うどん屋木村です。
大木戸うどん福岡舞鶴店を閉店して、
福岡市博多区須崎町に
「純手打ちうどん こきど」として移転オープンして、1年半が経ちました。
ホントは2024年の7月に開店して、その年末休みを利用して書くつもりでしたが、
どうにも、やっていける自信を持てなくて、
書けませんでした。
今日は、店名を「こきど」とした本当の理由を記します。
まず、「大木戸」という店名で移転することが出来なかった理由を。
それは枕に『純手打ちうどん』と付けたかったから、です。
私、木村真は、機械を全く使わずに、うどんを造ることが出来ます。
(ただし、たくさん造ることは叶いません)
これを黙ったままでいるのは、
メジャーリーグに行った野球選手が「メジャーリーガー」と呼称されないくらい、
もったいないことだと思ったのです。
私は、私の手で打ったうどんの味を機械で再現することは不可能だと思っていたので、
移転に際しても、手打ちを続けることを根底にして、物件探しをしました。
たとえスケールダウンしてでも、一人きりで営業することになって、でも。
ただそうすると、香川にある兄の店との違いが問題になります。香川の大木戸では、機械を使っているからです。
実は、香川県にある、うどん店のほとんどが、機械打ちです。
でもこれは、当たり前の話です。
何百人前という量のうどんを、手で造るわけには、いきませんから。
味も、もちろん大切ですが、製造する量と、それにかける時間を考えて、機械を使っています。
それでもって、地域の人達に貢献してます。
だから私が福岡で、
「純手打ちうどん大木戸」
と名乗ってしまうと、
その情報を見て香川の大木戸うどんに行った人は、戸惑ってしまうだろう、と。
そう思って、店名を変えることにしました。
「おおきど」と似た「こきど」
にしたのには、
以前の舞鶴店に通ってくれていた人が、
「あれ?もしかして?」と、
見つけてくれやすいのでは、
という計算も、ありました。
「こぢんまりしたから、こきどです」
というのもまた、笑い話にできて、
いいと思っています。
でも本当の理由は、以下のものです。
長くなります、すみません。
歴史小説の作家、司馬遼太郎さんをご存知でしょうか。
彼の著書に「竜馬がゆく」という大作があります。
この本の中に、坂本龍馬の剣術の修行先である、北辰一刀流、千葉道場に関する記述があります。
「江戸幕末期、各地で勃興した剣術道場の一派に千葉周作を当主とした、北辰一刀流があった。しかし、千葉道場には多数の門弟がいて一つの道場には収まりきらなかったため、周作は実弟の貞吉に、もう一つの道場を任せた。そこで、江戸の人々は、兄弟それぞれの千葉道場を区別するために、兄の道場のほうを『おおちば』、弟の道場のほうを『こちば』と呼称した。」
概ね、こういった内容ものです。
この古事に倣って、弟である私は、自分の店を「こきど」としました。
自分のことを、坂本龍馬のお師匠である千葉貞吉先生になぞらえるのは気が引けますが、
私の兄は、なかなかの人物だと思います。
(身内びいきかも知れませんけど)
兄は一見、茫洋としているように見えます。頼りになる、という感じではありません。
両親からも長い間、「大丈夫なんかの~」と言われていました。
将来のこと、家のこと、店のこと、
何かを話し合おうとする度に、
「そんなんは、そん時になったら考える」と言う兄でした。
私は、逃げている、と思っていましたが、
あれは「その時になったら、腹くくって向き合うけん」という意味だったのだな、と今は思います。
思えば、親戚や友人から
「お前の弟、アレ勝手ばっかりやっとるのぉ。放っといてええんか?」
というようなことを、言われていたかもしれません。
いや、そんなことは、私が大学を卒業してそのまま東京で就職したときから、言われていたかもしれません。
でもそんな時、兄は
「そんなん気にせんわ。やってオレ、兄貴やけん。」と返していたのだろうと思います。
いつも通り、少しニヤニヤしながら。
口癖なんですよね、昔から。
『俺ぁ、アニキやけん。』って。
何を見聞きして、そう思うようになったのかは分かりませんが、
「弟が困ってたら、助けるのがアニキや。」
と、常々言っていたように思います。
中高生の頃、現実的に助けられたことは無かったので、何の有難みも感じたことはありませんでしたけど。
しかも、決して仲の良い兄弟だったわけではありませんでした。
小学校に上がる前までは、仲良しだったのかもしれませんが、それ以降は、泣かされていた記憶しかありません。
まあ、2歳差の男兄弟なんて、そんなものなのかもしれません。
だから、大学生くらいの時に母から
「兄ちゃんにとって、アンタは自慢の弟らしいよ」と聞かされた時も、
ウソつけぇー!と思っていました。
それでも、大学時代、一人暮らしのアパートにフラッと訪ねて来てくれたのは、
嬉しかったですねぇ。一晩泊まって行って、何を話したわけでもないんですけどね。
(そういえば、ロクに礼も言ってない気がする。あの時はありがとう、兄ちゃん。)
そんなこんな、色んなことが、一瞬にして思い出されたことがありました。
舞鶴の大木戸を閉める直前だったか、閉めて物件探しをしていた期間だったかは忘れましたが、一度、香川に帰ったことがあります。
帰省と言うにはあまりにバタバタとして忙しなく、文字通りのとんぼ返りでした。
兄が甥っ子を連れて昼ご飯を食べにくる、というのを待つこともなく、父に高松駅まで車で送ってもらうことにした、その途中で、兄とすれ違いました。
こちらが右折レーンで右折待ちをしている時に、対向車線から軽く右手を挙げながらやってくる車。
私も合わせて挙げた右手が、上がった時にはもう行ってしまっている、ほんの2秒くらいの時間。
「今すれ違ったん、兄ちゃんやったな」
と運転する父に言っても、
「え?ホンマか」と、気づかなかったほどの一瞬でした。
けどその一瞬で、分かったんです。
ええ男になったなぁ、我が兄。
(なんか偉そうで、スミマセン)
これは、心配いらんな、と。
香川のことは兄に任せておけば大丈夫だな、
と思えたのです。
何も話し合っていませんが、
どんな気持ちでいるのか、
確認していませんが、
兄は、どこまでも、兄たろうとしている、
と感じました。あの時の口癖のまんま、大人になりよったな、と。
私がサラリーマンを辞めて、うどん造りを教わっていた頃、毎晩のように酒を酌み交わしていましたが、
あの時代の数十時間よりも、
お互いにオッサンになってからの2秒間のほうが、分かり合えたような気がします。
よし。
そっちがそう来るなら、こっちも、弟であるまで。どこまでも、弟でいてやろう。
そう思いついて、マリンライナーが瀬戸大橋を渡って岡山に着く頃には、
「こきど」に決めていました。
父が社長で、兄弟で、それどれのうどん屋をやっていると、
よく聞かれるのが、
「どっちが後を継ぐの?」
です。
そんなことは、どっちでもいいんです。我々兄弟にとっては。
兄の表現を借りるなら、「そん時、考える」です。
私は、兄に従います。
「俺がやる」と言い出せば、
応援するでしょう。
「お前がやれ」と言われれば、
やるのみです。
何かあったとしても、
それで兄は「帰ってこい」とは言わないと思います。
9割がた、言わないでしょう。
「弟は福岡で頑張っとんやけん、こっちのことは俺が何とかする」
と考える男、だと思います。
だからもし、
「手伝ってくれ」
「帰ってきてくれ」
という言葉が兄の口から聞かれたなら、
それは、本当の本当に困っている、
ということ。
その時は、帰ります。
全てを投げ打って。
これまで自由にさせてくれた兄に、報いたいと思います。
福岡のお客さん、業者さん、家族。たくさんの人に、迷惑をかけることになります。
でも、帰ります。
そんな無責任なこと言うな!
と言ってくる人には、この言葉を返すしかありません。
『オレぁ、弟やけん。』
まあ、帰ってこい、とは言わないと思いますけどね。
兄の矜持にかけて。
あちらが「おおきど」
こちらは「こきど」
それぞれの場所で、美味しいうどんを作り続けるのが、理想です。
帰ってこい、
と言われない限りは、帰りませんよ。
弟の矜持にかけて。