ふと思った事について書きます。
私はよく『自分』がぼやける感覚があります。
自分と他人の境界がはっきりしなかったり、感覚が自分のものかどうか分からなくなったり。
…っていうか『自分』って一体何なんでしょうね…
でも、そんなぼんやりとした自分が、それなりに大事にしていることがあります。
それは、他の誰でもなく『自分』が決めること、です。
私達は常に何かを選んで判断して生きています。
しかも、ほぼ無意識に。
まあ、無意識の部分は今回置いといて。
何事かを判断する時って、いろいろなものを参考にします。
世の中の動向だったり、多数決だったり、誰かの言葉だったり。
たくさん考えて、周りの意見も聞いて、最近だったらAIにも教えてもらったりして。
それでも決められない時は占いだって頼ります。
何を参考にしたっていいんだと思います。
だって失敗したくないし間違えたくないし嫌われたくないし辛い思いもしたくないんですもん。
言われた通りにしたっていいんです。
でも、そうしようと決めたのは『自分』のはずです。
だから『自分』がそう決めたことを尊重したいんです。
社会や占いや誰かのせいにはしたくない。
だってその責任をそれらに委ねてしまったら、そこに『自分』は存在しなくなってしまうから…!
最終決定権は常に『自分』が持ったままにしていたいのです。
他の誰でもない『自分』の人生、なのだから。
この世は残酷なこともしんどいこともたくさんあります。
だから決めたことを自分の責任するのは、とてもとても辛い出来事だってあると思います。
だから、断言はできません。
でも決定権を委ねて、起きた出来事を全て周りのせいにしてしまうと、それ以上も以下もなく固定されてしまう気がします…。
私はそこそこ山あり谷ありの人生を送っていますが、人生の大きな分岐は 『自分』で決めてきた、と思い込んでいます。
後悔したことも、たくさんあります。
でも『自分』で選んだのなら仕方ない、って諦めもつきます。
そして自分が決定権を握っていれば、その出来事を何にでも…それこそ財産にだって変えることができる気がするのです。
結局『自分』って分からないのですが…
自分で決めている感覚があれば、そこにあるのは『自分の人生』になりそうです。
そして死んであの世から人生を振り返った時、あちゃ~と思いながらも「ああ、これが『自分』だったんだなぁ…」って思えるかもしれません。
だから本当に、人生は『自分』探しの旅、なのかもしれませんね。
感覚で書かせてもらいました。
ちゃんと勉強してない立場でモノ申してすみません。
読んで頂きありがとうございました🙏
写真:年末年始は実家に帰省。
故郷はやっぱり何となく落ち着きます。




