こんばんは。紀貫之です。

もとい、沖ヒカルでございます。

 

本日はみなさまにご報告がありまして、久方ぶりにキーボードをカタカタいわせております。

 

相当長くなるYOKANがするので、わたくし紀貫之…ではなく沖ヒカルに興味関心があまりないという方は今この瞬間、ブラウザの画面を閉じていただいて結構です。

 

あ! マジで閉じたなオイ!

 

つか、お前のことなんかハナから相手にしてねぇし! むしろせいせいするし! セイッ! セイッ! 

 

などとチャラけている場合ではございません。さっそく本題に入らせていただきとう存じます。

 

さて、本日は自身が所属している競技麻雀団体、最高位戦日本プロ麻雀協会/C2リーグの最終節でした。つい数時間前まで銀座の会場にて熱い闘いを繰り広げていたわけであります。

 

気になる結果は…27位。

つまり…降級。

すなわち…C3リーグに出戻り。

 

 

アハハ、ウケるーww

 

ってウケるわけねーし! つか全っ然、笑えねーし!

 

などと適度なノリツッコミでその場の重い空気を紛らそうとしても無駄なことはわかっています。

 

負けは負け。

降級は降級。

カモメはカモメ。

 

というわけで、今期の結果を踏まえ来期はさらなる努力で昇級を目指……というのが普通の流れですが、そうはならないのであります。

 

ではご報告・第一弾、いきます。

 

わたくし沖ヒカル、本日行われたC2リーグ最終節をもちまして、最高位戦日本プロ麻雀協会を退会させていただくこととなりました。

 

理由はこれから説明させていただくのですが、これは1年くらい前から決めていた「流れ」でして。運命論者の自分としましては、この展開は必然といえば必然なのかな…なんて思っております。

 

知っている方もいらっしゃるでしょうが、5年前の私の「麻雀観」は昭和のそれそのものでした。

 

すなわち「麻雀とは運をやりとりするゲームである」「麻雀とは数理パズルではなく勝負である」「麻雀とは己のこころを磨く鍛錬の場である」などなど。

 

ネトマ(ネット麻雀)世代の方からすれば「鍛錬の場w ウケるーww」なんて感じになるのでしょうが、わたしが麻雀を覚えた頃(35年くらい前)はこういった考え方が主流というか、結構普通だったのです。

 

とくにわたしの場合は「麻雀放浪記」や「ドサ健ばくち地獄」といった雀聖・阿佐田哲也御大の小説から麻雀の魅力/魔力にハマった人間ゆえ、同世代のなかでもさらに偏った麻雀観を持っていたといってよろしいでしょう。

 

今から5年前、そんな人間が最高位戦に入会したわけです。今だから言えますが、ぶっちゃけまァ最初は戸惑うことだらけでした。

 

印象的なエピソードをひとつ挙げさせていただきます。あれは石橋伸洋先輩の勉強会に初めて参加させてもらったときのことでした。

 

石橋先輩は、いわゆるデジタル麻雀に特化した選手であります。「流れ」「デキ」「態勢」といった、理論的に存在を証明できないものは一切無視。ひたすら目の前にある(事実として存在する)情報を精査し期待値を稼ぐ=自分が得することを積み重ねる…というスタイルが持ち味の、競技麻雀界を代表するプロのひとりです。

 

そんなバッシー先輩の勉強会に参加した沖ヒカル選手ですが、開始早々やらかします。

 

石橋「では対局をはじめてください。リーグ戦の初戦、東一局を想定して真剣に打ってくださいね」

 

5巡目くらいに親の足木優プロからリーチが入る。その一発目、ド無筋をスパーンと河に放つ沖ヒカル選手。

 

足木「ロン。12000」

 

………シーン………(全員沈黙)

 

石橋「え、えーと(汗)。ではさっそく検証していきたいと思います。沖さんの手牌、それほど形のよくない2シャンテンですよね? なんで親のリーチに押したんですか!?」

 

沖「はい。初戦の東一局ですから、とりあえずまっすぐ素直に進めてみて卓の状況=4人の『態勢』と『状態』を探ることからはじめようと思いました(キッパリ)」

 

………シーン………(全員沈黙)

 

石橋「お、おぅ…(汗)。なるほど…(ド汗)」

 

未だにあのときのバッシー先輩の顔を忘れることができません。おそらく宇宙人と遭遇した人類はみんな、ああいう感じの表情になるのではないでしょうか。

 

それからしばらくして坂本大志先輩のご厚意により定期開催の私設リーグに参加しはじめたわけですが、そこで周りのみなさまと数回接した時点で、すこぶる勘のよろしい私は早くも確信します。

 

俺…いろんな意味で、ここに居たらいけないんじゃね⁉︎

 

しかしながら人生も麻雀も焦りは禁物であります。1年やそこらで結論を出すのはさすがに早計すぎるだろうと。とりあえず全力で5年やってみて、それでも自身の考えが変わらなければそこで一旦リセットすればいいじゃないかと。

 

この5年間、デジタルとアナログの狭間を行ったり来たりしつつ、いろんなことを考えました。ネット麻雀・天鳳も延べ1万局くらい打ちました。対局映像も各団体合わせて1000局以上は見ているでしょう。

 

それらの経験をすべて引っくるめた上で、今この瞬間のわたしはこんなふうに思うのです。

 

「麻雀って結局のところツイてなきゃ勝てなくね? つまり本質的には阿佐田先生が言ってた『運のやりとり』なんじゃね? つか、やっぱどう考えても『流れ』ってあるよね? そう考えるほうが自然だよね?」

 

結局わたしは5年前からなにも変わりませんでした。というよりも、いろんな経験を積んだ上で『むしろ変える必要がないのではないか』と考えるようになったのです。

 

正しいとか正しくないとか、『流れ』が本当にあるとかないとか、そういった類の話ではございません。

 

はたしてどちらの考えが自分にとって心地いいのか? もっというと、どちらの考えが自分の人生を充実させてくれるのか?

 

真実を追究/探究することよりも、適度に肩の力を抜いてもっと自分都合で考えたほうがストレスなく楽しく生きていけるのではないか。数年間いろいろ試行錯誤した結果、かような結論に至ったわけであります。

 

そろそろ環境を変える時期かもな──。

 

ふとそんな考えが頭をよぎったのは、1年前のある日のことでした。

 

【後半に続くYO!】