一杯のかけそば。というお話。

覚えている方も多いと思う。

あのお話は、聞いた人の心を打ち、たくさんの、いや、ほとんどの人が涙したはず。
ところが、である。
ある日その感動秘話は創作であったことがわかるや否や、一転、作者はひどく叩かれた。詐欺師呼ばわりである。まるで、流した涙を返せと言わんばかりに。流した涙がもったいないとばかりに。
ノンフィクションであろうと、フィクションであろうと、感動に違いはないと思うのだけど。

あれほどの有名な話になると、実話かどうかははっきり言明させられ、しかも証明する必要が出てくる。本になっていればインタビューを逃げるわけにもいかず、ということになるのだろう。

ところが、今やネットの時代。
匿名でいくらでも発信できる。(少し前、これだけの匿名性は世界では珍しく、アメリカでは顕名でなければ、相手にされない、と聞いた。今はどうなんだろう)

「先日、◯◯していたとき、…」と書きさえすれば、実話ということになりはしないか?
実話です、と書く必要はない。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、昨日、たまたまネットの記事を引用しているFacebookの投稿を目にしたのだけど、引用されている記事(ブログかな)に見覚えがあって、数ヶ月前、あるいは1年前ぐらいに読んだ記憶があった。

簡単にまとめると、障がいを持つ子供とバスに乗ったとき、他の複数の乗客から聞こえよがしに嘲笑を受け、思い余って降りようと思ったときにバスが止まり、運転手が嘲笑した乗客たちに対して「降りてください。あなた方が乗っていることは他の乗客の迷惑になっているから」と言った。

以下、引用 ↓
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◎バスの中で言葉の暴力を喰らった

10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。
知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。

本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。

・ぶくぶく醜い
・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの
・補助金で贅沢してるくせに
・役に立たないのになんで生かしておくかなあ?

それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。
それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。
あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。

さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」とも言われた。
さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。

『あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんか』と思いながら車いすを外そうとしたら「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」

私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。

そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい!」との声が聞こえてきた。
さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。
その人たちが降りてからお礼を言ったら「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃないと思った。
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このエピソードが事実かどうかは知らない。ただ、以前に読んだ時と時間がだいぶっているからだと思うけれど、この話に違和感を感じてしまった。

まず、読んでる途中まで、書き手を男性だと思っていた。子供が「お母さん…」と言った、というところに来て、エ?お母さん?女性?、と気づいたのだけど、無意識に私は男性の文体だと認識していたのだ。どうしてそんな風に思い込んでしまったのかと読み返して見て、気づいた。それは多分、「暴言を喰らった」「空けてくれたんだが」などの表現が男性であると思わせたのだ。

それはさておき、
それから、嘲笑した乗客は、子供と一緒に乗っていたママさんグループらしいが、私の50年を超える人生で、バスの中で他の乗客、しかも、障がいを持つ子供に対して、回りに、運転手にまで聞こえるほどの声で、嘲笑、罵詈雑言など、考えられない。
例えば幼児が、母親にこっそりと「お母さん、あの子変だね」ということはあるかもしれない。あるいは誰もいないところで、何か腹立ちまぎれに苛立ちをぶつけたり。
または、顔をしかめたり、身を引いたり。

しかし、公然と、バスの車内で、他の人の耳があるところで、というのは、日本人の慣習にはない言動、のような気がして仕方がない。

最近あちこちで目にする、マタニティーバッヂやキーホルダーをつけている妊婦に対する、暴言やワザとぶつかられたりなどの暴行も、実は、これだけ重なり、広がってくると、同じ匂いがする。
模倣犯じゃないけど、私も私も、僕も僕も、・・・ってやつだ。

つまり、ある…弱者に対してのいわれなき暴言や嘲笑に対しては、激昂しやすい国民なんです、日本人は。
世論を動かそうとか、ある見解の方向性を創り出そうとしたときに、敢えて、感動の実話を出すと、簡単に乗せられてしまうのではないか。

決して、最初に書いたバスの中の話や、マタニティーバッヂの話を嘘だと言ってるつもりはない。けれど、「嘘だという可能性がある、と言っている」と受け取られるかもしれないわけで、この文章自体が、誹謗中傷にあたるかもしれないのだけど。

言いたいことは…
煽るのは簡単だ。
実話であれなかれ、教訓とすべきことに変わりはない。だけど必要以上に傾くのは、やはり危険な気がする。

関東大震災の時に広まったデマのせいで、たくさんの在日朝鮮人や中国人がなぶり殺しにあったという。

同じ過ちを繰り返さないためにも、「そうだそうだー」と一斉に走り出すのではなく、冷静に、1度、自分の足下をしっかり見つめてから歩き出すことが必要ではないかと思う。

…と、実はここまで書いて、バスの中の話のURLを探していたら、
いわくアレは、2ちゃんねるのパクリだとか、書いたのは中年男性だとかの記事にぶつかって、チョット唖然としている。