午前、己が顔面および首筋付近にギャッツビーを塗りたくりまくりマクリスティーながら起床。その際、「ギャッツビーつけて~、かっこつけて~」といふ名曲を口ずさむのは大人社会の常識なり。


午、魯山人のことを頭に思い描きながら治部煮とマグマを食したりけむ。類い希なる尋常ならざる霊験あらかたなる才能を開花せしむるためには、やはり暗黒物質(ダークマター)の力を借りんければあかぬのだろうか。


午後、パンパカパーン、今週のハイライト。と叫びながら横山ノックと会談しない。その後、原稿。ずっとずっとずっと心のなかで思っていたことが書けてうれしい。流れも言葉も、まあ、そこそこ。完全完璧パーフェクトなる自己満足/自己完結の世界。※17日発売のパニック7ゴールドという雑誌に掲載予定


夕刻、体力および精神力の臨界点に到達。NY空港発の飛行船に乗船後、KMへと向かう。それすなち、入浴後にサントリー金麦を食すという愚行なり。


深更、ハートマークがきゅんきゅんにプリントされた「なう」を抱きながら就寝雇用制度の崩壊。雨ゴールドとは、円天と同義なり。すなわち1雨ゴールド、イーコール、1円天といふことである。


眠る前に布団のなかで思う。拙もいつの日か「なう」を「フォロー」できる日がくるのだろうか。そんな夢のような日がいつか訪れるのだろうか。それにしても、「なうをフォロー」という言葉はすばらしい。この言葉を考えたひとは天才や。ここ数日、そんなことばかり考えている。


それはつまりどういうことかというと、たとえばX JAPANがライブで「紅」を演奏する際、ボーカルのTOSHIが冒頭でぎゅんぎゅんの目をしながら「くれないダーッ」と叫ぶその一瞬前に、観客側が「いのち」という言葉を発すれば、TOSHIは「くれないダーッ!!」と絶叫しようとしたにもかかわらず、そこに「いのち」という言葉が聞こえたため、脳内でなんらかの化学変化が起こり、「(いのち)……くれぇ~なぁ~いぃ~」と、自分の意思とは無関係に瀬川瑛子のような歌い方になってしまうということである。つまり要約すると、TOSHIと瀬川瑛子は生物学的見地から見て、ニアリーイーコールというわけだ。


わたしはTOSHIも瀬川瑛子も嫌いではないけれども、毒蝮三太夫も嫌いではなく、それはなぜかと尋ねたら、べべーん、「なう」だけでなく他のこともしっかりとフォローしているからである。


なんだこのババァ、なんだか高麗人参みたいな顔してやがるな。俺があんたの葬式の司会やってやっから。盛大に盛り上げてやっから。がはは。


……長生きしろょ。(肩ををポンポンと2回叩きながらやさしく小さな声で)


このひと言。この最後のひと言で、これまでの発言すべてをフォローする。すべてが逆転する。歌舞伎用語の、いわゆるドンデンというやつである。


そんなこんなで田川くん&ミサトちゃん、結婚おめでとう。これからも末永くお幸せに。ふたりとも酒豪だから飲み過ぎに注意!!(笑)


田川くん&ミサトちゃんって誰やねん拿捕。そんな知り合いおらへんがな。乞食ずれがなんかしとんね。ちゅーか、文末に(笑)とか使うな拿捕。日本語をなめるな。んもぅ、きっしょいわあ。了