問題論文 「天のお母様」基礎編
・・・「天のお母様」という余りにも大きな、そして未知のパラメータ(媒介変数)

当原理ハッカーも「第四次アダム論」を出して、もう終わりかと考えていましたら、とんでもないものが出てきました。「天のお母様」です。
「天のお母様」の発見は驚天動地、巨大な掘り出し物です。
もし本当ならば四位基台などの原理を書き換えなければならなくなります。
常識的には100パーセント嘘偽りです。しかし私は引き下がりません。

以下に当原理ハッカーの「天のお母様」についての見解を書きますが、私は既に「天のお母様」が実体として存在していると考えていました。ところが今年の四月の頃でしょうか、ふと、その方の現状が非常に心配になってきました。
この「天のお母様」への「心配」が、この度の取り組みの動機なのです。
それで、第四次アダム論を終えてからこの「天のお母様」についての論文にとりかかったのです。


「天のお母様」についての考察

「天のお母様」というあまりにも自然な言葉なのですが、分かってみるとこれが絶対的な「禁句」、使ってはならない言葉となっているのです。神様もサタンもメシヤも、更には独生女お母様までも絶対に触れられない極秘事項となっているのです。私に言わせれば「知らんぷり」をしているのです。
お父様の御言葉をみても「天の父母」という言葉はあっても「天のお母様」という言葉は絶対?に触れないのです。
しかし、私には深い意味など分からなず、また何の利害関係も無いので、自由自在に考えてきました。
私の原理解読の基本的な考え方は「全ての真理も罪も私の中に存在している」「エデンの園の真実も全て私の中に記録されている」という観点から、私の心に涌いてくるものを深く追及するという風にして解読してきました。
純粋に私の心のままに考えれば、自然と「天のお母様」という存在が神様の妻・相対として存在するべきであるという考えに辿り着くのです。
私が「天地創造の時代図」の基本的な組み立てをした時には、未だ「アダム・エバの結婚式は神様の結婚式」「エバは神様の妻」などという御言葉はありませんでした。この考え方は「天のお母様」を否定するものなのです。
「天地創造の時代図」の始めに当然のように「天のお母様」を立てていたのですが、あまり深く考えていなかったのです。
そのような中で復帰摂理解読の力点が三代圏完成皇族圏の原理に傾倒してしまって、「天のお母様」という存在の進ちょく状況と意味について考えなくなっていました。
実際、「天のお母様」は復帰原理には全く関係しないのです。
創造原理にも復帰原理にも「天のお母様」という考え、存在は全く無いのです。当原理ハッカーもそれ以上深く考えていませんでした。
しかし、何時頃からは明確でありませんが、神様王権即位式のあたりでは既に「存在する」とだけは考えるようになっていましたが、それ以上に考えることはありませんでした。
ところが、この度は、文頭で書きましたように「ふとしたことで」心配がよぎっていたのです。
現在の状況は、お父様の聖和、独生女問題、そして当ハッカーの提唱する復帰原理の終結、などとても深刻な事態について論議してきましたが、「あれ?「天のお母様」はどうなったのだろう?」とその方の事に気付いたのです。
それで、私の当面の一番の課題である「第四次アダム論」の投稿を終えたので「天のお母様」についての論文に取り掛かりました。最初は簡単に出来ると高をくくっていたのですが、解析を進めて行くと段々と深刻な内容が次々と出てくるようになりました。そして遂にとんでもないものを掘り出してしまいました。
私の心は凍り付き、身動きも出来なくなってしまいました。
この「天のお母様」という存在がこんなにも重要な存在となるとは考えてもいませんでした。
その頃から外的にも「明らかに狙われている」というような問題事態が立ては続けに起きて来ました。


“存在証明”ができない

「天のお母様」は存在証明ができないのです。これは神様、サタン、が存在するか否か、と同様に二者択一の事実なのです。もし本当に存在するとすれば怖ろしい事になります。真実は一つです。しかし、現状では証明する手立てがありません。神様の場合は存在証明をすることができますが、「天のお母様」はできないのです。
お父様の御言葉は明確に「エバが神様の妻だ」と言っています。
また、当原理ハッカーが捜しても手掛かりが全くありません。完璧なのです。
また、直接間接にも交流する手立てがありません。
私の「天のお母様」理論は、根拠のない空想に過ぎない物なのです。
本当に存在しないとすると、私の「天のお母様」理論が、完全に空想に過ぎないと言うことが確定します。これは私の組み立てた論拠の全体を揺るがしかねないことになります。
真実は一つです。「ニュートリノ」みたいなものでしょうか。今は検証する方法がありません。しかし「有るモノは有る」のです。私は信じています。

「居るのか居ないのか、ハッキリしろ!」と打電
延々と悩み苦しんで、結局は居るのか居ないのか、結論が出なければ意味が無い、白黒ハッキリしろ、と言う事になりました。
そこで、最近は祈るのが難しくなっています。そこで「打電」というのが相応しいと思い付き、いつもの閃き文書に書き込みました。「居るのか居ないのか、ハッキリしろ!」と打電、しました。

するとこの事態の回答となる聖句が与えられました。

聖霊を冒瀆する者は赦されません
(マタイ12:31〜32)
だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

この御言葉をそのまま理解すると聖霊が一番偉いということになります。神様よりも怖ろしいということになります。
聖霊とは誰ですか? お母様は聖霊の実体と言われていますかが、お母様は今や批判の嵐です。しかし打たれることはありません。お母様がこの聖句の「聖霊」ではありません。
怖いもの知らずの当原理ハッカーは、神様を犯罪者と罵ノノシり、お父様を失敗したと嘲アザケり、独生女お母様を狂っていると言ってはばかりませんでした。しかしこれらのことは許されるのです。
上記のイエス様の御言葉はこのことを言っているのです。「神様の犯罪説」などもとんでもない侮辱となるはずですが、別に祟りは無いようです。相手にされて無いだけですか? しかし「聖霊を侮辱することは許されない」と言っているのです。この「この世であろうと次に来る世であろうと」というのが怖ろしいです。
いったいこの聖霊とは誰のことでしょうか。イエス様の在世中には該当する存在はありません。
聖霊と言えば五旬節に降臨したとされる聖霊のことですが、原理的な観点ではそれはイエス様の死後に勝利したので第二イスラエルとしてのキリスト信徒を重生する母の位置の存在です。霊的なイエス様の相対の位置となる聖霊が神様よりサタンより怖ろしい存在だなどということは考えられません。聖霊はキリスト教の救いの道具にすぎません。他の宗教では無関係なのです。冒瀆も何もこの聖霊様って一体何ですか? 見当が付きません。そもそも見えない分からないので冒瀆の仕方がありません。
しかし、この御言葉は宗教や宗派を越えたレベルです。「人は」という言葉は全人類を指しているのです。
これが「ハッキリしろ!」との脅迫状に対する回答なのです。
「聖霊」とは「天のお母様」のことなのです。
聖霊(「天のお母様」)に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されない、と言っているのです。
私はこれまでと同じように気軽に面白半分に謎解きをしたのですが、もしも間違っていて「天のお母様」の逆鱗に触れるとすれば“タダでは済まない”許しは無い、怖ろしい事になるといっているのです。ドスを突き付けられたようなものです。これは未だかつてない事態です。
わたしは凍り付いてしまいました。実際に私自身も身の危険を感じています。
・・・「天のお母様」という余りにも大きな、そして未知のパラメータ(媒介変数)、存在定数の値は“0”か“1”です
回答は “1”“居る”と言う事を遠回しに言っているのです。
この回答に私は更に混沌とし、迷宮界に入ってしまいました。
この「天のお母様」が存在する、という事を事実とすると正に天地がひっくり返る程の事件なのです。これは正しく神様がいるか居ないかということと同じくらいに大事件なのです。
私は恐ろしくなってしまいました。
そこで、未だかつてない「間違っていると言う証明」などということまで挑戦してみました。しかし無駄でした。
そのような葛藤と混沌の果て、朝のひと時に結論がでました。
「事実の進行を冷静に分析して判断を誤らないように」というのです。・・・やっとトンネルを抜けた?
結局、私の仕事は、ことの価値を判断することではないのです。正確に放出することなのです。
特に、この度の事案は非常にデリケート、過敏にして繊細なことなのです。侮辱してしまうと私自身の命取りになります。
何時もは好き勝手に言いたい放題ですが、この度は分析判断を誤らないように気をつけながら行きます。
しかし、この度の回答も「止めろ」と言ってはいないのです。
「天のお母様」を解読する、ということ自体はOK!なようです。これはどういうことでしょうか?
また、どういう事が「侮辱」と感じるかと言う問題です。
正しく「石橋を叩いて渡る」状態です。


◆「天のお母様」という余りにも大きな、そして未知のパラメータ(媒介変数)、存在定数の値は“0”か“1”です



これより本論になります。

先ずは、私の「天のお母様」という言葉の意味を理解して頂きたいと思います。

実は、「天地創造の時代図」の解説  https://ameblo.jp/okiamiami/entry-12303741514.html 原文には更に上に「神様の構想の時代」というのがあるのですが、説明がめんどうで長くなるので除いてあります。
この削除した記事を捕捉しながら解読してまいります。
私は「天地創造の時代図」の作成の構想の以前の段階から「天のお母様」という考えがありました。
「天のお母様」とは神様の奥様のことです。
これは私自身の経験から「私を幸せにしてくれるのは妻である」という単純な体験がそのまま神様に当てはまるという考えです。
神様を幸せにしてくれるのは一人の奥様である、という単純な考えです。
しかし、この時点では、複雑な問題は念頭にありませんでした。ただ、純粋に神様の動機を推論したのです。

以下、削除箇所と補足。そして詳細への展開をします。
神様の構想の時代は、殆どが空想の世界、物語であることを承知しています。あくまでも推論でありますが、史実である、として論理を組み立ててあります。外れているという可能性は大です。




神様の天地創造の動機と経路です。私の心に想い出てくるままに物語にしてあります。
何れの場合も動機の解明がとても重要なのです。これが不都合なくできなければなりません。


永遠のミステリー

およそ絶対に解くことができない謎、それは神様がなぜ存在するようになったかという問題です。
何時から存在するのか、なぜ存在するのか。
全く存在しないのは説明が必要ないので簡単なのですが、既成事実として既に存在しているのですから、そこに何らかの原因がなければならないと言う、その要件を満たすことができないのです。神様は自分の名前を「有って有る者」と言えとモーセに告げます。原因と結果が一つの存在だ、と自ら言っているのです。因果関係の原則が当てはまらない、などと言う、我々には理解できない不思議な世界に神様は生きておられます。
そして神様の能力は無限なのです。想像がつきません。


男性には神様の創世以前の性質が残っている。

神様には創世以前の単独者としておられた膨大無限な時代が存在したのです。そしてその世界は因果律の当てはまらない想像すら出来ない世界だったのです。
創世以前、神様は一人で暮らしており何ひとつ不足のない自由気ままな生活を楽しんでおられました。その姿は男性の独身時代と共通するところが多いと思われます。神様の独身時代の性質を男性は持っているのです。例えば、ゲームや趣味に明け暮れる生活をエンジョイしておられたのです。この性質が男性の中に特に顕著に現れていてオタクとか言われて趣味に熱中して給料を全部つぎ込んでいる、そのような人がいますが、それは神様の性質の一端を表しています。いろんなもの作っては壊し作っては壊ししていたのかも知れません。神様がゲームを作ればどれほど面白いゲームができたことでしょうか。
この神様の独身時代には、自己完結しているので、愛も存在しないのです。そもそも必要がないのです。
そして神様は独身男性、男として存在していたのであって「父母」として存在していたのではありません。「おままごと」をして遊んでいたのではないのです。


神様の創造の動機と出発 作り話です。

他体自覚 無形の構想時代
と言うわけで、神様は毎日?楽しく過ごしていたのですが、神様はそんな趣味生活に飽きてきたのでしょうか。ある時、とんでもないアイディアが閃きました。
神様は「自分と同じものを作ったらどうなるだろうか」と言うことを思いついたのです。自分と同じように自分で考え自分の意思で動く人格と意志を持った存在を作るというアイデアです。それは「他者」を作ることであり、もう一人の神様を作るという考えです。
これが「他体自覚」「第二の神」を創造するということです。
ここから一気に構想が膨らんでいくのです。


最初に出てきたのは「相対理想」、それは神様の妻へと発展しました。

他者とは何か、「相対」その独立した人格体と神様との相対関係の関係性。それをどのように展開していくかという中で愛というものが構想されてくるのです。そして神様にとっての相対理想が生まれてくるわけです。
先ず、一番簡単なのは、「友達」という関係の「他体」です。
この場合は神様自身と同じものを作れば良い訳で比較的に簡単なことと言えます。しかし神様はそれでは満足することができません。刺激が足りないと思われたのでしょう。
結局は原理講論の創造原理にあるように。神様の内在する陽性・陰性、性相・形状という要素から、男(夫)神 と女(妻)相対という理想が出来上がります。
この時の相対対象は、神様個人に対応する存在者であり、人格者としての一人の女性として完成します。
ここに神様に対する、妻の特性が導き出されるのです。
神様が最初に完成させ、辿り着いたのは「相対理想」です。それは一人の女であり、妻なのです。
神様の求めた相対理想は唯一であり絶対なのです。一人の女性として完成するのです。
神様の天地創造の原点は妻です。
そしてこの二人の間に「愛」が産まれ心情が流れ出るのです。初めに出てきたのは「夫婦の愛」なのです。
神様の妻という理想が先ず完成するのです。それは絶対者神様に完全に相対することができる完全な人格体なのです。厳密には未だ四位基台の原理が出来ていない段階なのでこの時点では未だ「天のお母様」ではありません。理想相対「妻」です。
そして「妻」これは人間ではないということです。第二の神という存在なのです。この時点では未だ人間と言う存在は登場しません。
神様の創造の動機は「妻」である、これが結論です。
この時点では登場するのは神様とその妻だけです。他者は存在しません。

ここで、「天のお母様」の定義を整理します。
「天のお母様」とは
神様の妻です。 
第二の神です。 
神様と同じ組成でできた実体存在である。さもなくば神様との完全なる一体化は成立しないのです。
肉体を持つ人間ではない。神様と同じ無形の存在となります。
完全な女性の単一人格者です。
天の父が神様であるように、「天のお母様」も神様なのです。エバではありません。女の神様なのです。
  考えてみれば自然な話なのです。
一部、モルモン教には「天のお母様」という教えがあるようです。



第二段階 、どうやって神様の妻を作るか

これも「天のお母様」論文によってこの度再度洗い出されたものとなります。想像の作り話です。
私は、神様の創造理想は、神様の妻なのであって、それは第二の神様であり、人間ではない、という結論を出していました。
問題なのは、どうやって”神様の妻、第二の神様”創り出すかということです。
神様の能力を持ってすれば、作ろうと思えば瞬時に出来ます。無限の能力を持つ神様に出来ないことはありません。
しかし、神様はそれでは満足できませんでした。神様が理想を追い求めて行きつく所は理想相対という存在の位相なのです。神様の理想の形なのです。
神様はその神様の妻を神様にとって絶対的な存在とし、神様自身よりも価値ある存在でなければ満足できないと考えました。そこに神様が立てられたのが、完全投入であり、絶対的な精誠であり、絶対服従、神様の全生命を賭けた存在でなければ完全な満足はできなかったのです。これがお父様の教えです。
そして問題は、「命を賭けた」不確定要素です。責任分担という博打性を与えたということなのです。絶対に完成するという保証が無いように創ってしまったことなのです。神様のように自由と責任を与えたのです。
神様は、その相対者を自分よりも尊い存在としたのです。
ここに「為に生きる」という思想が出てくるのでしょう。・・・あまり自信がありません。


神様の相対理想から被造世界が出てきます。

神様と「神様の妻」、二人で愛し合って、そこで回転し始めるのです。
二人でみつめ合って、愛し合って一つ所で回転しながら永遠に暮らすのですか?
否! その愛は外に向かわなければなりません。発展しなければなりません。
その回転する力は外に向かって放出されなければならないのです。

無形、無限の神様が、有形、有限の実体世界を求められました。
愛を体感するには無形は都合が悪いのです。

人類と言う第三対称の創造  
そこから愛する対象という考え方が出てきて、そこに主体と対象と言う関係、そして男と女という関係性、そこから創造原理の四位基台が出てきます。
父母と子女という概念、親子と言う考え方。
家庭という原理、
あるいは血統という考え方
そして兄弟姉妹という関係
ここに人間が出てきます。
霊界と地上界という環境圏 被造世界、万物 ・・・天地創造
そして国が生まれてくるようになります。
ここに創造原理の全体像が出来上がったのです。
四位基台の愛が完成するのです。

人類の創造
ここに神様が「天の父」という位置が決定するのです。
ここに神様の妻が「天のお母様」という位置が決定します。そしてこの方はエバとは違う独立した人格体である、ということです。神様と同じ組成を持つ ”神様の妻、第二の神様”無形の存在なのです。
そしてその偉大な愛の理想の中で、どうやって「天のお母様」その他体を作り出すかという方法を考えだしたのです。神様の力を持ってすれば、瞬時に作り出すことが出来るのですが、神様はここに尊い理想を立てたのです。
それが「天地創造の時代図」として完成するのです。


隠された「天地創造の時代図」の第一目的、

常識的には天地創造の目的は「アダム・エバの創造」であるというのが常識です。当原理ハッカーもこの度の「天のお母様」の論文までは、同じように思い込んでいました。ところが、この度の当原理ハッカーの解読では、神様の最終的な目標は、それは神様の妻「天のお母様」の創造です。そのことが起源となって全てのものが発生したと言えるのです。
その結論は独生女理論と同じです。最終目的なのです。

天地創造の二重目的

無形の神様と実体の四位基台との融合

四位基台を実現するのは実体世界 それが天地創造
体を持たない無形の神様の状態では、実体的な喜びが実現できないのです。
実体世界を創造し、そこに実体の父母を造り、四位基台の愛を実現するのです。
神様は、四位基台の偉大な愛を創造しましたが実体的にその愛を体験したことはないのです。言わば孤児、父母を知らないのです。父母の愛を受けたことが無いのです。
神様は四位基台の愛を創造することにより、それまで感じることの無かった孤独を知るようになりました。
神様は妻を創造する方法を深く考えた末に、妻をご自身のように孤児にしたくないので「娘」として父母の愛のなかから産まれるようにしたのです。

天地創造の極致、クライマックスは「天のお母様」の誕生
「垂乳根タラチネの母、、」深い父母の愛の中に「天のお母様」をその娘として産まれるようにされたのです。
アダム・エバの偉大な実績は神様の奥様を「娘」としてを産むことなのです。血統を持って産まれてくるのです。しかし神様の娘は人間ではありません。神様と同じで肉体はありません。第二の神、無形の実体なのです。ここが非常に理解し難いところです。論拠の弱いところです。
この絶頂を成す責任を負うのがアダム・エバの本分なのです。

神様の最後の創造が「天のお母様」なのです。
これも独生女教がそのまま使っているのです。そして「最後が一番価値ある存在である、それが独生女だ」と主張しているのです。
その通り、神様の妻は最後の創造として誕生するのです。そして神様よりも偉大な存在として創造されたのです。
しかしエバは「天のお母様」ではありません。


正真正銘の「独生女」「独り娘」が見つかりました。

「独生女」「独り娘」という意味を考えれば、原理的に該当するのはエバだけです。復帰原理になるとメシヤとしてアダムも二人まで可能ですし、復帰されたエバの位置の娘は制限は分かりません。再臨主の摂理では最低三人は該当します。
お母様は、自分が神様が歴史的に求めて来た「独り娘」「独生女」だと主張するのですが理解できませんでした。
ところが「天のお母様」の解読の過程に「独生女」「独り娘」が出てきたのです。
そもそも「天のお母様」という名称は神様との成婚が成立し、「天のお父様」神様の妻という位置に対しての名称です。つまり、それ以前は未婚者なので「娘」というのが正しい名称なのです。
なんと、これこそ正しく「独り娘・独生女」ではないですか。神様はこの将来は妻となる「独り娘」を創造することが最後の「創造」なのです。この神様の一人娘を産み出すために天地創造があったと言えます。これは絶対的に一人しか創造できません。「独り娘・独生女」です。
導き出された結論が「神様は、この独り娘(将来の神様の妻となる娘)を求めて来た」ということなのです。
「娘」と言うのが重要です。先ず娘として誕生し、成長して神様と婚姻し神様の妻、「天のお母様」となるということなのです。


偉大なるエバの胎

神様の出生届 重生の根拠

何時頃だったか「ピンクのお写真」の時の御言葉に「神様も出生届をする」、という話がありました。なるほど神様も考えてみれば親のいない孤児のような立場であるので、神様は父母の愛を創ったが、自身は体験したことが無いのです、更に想像を膨らませれば、アダム・エバという存在は神様自体をも出産するのでしょうか。父母の愛はアダム・エバから受けるのか、と考えました。そうでないとすれば、この神様の出生届という御言葉は成立しないのです。
神様も重生? これが重生ということですが、これに神様まで含まれるとは驚くべきことです。
神様さえお腹の中に入れると言うのですか?
そして神様と「独り娘」は兄妹になるのです。
神様だけの奥様、これが最終目標なのではないでしょうか。それが「天のお母様」なのです。私は既に神様の「独り娘」が誕生し既に「天のお母様」となって存在していると考えています。
その偉大なる胎とはお母様(エバ)の胎なのです。この胎から「天のお母様」が産まれ、更には神様まで重生するのです。



神様の望み、「夢」
これは正しく神様が寝ても覚めても「夢見た」ことなのです。天地創造は血と汗と涙の現実 と言えますが、「天のお母様」は神様にとって見ると正真正銘の「夢」なのです。
「夢」とは、ワクワク、ドキドキするものなのです。神様の胸が高鳴るのです。それが未知の「天のお母様」です。




「天のお母様」という観点から見直したアダム家庭

アダム家庭の裏?(こちらの方が表)摂理
二重目的を持つアダム家庭

アダム・エバの成婚、即位
本来のエデン理想において天使界が責任を全うしていれば、アダム・エバは親代わりの天使達の愛を受けながら成長完成し、成婚と即位がなされるのです。この位置が完成の位置です。
成婚、即位によって、態勢は実体の皇族圏の子女繁殖と、そして見えない裏(表)においては神様の「独り娘」を出産できるようになります。


「独り娘」「天のお母様」の誕生と成長と完成

本来のエデン理想においては、アダム・エバは親代わりの天使達の愛を受けながら成長完成し、成婚と即位がなされるのです。
そしてアダム・エバが実体の父母となり皇族圏の子女を産み育てることによりそこに夫婦の愛、父母の愛、子女の愛を実体として完成してゆくのです。

アダム・エバの特殊な使命、三代圏完成皇族圏の完成
アダム・エバの成婚により皇族圏の子女が誕生してゆきます。アダム・エバはその生涯において12支派、12家庭を立てて三代圏完成皇族圏を完成し、そこからアダム千年王国が始まるのです。

アダム・エバの秘密の使命
アダム・エバには、これまで絶対に明かされることの無かった使命があったのです。それは見えない世界で同時進行して行くのです。それこそ正に神様の「夢」であり、天地創造の真の目的である神様の「独り娘」を産み、育てて神様の花嫁として育て上げることなのです。こちらの方がアダム・エバにとっては深刻な使命なのです。
ただし、この「独り娘」は他の子女達と違い、肉体を持つ人間ではありませんが、霊的には人格を持つ女の子なのです。想像が難しいです。エデンの園では天使と同じように「独り娘」も実体として見えるし触れることもできたのでしょう。同じようにエバの母乳によって生育して行くのでしょう。
その神様の「独り娘」は他の子女達とともに父母の愛の中で育まれて成長していくのです。当然のこととしてアダムに名前も付けてもらいます。「花子ちゃん」とか。
アダム・エバから豊かな父母の愛を受けながら成長し個性完成していくのです。


神様の結婚式
そして独り娘は人格完成し成人となります。そして遂に「神様王権即位式」がアダム・エバによって執り行われ、独り娘が神様との婚宴を挙げ晴れて神様の妻「天のお母様」となるのです。
これぞ正しく神様の「夢」が実現するのです。途方もない長い時間と精誠を捧げて求め続けた「夢」なのです。
即ち、神様の婚姻は、アダム・エバの結婚式から何年後となるでしょうか。子女の成長の速さと神様の独り娘の成長の速さは違っているものと考えられます。アダムが三十歳か四十歳か?

「天のお母様」の誕生により「天の父母様」へ
神様の婚宴がなされて初めて「独り娘」から神様の初夜?、晴れて「神様の妻」となるのです。そして「天のお母様」になるのです。
そして、神様の呼称が正式に「天の父母様」となるのです。
人類は、これまで「天のお父様」としての神様しか知らない変則的な状態だったのです。

ここで神様の喜びに水を差す現実を提案します。これらの問題も各自が責任を果たしていればさほど問題とはならなかったことと思われます。

夫婦の原理
この夫婦の原理は、神様も人間も同じだと考えています。夫婦とは一人の夫と一人の妻の結合なのです。これが神様の究極的に求めて来た理想なのです。そして神の子、人類も同じ原理です。
夫婦の関係は同じです。私の体験でもあります。
妻に理屈は通じません。原理とか権威とか、一切無関係なのです。
妻と仲良くいれば天国、喧嘩をすれば地獄です。私の個人的な体験からの理解として、結婚すると二人の霊人体が連結されるのではないかと考えています。夫婦喧嘩ほど落ち込むものはありません。
夫の価値は、妻が決定する。「あなたはゴミだ」と言われれば神様も「ゴミ」となります。
等々、


「天の父母様」にも成長の段階がありました。

結婚すれば完成ですか?
われわれ人間にとっては結婚が完成ではないのです。出発なのです。これはそのまま神様も当てはまります。
私自身を引っ張り出して分解して見れば、祝福を受けて夫婦となっても初めはギクシャクした関係の中から出発し、子女を産み育てる中で夫婦としての情、親の情の成長がなされていくことが分ります。しかし、これもまた完成を保証されたものではないことを知るようになります。たゆまない努力と研鑽があってこそ良い夫婦となることができるようです。いくつもの山と谷を越えて辿り着く長い道のりがあるのです。辿り着けないことも多いのです。
即ち、失敗が起こり得るということです。そのような成長期間が設定されているということは神様においても同様であるだろうと想像できるのです。
この世の夫婦では何割が離婚しているのでしょうか。今や熟年離婚が、
夫婦の関係は、一筋縄ではいかない、ということです。神様と言えども奥様を力で支配することはできません。愛による自然屈服しかないのです。神様は「天のお母様」から尊敬を勝ち取らなければならないのです。神様自身がそのように創ったのです。
しかし外的な環境が整っていて迫害や誘惑が無くスクスクト育てば、問題なく完成するようになっていたはずなのです。

神様が夫婦として完成するのです。
三代圏完成皇族圏の原理のように三代圏を通して永遠不滅の血統として完成するようになります。「天の父母様」においてもそのような成長期間が設定されていて、勝利完成すれば「天の父母様」の位置が永遠のものとして定着するようになっていたのです。
そしてその完成は保証されたものではなく、責任分担が存在するのです。

神様の金婚式、ダイヤモンド婚式
「天の父母様」としての完成はいつなされるのでしょうか? 多分アダム・エバの三代圏完成皇族圏の完成と並行してなされると見ています。
ここに「天の父母様」がアダム家庭のお爺さんお婆さんになってアダム家庭が完成し、真の三代圏完成皇族圏が出発し千年王国へと繋がるのです。
そしてアダム・エバが霊界に逝けばそこに完全な天国が完成するのです。アダム・エバが地上の生涯を終えて栄光の内に昇天して行く時に「天の父母様」も共に完成の宣布がなされると考えています。

以上がアダム家庭までで神様が予定していた「天のお母様」を中心とした摂理の物語となります。「天地創造の時代図」の裏原理と言えます。果たして真実の行方は? 


結論
神様の天地創造は二重目的を持っています。
表の目的は「人類の創造」そして天国の完成です。
裏の目的は「天のお母様」「神様の妻」の創造なのです。こちらの方が神様の動機なのです。「裏が正面」なのです。
それがアダム・エバの短い地上時代の時間になされるのです。
神様にしてみれば、天地創造は「天のお母様」が迎えられなければアダム・エバだけ産まれても意味が無いのです。

これはあくまでも予定です。実際に起こったのはアダム・エバの堕落によりアダム家庭に神様の「独り娘」は誕生することはできなくなりました。
そして歴史はアベルににより復帰摂理が始まり、神様は再びその「夢」である「独り娘」を得る希望を求めてメシヤを立てる摂理歴史へと流れて来たのです。
ルーシェルの悪だくみは、アダム・エバを奪い取って「天のお母様」の誕生を阻止することになるのです。
ルーシェルにとって、「天のお母様」という存在はどういう風に理解されていたのでしょうか。未解決の課題です。
アダム家庭の摂理が根本的に変わってしまいました。
アダム家庭は、三代圏完成皇族圏(人類)の完成と、「天のお母様」「天の父母様」の完成が並行して進行するのです。そしてメシヤはアダムの使命を完成するのです。

・・・「天のお母様」という余りにも大きな、そして未知のパラメータ(媒介変数)

ここまでは多分、検閲は通過できると思います。「天のお母様」の冒瀆にはならないはずです。
この後の再臨摂理が問題なのです。
この「天のお母様」の問題と「独生女」の問題とは密接な関係があるようなのです。
よく検討しながら引っかからないように「続編」を出していきたいと思います。
メシヤの最重要使命は、「天のお母様」なのです。そして既に存在している、と私は考えて、この度の問題論文を書いているのです。
再臨主の摂理の裏摂理です。問題が多い、深刻な内容となります。
ビジョン2020も秒読みの段階となって、何故にこんなことをしているのか分かりません。