「ボヘミアンラプソディ」を観る時も、 

フレディ役の俳優がとても似ているみたいだから観に行ってみようと、 

物見遊山で映画館に行った。 

 

観ている途中からコメントにも書いた通り、大野智の顔が浮かんできた。

私が2016~7年ごろから抱いていた漠然とした不安が有ったので。

 

 

それからは手に入るDVD,CD、本など買いあさり、

2019年4月までの上映期間に10回映画館に通った。 

その時はすでに「ボヘミアンラプソディ」のDVDが発売され始めていた。

 

image

 

特にこの中で感動したのは、

 

「ザ・グレート・プリテンダー」というDVD

 

〇王立バレエと「ボヘミアンラプソディ」を歌いながらのバレエ共演、

〇オペラの女王「モンセラート・カヴァリエ」とのデュエット「バルセロナ」発表

〇フレディのファンだった「マイケル・ジャクソン」がラブコールしたのに、

  共同制作がなぜ実現しなかった?(これは笑える!)

〇最後にして最高のパートナー「ジム・ハットン」のことなど

 

フレディが興味のあること、やりたいこと、失敗したことなど

自ら気の置けないジャーナリストに赤裸々に語ってるシーンなど、

「フレディ・マーキュリー」を知るにはこの映像とトークが秀逸!

パーティ好きのスーパースターという仮面の向こうに隠された

「物静かでシャイ」で甘えん坊な人物像が描かれている。

 

 

そのほかに、フレディの最期を知るにはこの本、

「フレディ・マーキュリーと私」に尽きると思う。

映画「ボヘミアンラプソディ」のエンディングでこの二人は

「最後にして最高の恋人」として認められたことがまた泣けた。

 

 

 

さて、この映画を観てるうちに浮かんだ大野智は、

去年の「エルトン・ジョンの映画ロケットマン」でも描かれていたが、

数年前から精神的に不安定になってるのではないかと心配してた。

だから、2019年の活動休止のニュースにホッとした私がいた。

 

このころ、嵐くんたちの母親世代なので老婆心ながら

こんなブログを書いている。

 

 

そして、

2015年の宮城の頃のことが気になって、こんなブログも書いている

 

 

小さな親切余計なお世話なんだけど・・

 

 

私は、たびたび書いているが、

 

宝塚の「大浦みずき(なーちゃん)」のファンだった。

宝塚は卒業してしまうとなかなかステージを観ることができない。

なーちゃんロスが続いていて誰のダンスを観ても心が動かなくなってた。

 

 

そんな時にふと目にしたのが 「Song for me」 を踊る 大野智だった。

それから世間の偏見「いい大人がジャニーズ?」と闘いながら、

2008年に会員登録してもらい(まだ30万番になったばかり)だったので、

生で大野智のダンスを観るのを楽しみにして札幌に乗り込んだのだが・・・

 

 

2009年11月の札幌でガッカリした私は、大野くんにメールしてる。

 

「あなたはもっと踊れるはずです! ステージで輝ける人です!
どうぞその期待を裏切らないで下さい。
1年間にたった15回しかない 生のステージです。
その貴重な機会を大事にしてください。
東京ドームでは輝いている 大野智 が いることを期待してます。」 などと。

 

 

これは mixi にまだそのまま残っていると思うので、

そのうち全文載せてみよう。

 

 

 

 

2018年11月に公開された

「ボヘミアン・ラプソディ」は、

右肩上がりに観客が増えて 2019年4月まで超ロングラン上映だった。

 

2019 年1月に休止会見をした嵐のメンバーは、

2月に5人でロスに旅立った。

そのフライトの中で「ボヘミアン・ラプソディ」を観て、

大野智は泣いたと聞いた。

 

 私はこの映画を最初に観た時、なぜか大野智が浮かんできた。

まだ、会見前だというのに…

フレディ・マーキュリーと大野智では違うのに。

 

そこで、フレディと智について、

どこが似てると思ったか? 備忘録として少し書いてみよう。

 

クイーンのロゴであるあの有名なマークは、

メンバー人の星座や王冠などをアレンジしてフレディがデザインしたものだ。

 

1970 年にクイーンを結成してからしばらくは、クイーンは売れなかった。

 1973 年ごろから注目され始め、

年「キラー・クイーン」が英国だけでなく全米でもヒットし、

75年には初来日して大歓迎を受けた。

 

そして、10月のアルバム「オペラ座の夜」で不動の地位を築くことになり

シングルカットされた「ボヘミアン・ラプソディ」は、

英国史上最高の売り上げを記録した。

 

 

急激にブレイクしてトップに立つと、

それを維持しなくてはならないプレッシャーと、

周りからの期待で押しつぶされそうになるようだ。

 

映画の中でフレディが叫ぶ

「アルバム、ツアー! アルバム、ツアー!」

忙しさのあまり頭の中は渦巻のようにグルグルして

自分が何者であるかが分からなくなり足元がユラユラしてくる。

 

そこに、パパラッチ

英国のパパラッチは、「ダイアナ妃の悲劇」でも分かるように、

日本の○春や○ライデーの比ではないほど執拗につきまとう。

 

これは、去年公開された

 エルトン・ジョンの映画「ロケットマン」の中でも

爆発的に売れた繊細なスターたちへの洗礼のように、

アルコール中毒、自殺未遂など、エピソードとして描かれていた。

 

 

そこで浮かんできたのは2008(2005?)年頃、

大野智が受けた洗礼。

このころはまだSNSが今ほど盛んではなかったけど、

人を信じられなくなったり、膨大な仕事量の忙しさから

足元がユラユラし始めた頃ではないだろうか?

 

フレディに戻してみよう。

クイーンの初期の頃はフレディの作品が多かったが、

クイーンはメンバー4 人全員が作詞作曲が出来て、歌も歌える(除くジョン)

80年代はメンバー間の音楽性の違いから険悪な状態にもなったようだ。

フレディは薬やアルコールに溺れて自分が自分で分からなくなったり、

しばらくバンドを小休止してメンバー各自ソロ活動をした。

 

そして、1985年の「ライブ・エイド」で圧倒的な存在感を魅せつけた

 

このころ、

フレディはソロアルバムMr.Bad Guy(ミスター・バッドガイ)」を制作して発売したが

英国ではともかく、アメリカでは全く売れなかった。

 

世界中を熱狂させることができた 「フレディの歌」 が、売れなかった。

評論家などが言うには、

 「フレディの歌は、クイーンのサウンドで聞きたい」

 というファンが多いからだろうと。

 

 さてここで、私の頭に浮かんだことは

 

フレディが唯一出したソロアルバムの題名が

 「Mr.Bad Guyミスター・バッドガイ)」

 

そして、

2016年にリリースされた「Are You Happy?」の中の

 

大野智としてライブで歌う最後のソロ曲が、

 「Bad boyバッド・ボーイ)」

 

ミスターバッドガイも、バッドボーイも、

「俺は悪い奴、本当の自分なんて誰も分からない・・」と、

自分を解放して飛び出したい自虐的な歌詞

 

それからしばらくして、

フレディが一番やりたかったカバー曲を出した。

 1987 年に The Great Pretender をシングルリリースした。

 

これは、1950 年代のプラターズの名曲「Pretenderをカバーした曲で、

彼女に振られた後でも彼女が居るように振舞ってるという内容で、

プリテンダーとは、うそつき、詐称、食わせ者、といった意味。

 

どうせ食わせ者なら 「グレート・プリテンダー」になってやれ!ってな感じかな?

自分は 「フレディ・マーキュリー」を演じてきたのだと彼は言った。

 

フレディは、ワンマンで目立ちたがり屋のように言われているが、

実はとてもシャイで静かな性格のようだ。

この本や、気の置けないインタヴュアーに話していることから窺える。

 

いったん休止していたクイーンは、

 「ライブエイド」で圧倒的なパワーを見せつけ、

再び4人でアルバム制作に精力をつぎ込むが、

大観衆の前に姿をみせたのは、1986年、フレディ40歳の年が最後になった。

その代わり、ミュージックビデオという形で世の中に表現していった。

  

フレディ生前最後のクイーンのアルバムは、

19911 月にリリースされた14 作目の「INNUENDO

これは病状がかなり進んでいたフレディの体調に合わせて、

メンバーが泊まり込みで作成した。

 

音楽性志向の違いで険悪な関係になったブライアンとフレディだったが、

作詞や作曲について相談しながら

4人の才能が交じり合ったサウンドのアルバムが創られた。

 

その中の 「SHOW MUST GO ON」 は、
 

ブライアンをして、「フレディの歌唱の中での1,2を争う歌唱だ」

と言わしめた、病状がかなり進んでいた中での熱唱だった。

 

この歌は、ジャニーさんのお気に入りだった曲で

ジャニーイズムを表すと、ファンなら誰でも知ってる曲だろう。

 

 このころはフレディの様子を狙うパパラッチの襲撃が激化するなか、

メンバーはフレディを守り切り結束を強めていた。

 

死期を悟ったフレディが、

「とにかく早く詩を書いてくれ、早く歌わせてくれ」とメンバーに頼み

全員でフレディの歌声を残すよう音楽活動をした。

 

そして、フレディの亡き後 1995 年に、

15 枚目のアルバムMADE  IN HEAVEN がリリースされた。

 

この中の「マザー・ラブ」はフレディ最後の歌唱と言われてる。

途中で歌えなくなり、続きをブライアンがつないでいる歌の中で

Mama please let me back inside

というフレーズがある。

 

直訳すれば 「僕をママの中に戻してよ・・」だが、 

 

私はこれは、母体であるクイーンの存在 だと思っている。

 

最期までクイーンのメンバーと相談しながら音楽をつくり、

亡くなる10 日前には

「何をやってもいい、僕の音楽、リミックス、再発、何でもいい

 ただ、僕を退屈にさせないでほしい」と、

 

 ずっとクイーンの一員で居たかったのではないか

 

 フレディ亡き後も、

クイーンは活動続け一度も解散していない。

 

 さて、大野智の場合は・・・

 

会見以降、様々な憶測や関係者が語るといった記事がゴロゴロ出るが、

今年の秋、またまた個展の作品にまで及ぶような記事が出てきた。

 

2015年の個展の騒動の再燃か!?

と思われたが、

 

そこに立ちあがったメンバーのツイート(私にはそう思えた)

 

  翔くんのこれ、image0.jpegimage0.jpeg松潤のこれ、

 

共に、11月のつぶやきで 

もう、これはメンバー愛以外の何物でもないだろう


このブログでたびたび書いているが、

 

大野智は

メンバーと事務所に愛され守られていると実感した

 

フレディにとっての母体がクイーンならば、

 

大野智にとっての母体は、

「嵐」以外の何ものでもないとおもう❣

 



前回の「類稀なる才能は…その2」に載せた

伊藤若冲展は、


の予定だったのに…



と変更されたようですが、



となってしまったようです。

残念なことですが、
今の状況下では致し方ありません。

大野くんの個展は大丈夫かな⁉️

無事に開催されることを、
心より祈ってます❣️



2017年に書いた
「類稀なる才能は…」から3年経って、
嵐くんたちの環境と立場はかなり変わったが
ここ最近で思うことは、
3年前に感じた危惧が杞憂になったようで

本当に良かった。

大野くん、
メンバーに打ち明けられて良かったね。
嵐を休止するという選択が出来たことは、
生馬の目を抜く芸能界では
大変な決心であった事を改めて感じてる。


そして、
「嵐は類稀なるグループだ!」
ということを改めて実感させてもらった。



私は2009年から2011年頃まで、
mixiで「大宮のパン屋の日記」を書いていた。

大宮のパン屋とは、
『硫黄島からの手紙」の防空壕の中で、

ニノが同僚に自己紹介する際の職業のこと。
私はこれはニノのアドリブだと思っていたので、

そのままハンドルネームにした。


2010年、「嵐にしやがれ」がスタートする前に

日テレで放送された「嵐伝」に因んで、
「私的『嵐伝』」という題名で、

さまざまな媒体から得た嵐の情報を基に

自己流の分析などを書いたり、

コンサートの感想など2009〜2011年の間に、

90本くらいの日記を書いたことがある。



「ライナスの毛布」などは、

当時の番組を見て感じたことを書いたもの。

ニノが毎日Johnnyswebで配信してた、

「ゲーム日記」の感想(2008.11.26は秀逸)とか、

翔くんの「オトノハ」から報告された大宮の様子、

Twitterから流れる智智の様子など、

当時は今じゃ考えられないほどの愛ある情報が、

たくさん有ったことが懐かしい。


しかしこの頃から、
膨大に膨れた嵐ファンからの
Twitter攻撃が始まり、
目を覆うようなTwitterやブログやらが、

増えてきたようだ。
ファンを名乗るアンチではないのか⁉️
そんな風に思われるブログが増えた。



2009年の「NEWS ZERO」で、
奈良さんと大野くんが対談したあと、

当時はよく2人一緒に飲んだり落書きしたらしく、
奈良さんの微笑ましいTwitterで教えてもらえた。


「智智で飲んでるよ」とか、
「いま怪物くんを見てます、となりにも怪物くん」

とか、微笑ましいツイートしてた奈良さんが、

ちょっとした言い間違いをしたことに、

大野ファンが噛み付いて、

Twitter上で「ごめんなさい」と、

謝るという事態に発展したことも有った。


その後、ホンワカした二人の会話が、

Twitterから消えてしまった。



そして、

2015年の「FREE STYLE Ⅱ」の時は、

本人が会見で自ら説明したにも拘わらず、

暴走したファンの発言は目に余るものだった。



ファンが憧れのアイドルに希望を呟いたり、

コンサートに希望を呟くのは良いだろう。

でも、この頃から
嵐内にはメンバー格差が有るとか、

事務所から干されてるとか、

どこの情報かも分からずに想像で

書き込むのはどうなのか?




「トキカケ」に松潤が出たときの発言を、

ご存知ないのだろうか?

松潤

「ジャニーさんは嵐にバラードを歌わせたかった」


松岡ほかTOKIO

「だから、大野を入れたのか❣️」…


など、嵐がデビューする前のエピソードを、

TOKIO兄さんたちと話している。

これは、動画サイトでも見られるだろう。


嵐をデビューさせるために、

ジャニーさんがどれだけ大野くんを大事にしたか?

このシーンによく現れてる。



嵐の展覧会の松潤の部屋にも、
その片鱗がよく現れてる。
コンサートを作るにあたって、
リーダーと必ず相談してるし、
2人で海外に行くことが多いのは、
現地のショービジネスを観て、

嵐に還元してるのじゃないだろうか。

もちろんファンはそんな内情を知る由もないけど、


「15年目の告白」の中の5人の話や、

「untitled」の演出を観れば分かるだろう。


今回の大野くんの個展に対しても、
決めたのは本人と事務所だと思うので、

本人の希望で思い通りやる「freestyle」に、
なぜファンは抗議するのだろう?



今までの3回(上海含む)の個展のホールとは違い、
こんな素晴らしい場所でやらせて貰うことを、

素直に喜びたい❣️



このラインナップを見て、
ほぼ時期が重なる「STARS」と肩を並べる
このポスターの位置❣️
日本を代表する現代美術の作家の皆さま。

今までの個展とは違う格を感じたのは、

私だけではないだろう?

しばらくの間、
何も描けなかった彼がやっと、
「ファンのみんなに見てもらいたい❣️」と

心を開いたのだから、

 「freestyle」で 

自分の思い通りにやって欲しい❣️



3年前には開場してなかった

奈良さんの美術館

N's yard」が2018年、

栃木県那須塩原市「青木の道の駅」の脇に完成した。

     完成した頃の「N's yard」

この辺りは少し前までは、

鄙びた温泉に向かう板室街道に近く、

夜になると真っ暗になる場所だったが、

いまやカフェやレストランなどが、

那須に行くたびに増えてる。

でも、

リフレッシュするには適した場所だと思う。



そして、

3年前に「類稀なる才能は…」で少し書いた

  (フォント間違いで読み難い)


大野くんが敬愛して止まない絵師

   伊藤若冲の作品が、

この秋に正式に公開される。


これは、

ロス在住の世界一の若冲コレクターとして有名な

「ジョー・プライスご夫妻」から、

「若冲の作品を息子たちの希望もあり

日本に里帰りさせたい」

との意思を請け負った 山口桂氏が、

プライスご夫妻の

「バラバラにしないで纏めて譲渡したい」

という希望を叶えて、

2017年頃に若冲の作品190点を、

出光に譲渡することで実現した。


今までは皇室所有の作品や、

全国に点在する作品を借りて展示してたのが、

これからは常設で見られるようになるだろう。



世界中に蔓延するcovid-19の様子が

まだ予断を許さない状況だが、

大野くんの作品展も、

伊藤若冲の作品展も、

無事に開催されることを祈ってる。

そして、10年前のように

若冲展に関われたら幸せだろうな❣️




  mixiの日記を移動保存の仕方がわかりません💦

  どなたかご存知の方教えてくださいm(_ _)m

        mixiが閉められない…

{6BFC22B5-F880-4F49-B01B-8EF565E3B534}

  (11月19日の札幌ドーム前の陸橋から撮った写真)

明日から始まる東京ドームのコンサート。

ワクワクする気持ちが盛り上がって来るだろう

ファンの熱気と共に、


嵐くんたちの、

その先に向かう気持ちも

盛り上がってるんじゃないかな?



もう10日以上経ってしまったが、

札幌で「嵐が向かうその先」を見据えて

5人がそれぞれスキルアップした努力に、

嵐の決心を感じた。


    「俺たち5人で嵐!」



「 one for all 」「 all for one 」は、

ラグビーで使われる言葉で、


「一人はみんなのために、

  みんなは一人のために」


と捉えられているが、

本当の意味は、


「一人はみんなのために、

みんなは一つの目的のために」


という意味だそうだ。


ラグビーを解説してくださる方の説明によると、


ラクビーというスポーツは、

ポジションごとの役割が定まっており、


体格もスキルもパワーも

それぞれが違う15人が、

仲間を信頼して始めて

チームが成り立つ。


誰が一番うまいか?


というより、

お互いがそれぞれの役割を

ちゃんとやり、


またお互いを

リスペクトし合わないと

勝てないスポーツなのだ」


とのこと。



そう!

これを今回のコンサートで、

特に強く感じさせられた。


  one for all all for one


「5人で向かう一つの目的のために」



嵐が結成されて、

翌年の大野くんのインタビューが、これ!



「この10ヶ月は本当に、

あっという間だった。 

嵐のみんなは、やさしい。 


こんなに合うメンバーって、

絶対めずらしいと思う。 


自己主張はするけど、

自己中心ではない。 

『自分より 人のことを思う5人組 』   って、感じ。 

 

メンバーはみんなボクより

年下だけど しっかりしてるよ。 

自分の世界を持っているんだよね。 」と。


この後、

「絶対トップになろうね!」

と誓った日から10数年、


このインタビュー時から数えて

17年以上の年月を経ても、

この時の気持ちが伝わって来る嵐って、

やはり、稀有なグループだと思う。




かなり昔に書いたけれど、



世界遺産の話題が出た時に、

屋久杉を嵐に例えたことがある。


どっしり根を張って

4本の枝を支えて輝かせる

屋久杉の根っこって、

大野智のようだと思った。


目立たちたがらないその根っこを、



「俺たちの大将は、大野智!」



と演出してくれたように感じた

メンバー(特に松潤)に感動した。

  

  と感じたのは私だけかな?




ちなみに

song for youは、


二つ前のブログで

希望的観測を書いた通り、


まるで宝塚のミュージカル

のような設定で、


トップスターの歌声で幕が上がり、

次に出てきた「ニノアイ」が、

「ヤンミキ」のようで…


転調して出て来る「翔潤」が、

「ルコピノ」のような


1988年のなーちゃん率いる

花組のミュージカルが浮かんできた

(*⁰⁰*)


これを分かるのは、

コアな宝塚ファンだろうな