まず、簡単な自己紹介から始めようと思う。わかば会には学部3年生の時から関わり始めた。それが2008年の秋の事である。今年の3月に新潟工科大学を卒業したが、未だにこの中越学生勉強会「わかば会」に居座り、まちづくりを学生と共に学んでいる。勤務先は中越沖復興支援ネットワークという中間支援組織に勤めており、学生のときから引き続きそれぞれの地域と関わらせていただいている。
本題に戻ろう。我々わかば会は6月27日に、新潟県立大学の山中知彦先生を訪ねた。世界中で集落調査をおこなってきた山中先生から、その風習や生業は日本の集落とどのような違いがあるのか等を聞いてみようと思ったのだ。私自身は山中先生と初めてお会いする訳ではなく、以前に新潟県生活文化研究会でお会いした事があり、お話を聞かせていただくのも2回目であった。その時、山中先生は講演会の講師として、私はポスターセッションへ参加する学生として研究会に参加していた。山中先生は早稲田大学に勤めていた事があり、私の所属していた研究室の田口太朗先生とも近い間柄であった。田口先生に紹介していただいた事もあり、今回わかば会として県立大学に行った際に私の事を覚えていてくださった。
以前の講演会の終盤で『地域遺伝子』という単語が出てきた。地域遺伝子とは吉阪隆正率いるU研究室の面々が好む言葉で、吉阪研究室を出身とする山中先生も、また田口先生の先生である後藤春彦も吉阪研究室の出身である事から、『地域遺伝子』という言葉は田口先生の口からもたびたび耳にする事があった。そのような経緯もあって、私は山中先生に「地域遺伝子とは何ですか?」という質問をした。
『地域遺伝子』とは遺伝子という言葉の通り“伝わる”事であり、地域で昔から根付いている「風習」等の事をさす。それぞれの地域で生活している人の記憶の共通認識が地域遺伝子となって、それぞれの地域に根付いている。たとえば「方言」なども地域遺伝子の中の一つに当てはまるであろう。山中先生は建築学を土台とした都市計画家である。この『地域遺伝子』という言葉も地域を景観からひもといた時に使用されている。“景観とは地域の過去と現在を繋げるもの”ということなのだろうか。先生は話の中で、「住んでいる方とのふとした会話の中にこそ地域づくりヒント存在している。まず、自然なコミュニケーションに徹底する事が大切で、仕事として名刺交換から入るコミュニケーションはその後の関係づくりに支障をきたす」とおっしゃっていた。地域住民の口から語られる物語こそが地域の遺伝子であり、その遺伝子の集合がそれぞれの地域性を形成している。山中先生は自身が関わってきた事例をもとに、学生からの質問に答えてくれた。
私の関わっている地域で別俣というところがある。別俣の地域計画はすべて、廃校になった木造校舎の別俣小学校が中心になっている。今後発行予定の地域情報誌「わかくさ」のタイトルも、当時の卒業文集「わかくさ」からとってある。別俣を『地域遺伝子』=『記憶の集合体』として見た時に、多分ではあるが別俣に住む人の頭の中には、当時の別俣小学校の記憶が根強く残っている。また、谷根という地域でまち歩きを行った際に、小さな水路にスイカがまるごと冷やされていた。地元の人にしてみれば普段通りの風景に私は谷根の地域遺伝子を感じた。このまち歩きの発表の際に私の考えた「スイカみて・涼しさ感じる・谷根川」という俳句が地元の方に大好評だったのはいらない情報である。この2つの地域は自ら地域遺伝子に気づき、その良さを外に発信する為に活動中である。
今後も私は支援者として鋭い嗅覚と感性を持ち、それぞれの地域に潜在的に存在する遺伝子を発見し、その地域遺伝子を住民の方と一緒に次の世代に伝えていく事が出来ればと思う。そして、住む為の「場所」とそこに住む「人」その両方の関係性を一緒に築いていける人間になれれば幸いである。最後に、右も左もわからず地域づくりにかんじて模索している私にとって、今回の山中先生を始め、地域づくりの先輩方のお話は大変参考になるお話であった。
中越学生地域研究勉強会 わかば会
ニュースレター 「地域をひもとく、地域遺伝子とは?」 文:杉井 翼より抜粋
本題に戻ろう。我々わかば会は6月27日に、新潟県立大学の山中知彦先生を訪ねた。世界中で集落調査をおこなってきた山中先生から、その風習や生業は日本の集落とどのような違いがあるのか等を聞いてみようと思ったのだ。私自身は山中先生と初めてお会いする訳ではなく、以前に新潟県生活文化研究会でお会いした事があり、お話を聞かせていただくのも2回目であった。その時、山中先生は講演会の講師として、私はポスターセッションへ参加する学生として研究会に参加していた。山中先生は早稲田大学に勤めていた事があり、私の所属していた研究室の田口太朗先生とも近い間柄であった。田口先生に紹介していただいた事もあり、今回わかば会として県立大学に行った際に私の事を覚えていてくださった。
以前の講演会の終盤で『地域遺伝子』という単語が出てきた。地域遺伝子とは吉阪隆正率いるU研究室の面々が好む言葉で、吉阪研究室を出身とする山中先生も、また田口先生の先生である後藤春彦も吉阪研究室の出身である事から、『地域遺伝子』という言葉は田口先生の口からもたびたび耳にする事があった。そのような経緯もあって、私は山中先生に「地域遺伝子とは何ですか?」という質問をした。
『地域遺伝子』とは遺伝子という言葉の通り“伝わる”事であり、地域で昔から根付いている「風習」等の事をさす。それぞれの地域で生活している人の記憶の共通認識が地域遺伝子となって、それぞれの地域に根付いている。たとえば「方言」なども地域遺伝子の中の一つに当てはまるであろう。山中先生は建築学を土台とした都市計画家である。この『地域遺伝子』という言葉も地域を景観からひもといた時に使用されている。“景観とは地域の過去と現在を繋げるもの”ということなのだろうか。先生は話の中で、「住んでいる方とのふとした会話の中にこそ地域づくりヒント存在している。まず、自然なコミュニケーションに徹底する事が大切で、仕事として名刺交換から入るコミュニケーションはその後の関係づくりに支障をきたす」とおっしゃっていた。地域住民の口から語られる物語こそが地域の遺伝子であり、その遺伝子の集合がそれぞれの地域性を形成している。山中先生は自身が関わってきた事例をもとに、学生からの質問に答えてくれた。
私の関わっている地域で別俣というところがある。別俣の地域計画はすべて、廃校になった木造校舎の別俣小学校が中心になっている。今後発行予定の地域情報誌「わかくさ」のタイトルも、当時の卒業文集「わかくさ」からとってある。別俣を『地域遺伝子』=『記憶の集合体』として見た時に、多分ではあるが別俣に住む人の頭の中には、当時の別俣小学校の記憶が根強く残っている。また、谷根という地域でまち歩きを行った際に、小さな水路にスイカがまるごと冷やされていた。地元の人にしてみれば普段通りの風景に私は谷根の地域遺伝子を感じた。このまち歩きの発表の際に私の考えた「スイカみて・涼しさ感じる・谷根川」という俳句が地元の方に大好評だったのはいらない情報である。この2つの地域は自ら地域遺伝子に気づき、その良さを外に発信する為に活動中である。
今後も私は支援者として鋭い嗅覚と感性を持ち、それぞれの地域に潜在的に存在する遺伝子を発見し、その地域遺伝子を住民の方と一緒に次の世代に伝えていく事が出来ればと思う。そして、住む為の「場所」とそこに住む「人」その両方の関係性を一緒に築いていける人間になれれば幸いである。最後に、右も左もわからず地域づくりにかんじて模索している私にとって、今回の山中先生を始め、地域づくりの先輩方のお話は大変参考になるお話であった。
中越学生地域研究勉強会 わかば会
ニュースレター 「地域をひもとく、地域遺伝子とは?」 文:杉井 翼より抜粋