いわ子先生より

心をこめて神様に感謝の気持ちで、声をだしてお経をお唱えすることを"読経"といいます。

同じようにご先祖様に心をこめて読経をすると、そのお経の功徳が供養となります。また、どうしても神様にお願いごとのある時は、『神様、まことにあつかましいのですが、実はお願いがございます』と控えめに申し上げてから、心をこめて読経をし、それをお供えとさせて頂きます。

読経より写経の方がよい場合は、仏像を創ったり、その仏像をどこかにお納めする時に、その仏像の胎内に写経を入れたり、仏像とその台座の間に祈りをこめた写経をそっと入れるとよいのです。写経の枚数は霊数の三枚、五枚、七枚、十三枚、二十一枚、三十三枚、百枚、百八枚の中などで選ぶとよろしいのです。

また、納棺、納骨の時も写経を一緒に入れることはとてもよいことです。"ご香典"の中に同封して差し上げることは、素晴らしいことです。それは尊い供養であり、亡くなった方には最高の贈り物です。その写経は当然お棺の中へ入れて上げて下さい。

最近では"お経のテープ"がたくさん出回っているようです。残念ながら、先祖供養に他人が唱えたテープを流す人がいますが、それは駄目です。"読経供養"の価値というものは、どの位その人の"心"が込められているかによるのです。


お経は上手に唱えられなくてもいいのです。また五十回、百回とたくさん唱えればよいということでもないのです。供養をして上げようとする人の心なのです。お坊さんの読経にしても同じことがいえます。お坊さんの人格、霊格の高さによって供養の尊さも変わります。"供養"は心なのです。一般の方々が下手でも、ポツリポツリ唱えるのでも、誠意がこめられている読経なら、その方がいいのです。『神様!(またはご先祖様!)尊い般若心経を私のような下手な読経で本当に申し訳ございません。だんだん上手に唱えられるようになると思いますが、それまでどうかご無礼をお許し下さい』と心から、素直な対話(神仏に対して)をしてから、般若心経を唱えればよいのです。これが心というものです。

祈りは"心"です。供養は"心"です。

"般若心経"は宗派を問いません。また般若心経は八万巻のお経の中から選び出された尊いお経です。

合掌




畏れ多いとは思いますが

お一人でも多くのかたを

お救いしたいと思っております。


南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛


合掌


日本に大きな災いが起こりませんように
日本が平和でありますように
地球が平和でありますように
宇宙が平和でありますように
どうか、どうか、どうか、
よろしくお願い申し上げます。

合掌