先日、このような記事を書きましたが、
2026年という年を考えたときに、
「本能で生きる」
ということも、これまで以上に大切になってくるのではないかと感じています。
直感や感覚を大事にする生き方と少し似ているようで、実は本能という言葉には、また別の深さがあるように思います。
直感というと、一瞬で答えが分かる(知っている)感覚だったり、理由は説明できないけれど腑に落ちる感覚かなと思っていて、どこか高い視点から降りてくるような、ひらめきやサインに近いものです。
一方で本能は、もっと身体に近くて、生き物としての反応や欲求に根ざしていて、安心か不安か、心地いいか気持ち悪いか、近づきたいか離れたいかなど、頭で考えるよりも先に、身体が反応してしまうような感覚かなと思っています。
身体の声ってだけになると、それもなんか違う感覚があって、ちょっとニュアンス的な話にはなってしまうけど、
自分という生物としての本能ってなんだ???
って思い出す瞬間も大事なのではないかと思ったわけです。
今って別に、本能がなくても生きられるというか、ある程度、頭で予想したり、考えたりすることで、危険を回避したり、失敗を減らしたり、無難な選択をすることはできる時代だと思います。
情報も溢れているし、経験談や正解っぽいものも、いくらでも探せますしね。
ただ、それで生きていけることと、それで満たされるかどうかは、また別の話なのかもしれません。
条件は悪くないはずなのに、どこかで息苦しさを感じたり、理由は分からないけれど疲れが抜けなかったり、ちゃんとやっているのに満たされないという感覚を抱えている方も少なくないように感じます。
それはもしかすると、理屈では納得しているけれど、自分という生き物としての本能が置き去りになっているのかもしれないと思ってね。
安心しているか、不安を抱えていないか、無理をしていないか、どこかで我慢を重ねていないか。
そうした感覚は、頭で整理する前に、身体のほうが先に教えてくれていることも多いものだと思うので!
例えば、「子供が欲しい」という気持ちも、とても本能的なものだと感じます。
理屈で考えれば、お金も時間も責任も、とてつもなくかかるし、自由が減ることや不安が増えること、キャリアが変わってしまうことなども、容易に想像がつきますよね。
合理的に判断すれば、選ばないという結論に至る方が現代風というか、自然なのかもしれません。
それでもなお、理由ははっきりしないけれど惹かれる、理屈では説明できないけれど湧き上がってくる、みたいな感覚は、損得や条件を超えた、生き物としての自然な反応なのだと思います。
逆に、本当は心の奥で望んでいるのに、理屈や不安だけでその声を押し殺してしまうと、後になって心や身体に歪みが出てしまうこともあるから、自分の感覚と生物としての本能、そして現実的な思考をバランスよく見ていくのが大事かなと思っています。
で、本能で生きるというのは、衝動的になることでも、考えることを放棄することでもなくて、まずは自分という生き物が発している違和感や欲求を、なかったことにしないという姿勢なのかなと思います。
そうした小さな反応を尊重していくことで、結果的に直感も冴え、流れにも乗りやすくなっていくと思います。
感覚や直感を意識できている人はここ数年でめちゃくちゃ増えたと思うけど、もう一つ「本能」っていう視点を入れると良さそうなので今日はこのことについて書いてみました!
自分が生き物だということを忘れていたり、自然の一部であることを忘れて、頭だけで生きていると、本当は気づけるものにも気づけなくなるのかもしれないね!
では!!
今年の年末年始も沖縄でゆっくりまったり過ごしました。
沖縄もだいぶ寒くなってきましたが、昨日は20度を超え、ポカポカ陽気が気持ちいいです( ´ ω` )☀️
今日から仕事始めの人も多いと思いますが、ぼちぼちいきましょうね〜!( ´ ▽ ` )ノ








