8/16に放送されたスイッチインタビュー(Eテレ)が面白かった。
「成功も脳を使うだけでできるのでは?」というゆりやんレトリィバーが
脳科学者の西剛志さんから脳のお話しを聞く回。
(↑番組内でゆりやんがやっていた性格診断)
脳にはクセがある、という実験で
幾何学模様の中にある点を「数えてください」と言われたゆりやんが「12個」と答えて、
それは正解ではあったのだけれど、
「有るはずの点が消える」という現象が起きていたこと。
脳は、注目している以外のことを無かったことにしてしまうこと。
つまり、
その事ばかり考えていたらそれに関する情報が集まってくる(見る)ので
「成功しやすくなる」こと。
この実験を観ていて
「信仰じゃん!」と思いました。
時々、我が家に宗教の方が宣教に来られます。
色々な宗教の方々がそれぞれに信じたものを「善い」と感じて
「みんなにも教えたい」と大真面目にやって来る。
そうしたひとたちの大半は、本当に救われていて、奇跡も体験しています。
だから、それを批判や否定されたりすると
「本当のことなのに!💢」となる
(エホバの証人の場合、ここは〝サタンのせい〟で一件落着ですが笑)。
これ、
脳の癖がめっちゃ出ているなーと思うのです。
見ているところ=信じているところ。
信じているから見るし、体験する。
そうして信じたことが確信になって、その世界を生きることになる。
信じるものは救われる、というやつですね。
これを単なる「脳の癖」と理解したら
「わたしには無いけど、あなたには有るのですね」
「あなたには無くても、わたしには有るのです」という
他者理解に繋がります。
わたしは宣教の方のお話は聞きません。
いつも「わたしは結構です」とだけ言って帰っていただきます。
でも心の中ではいつも
「色々言われるかも知れないけれど、がんばって」とエールを送っています。
その方が信じている世界はその方の世界。
わたしにはわたしの世界があります。
その方の世界を信じることの出来ないわたしがそちらへ行っても
何ひとつ救いも奇跡も起きないでしょう。
起きたとしても救われないし奇跡にもならない。
センスが違うから。
ひとつの真実、問題に対してひとの数だけ起こす行動は違います。
何を信じているか、が世界をその様に見せます。
どうしてそれを信じたのか、がセンスです。
センスには正解も不正解もありません。
合うか合わないか、それだけ。
自分のセンス、感覚は信じていたらいいと思います。
奇跡も見るよ。
ひとがひとを傷つけることは出来ない,という真理も同じこと。
他人からの指摘が自分の信じていることだった場合に傷付きます。
これは仕組みなので、自らを顧みるときに用いることのできる学びですが、
自己主張の為に他人を批判していたひとが
「これに傷付くということは、あなたがそう思っていたということだから」
「自分の内に無いものはみられないから」と
自分の言動に傷付いたひとたちに向かって言っていると知ったとき、
「お前が言うな」と思いました。
ひととしてのセンスも大事。