16日の日曜日、首里赤田で行われている伝統行事
『赤田のみるくウンケー』を見に行きました

昔は、首里殿内と呼ばれていた場所から、みるくの神様を
お迎えしていましたが現在は「赤田クラブ」という地域の公民館
から赤田町内を練り歩きます。
※「ウンケー」とは「お迎え」という意味
「みるく」は弥勒から来ているとされています。
牛乳ではありません
赤田首里殿内(現在の赤田クラブ:公民館)から
奉納された「みるく」(面と胴の張子)をまとった
「みるく様」がでてきました

報道カメラマンの数がすごかったです

さぁ~これからみんなが待つ赤田町内を「スネーイ」(練り歩き)です
右手にもっている大団扇(ウフオージ)で
頭を仰いでもらうと 『無病息災』
この1年は、病気にかからず幸福になるそうです

私もやってもらいたかったのですが、下の子が怖がって
むりやり抱っこして仰いでもらいました

上の子もひそかに怖がっていたので・・・
一緒に行ったお友達と仰いでもらいました
神様の幸せそうなお顔をみていたら、
本当に幸せが訪れそうですね
首里城の赤田御門にて

みるくの神様の後ろには、子供達による楽隊が続きます。
楽隊は、「赤田首里殿内」という童謡を奏でていました。
スネーイが終わりやぐらの真ん中にミルク様の面と胴の張子
それに「ミルク饅頭」が奉納されています

信仰の由来
今から、約300年前に求道(くどう)長老という僧侶が中国(たいごく)に渡り、あるお寺の禅師から弥勅(みろく)の絵を描いた掛け軸をいただきます。
来沖後、赤田首里殿内(現在の赤田くらぶ:公民館)に納め奉られました。
赤田村の人々も大切に拝み信心しました。
ある年、はしかや天然痘が大流行しますが日ごろから弥勅様を拝んでいた赤田村の人たちへの被害は少なかったそうです。
これは弥勅を信心していたお陰だと信じた赤田村の人々は、弥勅様を今までよりも増して信心する様になったとの事です。
その後(19世紀の初め頃)、嘉手刈ヌ・ウスメーという人が、弥勅の絵像からお面と胴の張子を作成して、弥勅を先頭に路次楽:るじがく(ピーラルラー:中国風の楽隊)、カニ(ドラ)、ンカジ(ムカデの形をした旗)を持った子供達(ミルクングヮ)など総数100名余りで村内を練り歩くようになったそうです。
楽隊の音が聞こえてくると家から出てきた人々は皆、弥勅様に近づき大きな扇で仰いでもらい家族の健康を祈願します。

これが 「掛け軸」です
すごい
日本本土に伝わった弥勒と沖縄のみるくとは、お姿は全く違いますが、元は同じ、らしいです。
沖縄のみるくの神様は、その昔の中国で、弥勒の化身として現世に現れたといわれる、通称布袋といわれた実在の人物のお姿が元になっているそうです。
日本本土では七福神のメンバーの、布袋様ですね。
『みるくウンケー』 こんな感じで~す
