これまでの経緯
20代
子宮腺筋症と診断
30代前半
卵巣嚢腫・子宮内膜症と診断
30代後半
結婚と同時に不妊治療開始
(自費採卵2回→凍結卵5個)
不妊治療と並行して、腺筋症や内膜症の治療
(ジエノゲスト・レルミナ・リュープリン等)
移植2回→1回着床→24週死産
移植2回(最後は2個移植)→1回着床→ここ
救急外来へ電話
そのときは転院前だったので、ずっと通っている総合病院へ電話してもらいました。
外来の看護師さんへ繋いでくれた模様ですが、本人に変わってほしいとのこと。
わたしは貧血でフラフラ状態だったので、ベッドに寝ながら電話に出ました。
電話の向こうには、聞き慣れた看護師さんの声。
前回の妊娠のとき、子宮内で心臓が止まっていると診断され、その日一日対応してくれた看護師さんでした。
その後も不妊治療の外来でお会いすると、かならず声をかけてくれていました。
ひとまず、いまは出血は止まっている。
痛みはない。
ということを伝えると、
コロナ罹患中ということもあるから、あしたの外来でいいかな?という答えでした。
わたしの自宅療養期間は、きょういっぱいで終わるからです。
電話を切ると、いつも冷静な旦那さんが、
『なんですぐに診てくれないんだ!!こんな状態なのに。そんなのダメだよ!!』
と、めずらしく興奮気味。
でも陽性なのはわかっているし、病院の迷惑になるのは嫌だ。
痛みもないから、とりあえず様子を見よう。
と、なだめて、ベッドに横になっていました。
1時間ほど経って、旦那さんが夜ごはんを用意してくれましたが、気持ち悪くて食べられそうにありませんでした。
そして、先ほどまでなかった痛みが。
この痛み、記憶にありました。
『やっぱりもう一度病院に電話しよう』
と、今度は時間外の救急外来へ電話しました。
今度は産婦人科の先生と話しました。
『いますぐに来ても出来ることはないから、様子を見ましょう』と。
それから15分ほど経つと、今度は病院から電話がありました。
『やっぱり心配なので、これから来てもらえますか?入院の準備をして』と。
入院の準備はしていなかったので、とにかく近くにあったものを詰め込んで、車で病院に向かいました。
このときは、出血は止まっていましたが、痛みは少しずつ強まってきていました。
夜間救急
受付を済ませると、内診台のある部屋に通されました。
誰も来ません。
そのあいだにどんどん痛くなるおなか。
『やっぱり陣痛だ。』
確信に変わりました。
旦那さんは陽性中のため、車で待機中。
誰にも助けを求められずにとにかく待ちました。
数十分経って、看護師さんと先生が来ました。
おそらく婦人科や産科の看護師さんではないと思われました。
とっても準備が遅い…
内診台に座ってと言われたけど、動き出した瞬間にまた出血を感じました。
『絶対に大量に出ます。シートかなにか敷かないと、絶対に汚してしまうので!!』
と伝えて、初めてバタバタと準備。
座った瞬間、溢れ出すのがわかりました。
あのとき、下着ではなく生理用のオムツで行った自分を褒めてあげたいです。
先生はすぐにエコーをしてくれました。
『あかちゃんは元気に動いてますね』
ホッとした次の瞬間。
先生とわたしと同時に声が出ました。
『あっ…』
はい、この感覚は忘れもしません。
破水です。。
『先生…これは…』
先生は静かに、
『一度内診を終わります。ゆっくり話しましょう』
そう、言いました。
絶対に常備!
わたしはぽっちゃりなので、XLです笑