空手歴40年 フルコンから沖縄空手、日本柔術を経験し時に指導もしている川崎が「空手の型のやり方」を解説します!
(「薩南示現流」のリメイク版です。)
「薩南示現流とは?」
『薩摩示現流』は『古伝空手』に大きな影響を与えたと言います。
「示現流(じげんりゅう)」とは、薩摩藩の御留流(おとめりゅう:他流試合や他藩士に教授することが禁じられていた)で流祖は東郷重位(とうごうちゅうい)です。
剣風は非常に激しく「一撃必殺」を旨として「雲耀(うんよう:稲妻のはやさ)」という速さを求めます。
立木打ち(たてぎうち)という打ち込みを「朝3,000本、夕に7,000本」日に6時間以上稽古をしたといいます。
熟練者が立木打ちを行うと摩擦で煙が出たと言います…
あの有名な、「蜻蛉の構え」と言う上段の構えから「薩摩拵」といわれる長くて重い日本刀を振り下ろされると斬撃力が半端なかったそうです。
幕末の頃、その打ち込みを受けた侍が受けた自分の刀の鍔が額にめり込んで死ぬ者が多かったというんですから驚きです!
さすがの新選組局長、近藤勇さえも「薩摩者と勝負する時は初太刀を外せ!」と注意を与えたくらいです。
また、その、稽古時に使用する「立木」をヒントに空手の「巻き藁」が考案されたり…
型の稽古段階の「初段、二段、三段、四段」という言い方や三段の型からの「平の型」「安の型」からも分かるように空手への影響がそこかしこに伺えます。
例えば、現代でも型の中に、「平安の型:初段~五段」という型があります。首里手系の空手の道場ではスタンダードな型です。
さらに、その風土として戦国時代から薩摩の軍法、軍律は大変厳しく…
基本:五人を一組として「伍」の単位で行動すること。
伍から離れた者、戦場で1人以上殺すこと、戦場において左右・後方にさがること、隊将の首級を取られ奪還できなかったとき、
本人、伍の者ことごとく「切腹」だったとか…
人の命は薄紙(召集令状)より軽いと揶揄させる風土でしたから、殺伐とした雰囲気だったようです…
従って薩摩の兵士は必死だったのです、その土壇場の切羽詰まった心理状況から「キェーッ!」と云う「猿叫(えんきょう)」で火事場の馬鹿力を出して戦いました。
ちなみに、武術の「気合」も呼吸法とともに、この効果を狙ったものなのでしょう。
つまり…
「古伝空手家は同時に剣術家でもあった!」
と、いうことです。
例えば、古伝空手の父と言われる「松村宗棍」は、薩摩に渡って伊集院弥七郎(いじゅういんやしちろう)に示現流を学んで免許皆伝まで受けたそうです。
また、琉球王朝は中国の冊封体制に入っていた為、松村宗棍も「武成達」と言う中国名を持ち留学の経験もありました。
留学した際の事が、中国の八卦掌(中国拳法の流派)の「系譜雑記」に、示現流の演武を行ったと載っているそうです。
そして、中国人の弟子を取っていたそうです。
中国拳法を習いに行ったというより、剣術(同時に空手も)を教えていたんですね。
如何に、日本武術のレベルが高かったかわかりますよね。
その、「薩摩示現流」を根幹としたうえでの「古伝空手」、当然のことながら日本武術の基礎原理で出来ていたはずです。
どの様なものだったのでしょうか?
そして、現代の「誰でも心身ともに健康」になれる「健康空手!」
やりましょう!
(唐突だな…!…<m(__)m>)
川崎空手教室
お問い合わせページがこちらから出来ます。
川崎市 高津、中原、宮前、多摩、横浜市 青葉、都築、旭区、緑区、東京都 世田谷、近隣のお客様に稽古をしております。
健康維持、健康増進にも効果がある空手の運動、定年後のシニアの運動、女性のシェイプアップの運動、子供向け親子空手教室、などの空手をアドバイスしていきます。空手の型を中心として初心者でも「楽しく」学べ、護身にも役立ちます。