高校球児の涙の向こう | 野球と映画、ときどき…

野球と映画、ときどき…

野球中心にスポーツ観戦が大好きです

ただ、映画鑑賞は私のライフワーク

吹奏楽、美術鑑賞、舞台鑑賞そして猫

好奇心のおもむくまま「おきらく」に

生活を楽しむをモットーにしています

今更ショックはありません。
予想通りです。
奇跡や大どんでん返しを願おうが
現状ではやむを得ない決定です。

甲子園中止
高校球児の心情を思えば
かける言葉もありません。

高校野球芸人・かみじょうたけしさん
アンジャッシュ渡部さん
ゴルゴ松本さんや西武の松坂投手が
それぞれコメントを出してます。
秋や冬の甲子園はダメなのか
高校球児にかける言葉がない
今日は思いっきり泣いてもいい。
皆さんのどのコメントも優しい。

元高校球児の母として共感するのは
選手の保護者の悲しみです。
小学生から毎週末グランドに
お弁当を持って通い
少年野球、中学野球、高校野球と
家族一丸で野球ファースト
全力で子供をサポートしてきたのです。
甲子園という夢に向かって
親も子供と一緒に生活の
いや人生のほとんどを
野球に賭けてきたのです。
試合で負けて終われば
納得もしたでしょう。
しかし、戦いもせずして
高校野球が終わるなんて
誰が想像できました?
子供の落胆した姿を見て
すぐポジティブな言葉など
かけられる心情にとてもなりません。

残念という言葉ほど
残酷な言葉はないと思います。
私事ですが私は30年近く前に
死産を経験しました。
その前に流産も経験していたので
待望の安定期に入り後は無事に
生まれてくるだけの状況。
名前を考えたり、大切にしまっておいた
ベビー下着を再び洗い直したりして
その日を待ちわびていました。

けれども人生には
予期せぬことが起こるものです。
赤ちゃんがお腹の中で死亡しました。
その時のショックは、その後再び
子供に恵まれたから薄れたかというと
決してそうではありません。
当時、産婦人科の先生に言われたのが
「残念だわ」という言葉です。
その言葉に私が、どれだけ傷ついたか。
あらかじめ用意された言葉というか
そういう状況で使われる常套句で
抑揚もないマニュアル化された言葉。
心の中で決して忘れない悲しい
記憶として今も残っています。

私の経験と高校球児の心情を
一緒にするのは不適当かもしれません。
けれども大切な夢や
心から待ち望んだ希望を
突然理不尽な形で奪われた悲しみは
簡単に言葉では言い表せません。
全身にこんなに水分があったのかと
いうくらい私は泣き腫らしましたし
食事もしばらくまともに
取れませんでした。

この時、私が思っていたのは
ありきたりな励ましや慰めはいらん
とにかく涙枯れるまで
思い切り泣かせて欲しいという事
だから高校球児も男らしくない
スポーツマンらしくないなどという
世間の声など気にせず
今は思い切り泣いて欲しい。

当時、ウチの主人が泣き続ける私を
前に放った言葉は生涯忘れません。
親(義両親)になんて言おう。
サメザメ泣いている妻(私)の
体を気遣うわけでもなく
可哀想にと声をかけるのでもなく
自分の対面と親の事を先に考える。
所詮、他人事なのだ。
ここから私は主人に
家族への思いやりを
期待しなくなりました。

これから野球ファンやプロ野球選手
野球関係者など様々な立場から
高校球児に向けた励ましや
応援の声が上がる事でしょう。
しかし、当事者である高校球児や
保護者でしか感じ得ない悲しみ
苦しみがある筈です。
悲しいから苦しいから
何を言ってもいいとまでは
思わないけど人をを傷つける事なく
ただ自分の心情をSNSなどで
素直に表現して欲しい。
多くの声が世論となって
大人達が真剣に
高校球児の救済に乗り出す筈。
その声や世論がインターハイも
無くなった高校生アスリート達にも
いい影響を与えて学生スポーツの現状が
好転するかもしれない。

失ったものだけに囚われず
まだあるもの、今できる事に
フォーカスしていこう。

私は当時、最大の希望だった
子供を失い、夫にも裏切られ
実家の母親に泣きながら
報告の電話をしました。
「可哀想に。あんたも赤ちゃんも
そう言って母は電話口で
一緒に泣いてくれました。
私が欲しかったのは
私への慰めや悲しみへの共感ではなく
亡くなった子供への申し訳ない気持ち
私が子供の命を守れなかった後悔と責任
その気持ちに寄り添い
ただ一緒に泣いてくれる人でした。
そして数日、泣きはらした後
私が顔を上げ前を向けたのは
一緒に泣いてくれた人を
今度は笑顔にしたいという
感謝の思いからでした。
ただ、そういう心境になるには
かなり時間がかかります。

残念、頑張れという言葉は
今の高校球児には酷な言葉です。

だから、高校球児諸君
私には君たちにかける言葉はないが
せめて今夜は思い切り一緒に泣こう。
いや、涙枯れるまで
何日でもとことん泣こう。
自分を奮い立たせるのは
泣き腫らした後、心から
湧き上がってくる感情だけ。
そこは信じて大丈夫だと思います。