空手歴40年 フルコンから沖縄空手、日本柔術を経験し時に指導もしている川崎が「空手の型のやり方」を解説します!
「茶道」とはなにか?
空手も武士のたしなみの武術であった為、武士道精神というものがどう言うものであったかと言う事は非常に大事です。
ときに「茶道」というものがあります。これが流行ったのは、恐らく現実的な実利を考えての事だったと思われます。
身分制度のため身分の差があると直接話すことが出来なかった当時、茶の湯を立てる主人と客人という建付けで、人に聞かれないように、ちょっと離れた茶室で且つ暗殺を防ぐために刀を持ち込めないように「躙口(にじりぐち)」から入室させて色々人に言えない密談をしていたのでしょう。
ただ、千利休の凄みはその中にでも当時の禅宗思想と相まって当時の武士の武士道精神を融合させた所です。
それがあった為に武士階級に受入られていったのだと思われます。
茶道の四字熟語からもそれが伺えます。
「 和敬静寂 (わけいせいじゃく)」
(意訳)
利休の茶の精神である¨相手を敬えば和になれる¨。相手の個性もそのまま認めて一緒にすごすということ。茶道と禅の真髄、茶禅一味と同意。
「 茶禅一味 (ちゃぜんいちみ)」
(意訳)
茶道の心と禅の極意とは同一である。「和敬清寂」の心とも同一。一心に茶を点て、主客一体となって、所作は流れる水のように間断なく、環境を素直に受け入れて後に心を留めない。
そして…
「一期一会(いちごいちえ)」
(説明!)
昔の武士は何時、戦乱で死ぬかもしれない、無礼打ちにあうかもしれない、切腹しなければならない、など、常に死と迎え合わせに生きていました。
正に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」です。
禅宗の修行僧に「何の修行が一番つらいですか?」の質問に「掃除です。」と答えた修行僧がいたそうです。
ある場所を担当して毎日掃除をするそうなのですが終わった後にチェックされたりはしないそうです。
そうすると、毎日掃除しているので「今日はサボっても誰も気が付かないなぁ…」
という考えが浮かぶそうです。
確かに誰かに何を言われる訳ではありません。
自分との問答です。
自分自身としてそれでいいのか?他人に言われなければやらないのか?それが修行といえるのか?
この、修行が一番つらいと言います。
武士もそうでした。
武士として潔よい生き方をしているのか?武士としてあるまじき行為をしていないか?
自分自身を常に律していたのです。
死ぬことは左程、大した問題ではなかったのです。
「名こそ惜しけれ(命より名誉である)」という精神だったのです。
従って、今を真剣に生きるということに集中したのです。
過去や未来に生きようとはしませんでした。
飄々と淡々と自分のやるべき今をこなすという精神です。
今、お会いした人に精一杯の感謝、と礼儀を尽くすことがその精神性、行動となって行きました。
そう、つまり…
「茶道は現代に残った武士道であった!」
と、言う事になります。
武士の所作は無理無駄を省いた形式美にあります。
良い例が、鎌倉時代から続く武家故実、弓術、弓馬術、礼法を伝える「小笠原流」というものが有ります。
重要とされるのが「立つ。座る。歩く。回る。お辞儀をする。物を持つ」という基本の日常動作の“呼吸と動作の一致”だそうです。
呼吸に動作を合わせ初動のときに吸い、止まっているときに吐き一定のリズムを取ると事で日常動作がなめらかで美しく自然な動きとなり疲れにくく、効率のよい動きになるそうです。
なので、昔の武道は型稽古が中心なのです。
まだ、身体操作ができない初心者を先人の叡智の結晶である「型」という「金型」にはめ込むのです。
その土台の上で、古伝空手でいう「がまく、ちんくち、むちみ」という技法を身につけさせていたはずです。
一部の技法を取りだしても意味はありません。
そして、武士の精神を受け継いだ「健康空手」!
やりましょう!
(ほんとかい!…(`・ω・´)ゞ)
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