私は小さい頃から「頑張るってどういうこと?」って思ってました。
「頑張って」
「もう少し頑張れ」
という言葉が大嫌いな子どもで、せっかく応援してくれているのに「言われなくても頑張ってるし!」「これ以上頑張れないし!」って思ってました。(笑)
完璧主義全開で他者の評価が気になっていた頃は、とにかくなんでも満点を目指して頑張っていました。
小さいころから、もっと・・・もっと・・・と頑張ってきた私は、ある日の子どもとの会話から強烈な違和感を覚えました。
私「受験勉強、大変じゃない?ストレスたまるよね?!」
子「大変だけどストレスはたまらないよ。ノンストレス」
私「え?この状況はストレス以外なにものでもないでしょ?」
子「自分で決めたことだし、その先にやりたいことがあるから、大変だけどストレスではないよ。充実感もあるし」
私は、いろーーーんなこと頑張ってきたつもりだけど、そんな気持ちになったことはないような気がする、いや、というより、いつも必死すぎてよく覚えていない・・・
その頃の私は、
頑張ってるのに満たされない
充実感や達成感を得られない
頑張ってる自分を好きになれない
例えるなら、走る理由やゴールがわからないままフルマラソンを走っているような感じです。
子どもとの会話をきっかけに、「頑張る」ことの意味を考えるようになり、
頑張ってきたことや、今頑張っていることを深掘りしてみました。
誰のために頑張っているのか
何のために頑張っているのか
書き出してみると、違和感の理由がよくわかりました。
私は自分のためではなく誰かのために頑張っていました。
自分が頑張りたいことではなく、他の誰かが求めていることを頑張っていたのです。
そして私は頑張っていたのではなく、無理をしていたのかもしれません。
当然自分が満たされることはありませんし、楽しくもありません。
今ごろ気づくなんて・・・
と一瞬ガックリきましたが、気を取り直して、
今からでも遅くない!
ということで、私は私のために頑張ることにしました。
好きなこと、やりたいこと、
自分が手に入れたい未来に向けて頑張るベクトルを向ける、
そう心に決めただけでも、なんとなく楽しい気持ちになったのを覚えています。
そして今。
私の暮らしに必死感はありません(笑)
おもしろいもので、自分のことに頑張るベクトルを向けたことで、他の誰かのことでもストレスなく頑張れたりします。
頑張ることはベストを尽くすこと
遊びにも休養にもベストを尽くしたいと思って過ごしています。









