神霊界の神秘より


宿命は変えられませんが、運命は変えられます。


そのためには、

一、真の信仰に目覚める(これは宗教や教団に入ることではないのです)。

朝、太陽に合掌したり、神棚に日々の感謝のお祈りをする。

二、心を込めた先祖供養をする。

三、常に"明るい心""明るい笑顔"で人々に接する。


人生において理想とする"目標"を高く立て、毎日"努力"を怠らない。

四、功徳を積む。


どんなことでもよいのです。


他人に親切にする。


困っている人を助ける。


神様におよろこび頂けることを何でもするのです。


どんな親切でも、一年間毎日すれば、功徳という心の宝物ができます。


それを三年間続けただけでも運命はどんどん好転してきます。

そして忘れてはならないことは、親に感謝です。


親孝行をして下さい。


またどんな小さな功徳でもたくさん積めば花が咲きます。

私も若い頃、どんな小さなことでも何か世の中のお役に立ちたいと無性に考えた時期がありました。


日本中の老人ホームを次々回って、トイレのお掃除をして全部のトイレに美しいお花を飾りたいと思ったりしていました。

そんな時、偶然に出会った霊能者に、

『今、貴方はそれをしなくても、貴方でなければできない使命があります。神様から、その使命が伝えられる日が間もなくやって来ます。その日を待ちなさい』、


といわれ、私の神様へお仕いしたいという、あの大きな"お願いごと"が聴き入れて頂けたのかしら、とも思いました。

でもまだその時は半信半疑でした。


その後、私は重度の心身障害者緊急介護人の名簿に登録されたり、以前から習いたかった"手話"を習ったりもしましたが、それは心だけの福祉参加で終わってしまいました。

私が神様と最初にお会いしたのは下町のキリスト教会でした。

小学校二年生の二学期から日曜日になると旧約聖書を抱え、日曜学校に通ったものです。


私はあの頃から、"大人になったらイエス・キリスト様や聖母マリア様とお話をしたい""神様にお仕いし、世の中のために働きたい"と思い、今日まで祈り続けて参りました。

いつの間にか、その時から四十年もの月日が経ってしまいました。


でも私の神様へのそうした、子供の頃からのお祈りはすべて成就させて頂くことができまして、今ではあの憧れの聖母マリア様ともお話(審神者)をさせて頂いております。アーメン


本当に畏れ多いことですが、キリスト様にも窮地を救って頂いたり、もったいない程のご守護を賜っている今日この頃でございます。アーメン

十八歳の高校三年生の卒業も間近のある日、母が隠していたのですが、私の就職のために用意した戸籍謄本を、こっそり見てしまいました。


私の名の下に養女と書いてあり、私は貰われた身の上であることを、その時初めて知りました。

あの時の驚き、そして人間の身体の中にあんなに涙があるなんて知りませんでした。


止まらない私の滝のような涙は、母の内職ですっかりすり切れた古い畳に大きく丸く染み込んでしまい、なかなか乾いてくれませんでした。

でも翌日にはそのショックは、父母への大きな感謝に変わりました。


そして日増しに、両親への"感謝"が募り、この感謝を、神様とこの世の中にお返ししていく以外にはないと決意も新たになりました。

そして以前より"神ながらの道"を歩むことを強く思うようになりました。

私は毎晩休む時、そのお願いを筆で書き、小さくたたんで自分で、そっと枕の下に置いて休みました。

"神様どうか私を日本一の霊能者にして下さいませ。神様とお話できるようになりたいのです。そして神様のお仕事をお手伝いさせて下さいませ"


と真剣にお願いしました。

現在は、弘法大師様はじめ、多くの神様方とお話をさせて頂けるようになりました。


ご守護、ご加護も賜り、日々お導きも頂きまして、もったいなさと幸せで溢れそうでございます。

期間こそ長くかかりましたが、私は毎日の独自のお祈りを、すべて神様方にお聞き頂き、すべてを成就させて頂くことができました。

これは"お祈りで運命が変わった""お祈りを神様に聴いて頂けた"と思っております。

どうぞ皆様も間違った宗教、教団に入ることなく、ご自分の守護神様に、尊い独自の朝のお祈りをして、先祖供養も忘れずに行って下さい。


そしてますます運命を素晴らしいものにして頂きたいと思います。

私の両親は養父母です。


私が一歳の頃実父が病死したため群馬県の桐生の山奥から私を貰って上京してくれました。


ですから今の私の両親は私の生命の恩人なのです。

今日の私は、この両親あったればこそですが、それは私を貰ったために苦労の連続でした。


特に私の母は神様方にも"偉大な母"とおほめ頂いておりますが、その八十二歳の母に私はまだ親孝行らしいことが余りできず心苦しいのです。

して上げたことといえばお経の尊さを話し、般若心経をお唱えするようにと勧めたくらいです。