崖っぷちからの甲子園 | 野球と映画、ときどき…

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崖っぷちからの甲子園

大阪偕星高の熱血ボスと個性は球児の格闘の日々

(谷上史朗著・ベースボールマガジン社・1,500円+税)

 

2015年夏の甲子園

大阪代表は大阪桐蔭でもなく履正社でもない

大阪偕星(かいせい)学園でした。

聞きなれない校名が元「此花学院」と聞いて大阪人は納得。

野球よりタレント彦摩呂さんやアホの坂田師匠の

母校としても知られた大阪の私立高校です。

以前は男子校だったはずですが

いつの間にか共学になっていました。

 

甲子園出場が決まった際も

リアルルーキーズとか

野球版スクールウォーズと話題になりました。

「やんちゃ」と書けば可愛いものの

実際は学校にもほとんど行かない問題児(札付きのワルほどではない)を

野球によって更生させた熱血野球監督奮闘記です。

 

山本監督は自身も波乱の半生を歩んできた人で

この本に書かれていることが真実なら(嘘はあり得ないが)

ドラマや映画になりそうなスポ根ストーリーです。

岡山出身、家族も岡山在住、前任校での不名誉な事件など

この本は監督のプライベートにも踏み込んでいます。

でもそこを避ければ甲子園の切符を得るまでの

真実が書けなかったでしょう。

問題児と言われた高校生を変えた理由を

著者である谷上さんは多少ベタな表現ですが次のように書きました。

「本気」と「覚悟」と「愛」によって子供たちは変わり

チームの歴史は塗り替えられていった。

 

この本が、もしドラマ化されたら

監督のヒューマンな部分が誇張されてしまって

残念な作品になるかもしれません。

それはこの本が

選手はもちろん選手の家族

学園理事長や監督の恩人、関係者などに

しっかりした取材を行っていて

彼らが更生したのは決して監督だけではない

多くの大人の「本気」があったから

と、いうのが伝わってくるからです。

 

なぜ「此花学院」から校名が「大阪偕星」となったのか

2009年経営難に陥った此花学院は塾経営のノウハウで

学校を立て直してほしいと「開成教育セミナー」の創業者である

太田氏に理事長就任を打診します。

開成教育セミナーは大阪府豊中市が発祥の地ですが

当初の10年くらいは生徒数が伸び悩み経営が苦しかったそうです。

しかし、知人からの勧めで大阪市生野区に2校目の塾を出して

そこから経営が軌道に乗り始めたそうです。

太田理事長からすれば学校の所在地「生野」への恩返しのつもりで

此花学院の救済を決めたそうです。

大阪偕星学園の試合用ユニフォームの袖口の地名は

OOSAKAでも大阪でもなく「IKUNO」(生野区)となっています。

 

学校改革として昨今見られるケースは3つあると思います。

少子化対策としての男女共学

イメージ払しょくのための校名変更

知名度と生徒募集のための部活強化と進学実績伸長

なぜ此花学院が大阪偕星となったのか

それは太田理事長の決断でした。

学校HPには「一人(生徒)は皆、星であり~」という言葉があるように

皆という字にニンベン(人)の「偕」という文字を当てはめたようです。

そてと、もう一つ理事長が校名にこめた意味があったようです。

太田理事長が子供の頃、交通事故で

命を救われたのが大阪回生病院(大阪市淀川区)

その「回生」から塾の「開成」そして「偕星」へと

同じ音(オン)を使いたかったようです。

 

この太田理事長の野球部強化策がなければ

そして理事長が山本監督を採用しなければ

大阪偕成学園の甲子園出場はなかったわけです。

 

私がびっくりしたのは監督の究極の夢、願いでした。

「一番望むのは娘と話がしたいってことですね。

(娘と)話ができるならすべて諦めますよ。

野球でも仕事でも、財産でも」

どういうことかは本を読んで確かめてください。

あまりの衝撃に言葉を失うかもしれません。

 

正直、不良少年の更生物語には食傷気味になっています

私は不良少年たちの更生美談が語られる一方で

苦しい家庭環境で周囲の理解や支援がなくても努力している少年や

むしろ野球センスはなくともコツコツ取り組んでいる真面目な少年の姿が

美談の陰に隠れてしまうことが残念でなりません。

そういうと寛容さがないとか若気の至りや失敗を許さないのか

と誤解を生むといけないのですが

目立つところだけ日の当たるところだけを称賛したくありません。

 

 

山本監督は自らの経験も踏まえ問題児たちに

野球という目標を与え大学やプロへの道を与えました。

彼らが活躍することでその教育法や指導法が注目も浴びました。

しかし、特に問題児でもなく野球センスのある特待生や

一般入試で入部した選手にとって監督の指導は、どうだったのか?

私は疑問に思っています。

当然、光があれば影もありますから監督への印象も

選手によって違いはあると思いますね。

 

タイトルの「崖っぷち」だったのは

学園だったのか、監督だったのか、選手たちなのか。

私は過去形ではなく、まだ「崖っぷち」だと思っていますよ。

死ぬまで我が子が子供であるように

山本監督も生涯、教え子は見守る覚悟だと思えました。

教え子たちがそれぞれの世界、社会で

大人としての責任を果たせるようになったら

その時初めて「崖っぷち」から離れられた

と、監督は実感するのではないでしょうか?

 

人を育てるというのは、いかに難しい事か

親、経営者、管理職、指導者

あらゆる世代の育成を担う大人へ送りたい本です。

ノンフィクションの力強さに感動してください。