正当医学の三好先生から教えていただいた

「健康病」ということばがあります。


健康病とは、健康になるために健康であるために

あれこれが必要だと信じている病。


わたしはしっかり罹っていました。

無自覚無症状なので、罹っていたことに気付いた時にはびっくりしました。


今回は健康病についてわたしの理解を書いてみます。


例えば新型ワクチンの件について。

特に何も考えず世論に合わせて接種するとか、

調べて考えて必要と決めて接種する、

信用出来ないからしない、

調べて考えてしない等様々ありますが、実はこうしたひとは全員、健康病です。


自然派の「医者にも薬にも頼らない」と言いながら

症状を抑えるためやデトックスのために

あれを食べれば飲めば塗れば貼れば…と言っている方も健康病です。


先日のMAMEHICO銀座店で開催された「面白可笑ひこ」で

サンデールームオーナーのミツコさんがインタビューに答えるかたちで

「からだに良い食べ物はない」と言った時、会場が一瞬シーンとなりました。

この「え?」という反応。

これが健康病のひとつの症状です。


一般的な‘’健やかに生きたい‘’と願っているひとは

健康のために食物を栄養として、植物を薬として観ますが、

健康病にかかっていないと

食物を栄養としてみないし、植物を薬としてみないのです。

つまり「からだに良い食べ物」という概念が無い。


では先に書いたワクチン接種について

接種しないひとも健康病とはどういうわけか?というと

健康病でなければ、どんな疾患も「必要なら罹る」と分かっているから

ワクチンの内容がどうであろうと、そもそも要らないので

ワクチンについての是非を考えるテーブルにすらつかないのです。


わたしがこどものころから不思議に思っていたことがありました。

それは、

「この地球上には自然から生み出されたもの以外存在しないのに

地球にとって好ましくないものがどうして現れるのか?

完璧な神がすべてを創造したのに

神にとって好くないあれこれが存在するのはなぜか?」ということ。


この答えが、健康病の理解のなかにありました。


人間のご都合主義が自然のちからを利用してきた事が

不自然だったからなんだ、と。


自然には秩序がある。その秩序が乱れたら、自然は本来へ戻すために働きます。

この働きが、ただの忌まわしい苦痛になるか

ありがたい浄化作用になるか、

自然の働きに対する理解の深さで受け止めはそれぞれだと思いますが

わたしが学びの最後に行き着いたのは、わたし自身のご都合主義でした。

これをやめていく実践に入っているところです。


苦痛の最中に現れる忌まわしさをのまれず眺めることがようやく出来る様になりました。

苦痛は実によい試練です。弱さもしっかりみられるので、他人に優しくなれる。

そういえば、わたしは他人に優しいひとになりたかったのでした。ラッキー!


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個人的には、自然栽培って覚悟だと思います。

覚悟を持って生きるひとたちと

これからもますます出会っていくことを楽しみながらいきます☺️