津嘉山正種さんと仕事ができる幸せ
青年座で津嘉山正種さんと打合せ。
「高山さんのお読みになったカクテル・パーティー、是非聞かせてください」
「津嘉山さんにお聞かせするなど、お恥ずかしいかぎりです。弁解ではありませんが、物理的な制約がたくさんあって、忸怩たる思いがあります。」
「いや、山には、いろんな登り方があります。大切なのは、登り始めることだ」
誘われて、津嘉山さん行きつけの居酒屋へ。
普段は殆ど沖縄について語られることはないのだそうです。だがこの日は、たくさんの沖縄のお話を聞かせてくださいました。大病されて、なお熱く、すばらしい俳優さんです。
元気な青年座の役者さんと、沈思黙考のふたり。
気がつけば日付が変わりました。
すばらしいものが出来る、今日、それを確信しました。
「対馬丸の悲劇」中島高男さんの講演
和光大学付属の小学校は、世田谷と町田の鶴川に2校あります。先日は世田谷の小学校にお伺いしましたが、今日は鶴川小学校です。
6年生の授業で、対馬丸の船員だった中島高男さんをお招きして体験談を聞くとのこと。その授業を、私たちも参観させていただきました。
授業前の校長室にて。
中島高男さんです。
中島さんは82歳。15歳で対馬丸の船員となり、それから2年後の17歳の時に、あの対馬丸の悲劇に見舞われたのです。船員で生き残られた方も何人かいらしたそうですが、現在御健在なのは中島さんおひとり。他の方は、もう皆さんお亡くなりになってしまわれました。
いよいよ子どもたちの前でのお話です。
戦争が始まった頃のお話から、当時対馬丸がどのような仕事をしていたか、そして疎開する子どもたちがどのように船に乗り、そうして……
中島さんのお話しを、子どもたちも食い入るように聞いています。
中島さんは、特にことさら誇張してお話されたわけではありません。ただ体験されたことを淡々とお話になっただけです。ですから、ここでそれを文章にしてご紹介することも容易なことかもしれません。しかし、中島さんの肉声だからこそ現れてくる心と、思わず漏らされた中島さんの嗚咽を伝えることは決してできません。
「対馬丸のことをしゃべったら、軍法会議にかけて処刑する」
これは「かん口令」などではなく、中島さんにとっては、日本軍の「脅し」以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。17歳の青年にとって、それがどれほどの恐怖であったか、想像に難くありません。
そうして中島さんは、結局33年間、口を閉ざすことになるのです。
今、沖縄の戦争の真実をめぐって、様々なことが言われています。だからこそ一方で、ようやく重い口を開き始める方もたくさんいらっしゃいます。そうした方を含めて、体験された方々の搾り出されるような「声」に耳を傾けることの重さを、今日は改めて思い知らされたのです。どこかの誰かの論説に影響されて、そして早急な結論を出す前に。
あっという間の1時間半、貴重なお話、本当にありがとうございました。
行田校長先生にも、このような機会をお与えくださいましたこと、改めてお礼申し上げます。
山猫合奏団のコンサートでCD販売
「おきなわおーでぃおぶっく」をプロデュースするM.A.P.は、「おきなわおーでぃおぶっく」の他にも山猫合奏団などの音楽ユニットのプロデュースもおこなっています。
「カクテル・パーティー」を朗読する高山正樹は、山猫合奏団のメンバーでもあります。
その山猫合奏団のコンサートが、10月11日、東京の神楽坂にある田中寺にて開催されました。
《ピアノとチェロと語りによるセロ弾きのゴーシュ》
第1部 コンサート
第2部 セロ弾きのゴーシュ
Official Siteのご案内記事
そこで「おきなわおーでぃおぶっく」のCD「カクテル・パーティー」が販売されました。
今後も山猫合奏団の公演の際、条件が許す限り
「おきなわおーでぃおぶっく」のCDを販売してまいります。
「おきなわおーでぃおぶっく」ともども、山猫合奏団もよろしくお願いいたします。