こんにちは!おこげです。

今日も比較的涼しい1日。服を着れば暑く、脱げば寒い。難しい1日でした泣き笑い


さて、今日だったかな?明日だったかな?とずっと思っていたのは父の命日。

発見された日を命日だと勘違いしがち。父の命日は今日です。でもわかんないよね、1人で死んだもんだから。具体的に何時頃死んだかもよくわかんないんです。


自死遺族ってヤツなんです、私。5年前に父を自死で亡くしました。


それでね、5年前の私も、死にたかったんですよ。何度か自死を試みてます。


ところがどっこい、この時の私は、父の自死が衝撃的過ぎて、「この世から自死を無くしたい」って思いました。自分も死にたいのに泣き笑い


本人はさ、そりゃあ、自死する位苦しかったんだと思いますよ。でも、遺された人達の苦しみも、相当なモンでした。


父の自死現場を見た母はかつて精神科医から「アンタはうつ病にはならない!」って太鼓判押されたメンタルつよつよ女なのですが、その母が、父が最期を過ごした家に未だ近付けず、カウンセリングにも通っています。まあ薬は飲んでないあたり、メンタルつよつよだなって思いますけど。


他の家族も、表には見せませんがそれぞれ抱えてるものがあります。


自死は、悲しいのです。本人も、底なしの苦しみを味わってるでしょうが、周囲の人も底なしの苦しみをこれから先ずっと抱えていかなければならない。その状況が、ひたすら悲しい。


この悲しみから後を追う人も居る位です。






さてさて、「この世から自死を無くしたい」と思った私は、まず死にたい私とお別れしなければなと思い、紆余曲折あり現在は、死にたい私と(ほぼ)お別れ出来ました。



以前Twitterで「死にたいヤツは勝手にどーぞって感じwww」って呟きを見てから私はより一層Twitterを辞めたくなりました。まあだから辞めたんだけど。


もしも5年前の死にたい私に「勝手にどーぞ」って放置されてたらさ、今生きてないかもしれないの。


色んな人が、色んな形で「とにかく生きてて欲しい」って、私にメッセージを送り続けてきたから今、生きてるんです。


私は今現在、死にたいと思うことはほとんど無くなりました。でもそれって私ひとりの力で成し遂げた訳じゃないんですよ。何もしなかった訳では無いけどさ。


だから私の方から「これで死にたくなくなる☆マル秘メソッド」みたいなハウツーは出せません。私は単純に恵まれてたんだと感じるから。


今はとにかく毎日がすごく楽しくて、とっても幸せ。5年前、死にたいって言うなら死なせれば?ってスタンスの人がもし私の周りに居たら、こんな未来は描けなかったかもしれません。


死にたくなるくらい辛い今がある方へ、「それでも生きて」って言うのは、かつて死にたかった私からしたら少し心苦しい。死だけが希望って感じなのに、それすら奪うのかって思う。


だけどやっぱり生きてて欲しいです。

死ぬ手段を頭いっぱい描いてるかもしれないけど、片隅でもいいから考えて欲しい。「私が生きやすくなるには何をしたらいい?」って。


私はひたすらそれを頭の中で考えてきました。

そして実践してきました。その結果、遠回りはしたけど、生きやすくなって、幸せな顔で生きていける今がやってきました。


もちろんこの状態がこれからも続くとは限りません。私はこうしてる間にも老いていって、できない事も増えて行くでしょう。同じように、周囲の人も老いていきます。環境は変わり続けます。


だけど私はこれから先もずっと、今ある幸せから目を逸らさないって決めたんです。


どんな環境でも咲く花があるように、今の私がどんな状態でも、必ずどこかに幸せはあると信じています。




今はA型就労が始まって、バタバタと過ごしているのですが、私は自分の夢のために、少しだけ動き始めました。


この夢が形になるのはまだまだ先になりそうですが、自分のペースでボチボチ夢に向かって動き出したいと思っています。


父を死なせてしまった苦しみは、いつまでも無くならないけど。

同じ苦しみを抱える人を減らしていきたい。


それが私の願いです。


重い話でしたので、最後にコタちゃん載せときます。


最近のコタちゃん。