27歳にして、

やっとやっと来年留学することになりました拍手

留学を決意するまでにいろんなことがあって

今思えば、

そのいろいろが今の自分に繋がってる

からスゴイな~と思ったり風船

行きたい所でやりたい事をやるチョキ

好きな事を仕事にする!!!!

と思ってずっと生きてきましたゆめみる宝石

 

ふわぁ~っていう考えだった留学が、

ここまで具体化したのは

27歳になって初めてのこと!

良い年して留学なんて~とか、

少し思ったけど関係なーーいハートOK

同じように悩んでる方がいらっしゃったら、

私の経緯が参考になればと思いますふんわりリボン

 

少し長いけど、

留学に至るまでの経緯を

書き留めておこうと思います。

 

 

元々海外に住んでみたいな~とか

海外生活への憧れはあったけど、

留学してどうしたい!どうなりたい!

とかそんなのは全然なく、

旅行が好きで毎年のように海外旅行へ

行ってたので、旅するうえで英語は必須キラキラ

英語喋れるようになればよくな~い!?ルンルン

ぐらいな感じでした。

 

だから昔から留学願望はあったけど、英語勉強したりとか留学について

検索したりとかはしてなかったです。

 

でも小学生ぐらいから人生設計はしていて、

小学校の時から行く高校は決めてたし、

大学は県外に行くグッ流れ星

ってのも中学ぐらいから決めてたし、

高校の時に栄養士という職業の存在を知って、

理学療法士なりたかったけど目標を変え、

栄養士の道におにぎり

料理は全くできないけど、

食べ物の勉強面白そう~♪

それに、食べ物だけじゃなくて

医学とか骨格筋とか身体の構造も勉強するんだ!

それなら食と骨格、そして医学。

人間の中も外も知識持ち合わせるって最強じゃんニヒヒグッ

それに料理上手って女子力高い~ハート

と思い、管理栄養士養成校へ。

 

卒業後は沖縄に戻って、

絶対病院で働いて、NSTとかバリバリこなして、

プライベートでは友達とルームシェアして、

いつかは島とかで暮らしてみたいなぁ~ピンクハート

 

って漠然と考えてたのが、

振り返ってみれば全部叶ってるハッ

だから、

今離島で生活してるのも自分で望んだことだし、

ここに来たから

お金が貯まって留学にこぎつけたのもあります!

 

 

 

大学時代は留学してる友達から

話を聞いて憧れて、

いつかは自分も酔っ払いハート

とか思ってたけど、、、

 

月日は流れ大学卒業(栄養学科)

管理栄養士国家試験に無事合格拍手キラキラ

地元沖縄に帰り、病院へ就職。

(管理栄養士として正社員採用)

 

同期入職した栄養士が高校の同級生だったし、

栄養科も20代が多く

とても仲良くて人間関係にも恵まれハートキラキラ

自分が目標としていた、

好きな事を仕事にしている~ニヒヒルンルン

 

と、ここまでは本当にトントン拍子でした。

病院での仕事内容も、

急性期の総合病院だったので、

管理栄養士の資格を大いに生かせる

NSTと栄養指導中心の業務。

しかも1年目は整形外科を担当させてもらい、

人口膝関節置換術(TKA)後の患者さん

と多く関わって、

リハの方にも色々教えていただきました。

2年目からは、腎、呼吸器、循環器、消化器、外科、形成外科

など一通りの病棟を担当させてもらいました。

栄養指導は多い時で月50~60件、

NSTは2~3チームあり患者さんのデータ収集

に追われる日々。

 

カンファレンス参加や、

チーム医療を大切にしている病院だったので、

勉強会も多くて多忙な毎日でした。笑い泣きガーン



外国人の患者さんが入院してくることも

珍しくなくって、

食事の聞き取りや簡単なアレルギー対応など、

英語で聞き取るってゆー事もしばしば。


英語の勉強はした事無かったけど、

幸運にも外国語と関わる機会が昔から多くて、

ちっちゃい時から

ディズニー映画は基本英語で見せられてたし

クリスチャンの友達に連れられて

教会のクリスマスパーティで

外国人と触れ合ったり、

高校のバイト先が国際通り近くだったから、

海外から来た観光客とお話したり、

大学でも留学生が多く、国際栄養学とゆー

授業をきっかけにして

外国人の友達が沢山できました。

日本に来たばっかの子は、

日本語より、英語が得意だったから

教え合いっこしたりデレデレ

大学時代のバイト先が

外国人のお客さんが多かったのもあって

自然と日常会話程度の英会話は

身についていました(*⁰▿⁰*)


だから外国人の患者さんが入院してくると、

久々の英会話音符と思って

少しワクワクしてましたデレデレ


留学してたの?

って言ってくださる患者さんもいたし、

あなたがいたから、

入院生活も悪くなかったよグッ

って言ってくださる患者さんもいて、

英語もっと上手になりたーい!

て外国人が入院してくるたびに思ってたなー。

でもハッ

やっぱり言葉の壁にぶち当たる事の方が多くて、

大学の時はあんな理解できてたのに、

英語と離れた生活してるからか

全然単語が分からない、思い出せない、

とかチーンチーン

でも日々が忙しすぎて、

本格的に英語を勉強しよう!

とは思ってなかったです。



上司も素敵な方だったし

職場の雰囲気も良かったので、

病院の忘年会で皆で余興に出たり、

平日からよく飲みに行ったり生ビール

毎日が充実していました。OK風船

 

忙しい毎日を過ごしてると、好きな事を仕事にしているはずだったのに・・・

だんだん不満が・・・

 

「このカンファ意味あるの?」

「NSTって、ただの病院の点数稼ぎの為のチームじゃ?」

「栄養指導は件数こなすんじゃなくて、担当制の継続指導が良いのに・・・」

私はNSTがあまり好きではなかったみたいですゲッソリゲッソリ

病院栄養士として働くには、

NSTに積極的になれないって

かなり致命的ドクロ

 

それに、治療食のことは知っていても

知識だけで実際に作れるかってゆ~と・・・

ほぼ病棟勤務だったので厨房にいることはなく、調理なんて全く!!

管理栄養士という資格を持ちながら、

患者さんに偉そうに栄養指導してるくせに、

調理技術が伴ってないって恥ずかしい~笑い泣き

美味しいごはん作れるようになりた~い!

調理にもっと関わりたい!

美味しい献立立ててみたいおにぎり

という思いが入職3年目にして爆発酔っ払いハッ

 

 

お世話になった病院を退職し、

学校栄養職員という新たな道へ進みましたおすましペガサス

これまた留学からは

離れた道に進んだと思ってました。

 

でも、

この学校栄養職員になってからの出会いで、

また!!!

留学に気持ちが大きく動くことになるのです(*^◯^*)

どこに

どんなきっかけが

落ちてるか分からないなニヤニヤ


ここまでで、前半一旦終わります。

ふぅー長かった。