どうも「の」です。

 

 

エルデストの県大会の試合が先週末にありました野球

応援してもらいましたが残念ながら負けてしまいました。

いいところまで追い上げたんですけど、守備でアンラッキーなミスが続いたことと残塁があったことが要因かなダウン

 

 

自分自身のことを振り返ると‥自分でも驚いちゃうんですけどあせる

エルデストの試合が初めてで、久方振りの1番バッターということで緊張していたんだと思います。

(緊張の実感はなかったのですが‥でも笑顔がなかったのも確かかぁ汗

自分の体を上手にコントロールできていませんでしたもやもや気持ちと体がバラバラな感じガーン

 

 

あんな感覚は初めて!?

打席に立ってピッチャーが投げるのがちゃんと見えてるんだけど体が反応しない滝汗

バットを振るという行為が出来ないゲッソリ

脳からバットを振れというサインが体に伝達されずにどこかで分断されている感じ。

まるで素人状態で打席に立っていました。

 

 

”あれ?バットってどうやって振っていたっけ”

 

”え?重心移動ってどうやるんだっけ”

 

 

ドキドキする緊張じゃなかったから余計に自分の体や心が緊張しているという事がギリギリまで自分でもわかっていなかったのですあせる

そんなことってあるはてなマーク

自分でも初めてのことでした。

 

 

私の異変に他の先輩方はもちろん、監督やコーチまで驚く始末ポーン

そりゃーそうだわ、自分でも驚いたもん絶望

でも次の打席で”エンドラン”のサインを出されたのが功を奏したのか、なんとかヒットが出て走者を進める事ができました。

 

 

試合が終わってから初打席とのそれ以降の打席との違いを思い返してみました。

”エンドラン”ということは是が非でも打たなければならない!!つまり自分に選択の余地は無いという事だと思うんです。

だからこそ”打つ”ということにより集中できたのかもしれません。

 

 

それともう一つ上差し

別チームで打撃練習で”エンドラン”の練習を毎回行っていました。

繰り返し、繰り返し行っていましたから、自然に”エンドラン”に体が無意識に反応したのではないかと思うんです。

慣れない1番バッターとして”出塁せねば!!”と思って打席に立つよりも、何度も練習で経験した”エンドラン”で走者を進めるという気持ちで立つ方が体にとっては順応しやすかったのかもしれません。

 

 

つまり日頃の練習で『意識を持ってやっている事』が実践で生きるという事。

試合だからといって実力以上の事はできるはずがない、たまたま仮に出来たとしてもそれはまぐれに過ぎない。

練習でできない事が試合でできるはずがないと思うのですプンプン

だから何度も何度も繰り返す、体が覚えるまで、その技術が身につくまで、自信に繋がるまで。

それらを積み重ねて、自分を過大評価せずに普段の自分の力でやり切るということが一番大切だし、気持ちの面でも負荷がかかり過ぎないのではないでしょうか。

 

 

こういったメンタル面のトレーニングってなかなか素人競技では行わないですよねあせる

アスリートじゃないからそこまで必要ないっちゃー無いんだけど。

でも試合の流れとかってメンバーの気持ちやテンションと比例しているように感じる時もあるから、あながちおろそかには出来ない部分ではあるよね。

 

 

次回の試合に臨む時は”十分にやった!”って思えるくらい真剣に取り組まなきゃいけないなぁ筋肉

 

 

これを見て気分を晴らそうヒマワリ