あまり、ここで、こういうことは述べたくないのだが・・・
ずっと、心に生まれた疑問が、消えることなく、育っていってしまうので、メモを兼ねて書いておこうと思う。
子どもたちには、いつも、
「筋道立てて、物事を考え、意見を述べよう」
そして、
「物事の一面だけを見るのではなく、多角的に見て、考えよう」
と伝えている。
子どもたちは、
考えたことを人に伝えるための練習として、「意見文」を書く練習もしている。
この練習は、何のため?
大人になって社会に出たときに、自分のため、世の中のために、必要な技術だから?
人と人が生活をするのに、大切なことだから?
一生、学べる人になるため?
目的は、いろいろだろう
さて。
今の日本は(今に限ったことではないのかもしれないが)、
この「筋道立てて」や「多角的に」をしているのか?
昨年の春のコロナ休校から始まり、現在に至るまでに、
私たちは「筋道立てた納得できる説明」を、どのくらいされたのだろう?
「休校」も「一回目の緊急事態宣言」も、
「想定外のできごと」だから
と言葉を飲み込み、受け入れた。
「GO TO なんとか」も、疑問は持ったけれど、
「経済に疎い自分がわからないだけなのかも」
と、自分の不勉強を恥じることで、敢えて自分を納得させた。
まもなく、オリンピックとパラリンピックが始まる


オリ・パラに対しては、自分は
「せっかく日本でやるのならば、ボランティアなどをして、この機会を楽しみつつ選手を応援したい!」
などと考えていた程、これまでは「好意的」に受け入れていた。
しかし、今は・・・
「オリンピック」についての対応の疑問点が、
一つも解消されないどころが、どんどん増えていく現実から、
これまでのようには思えなくなってしまっている。
❓21年度のオリンピックについて、「やる・やらない」議論を、昨年から計画的にしたのか?(「やる」前提で進める人ばかりでの議論では、正しい議論にはならない)
❓オリンピックをやるための逆算で、動くことができているのか?
❓目的と意義を、しっかりと説明したのか?そして、人々は納得したのか?
❓相手からの質問に対して、きちんと答えたのか?(自分の考えだけを述べていないか?)
❓矛盾点については、その都度、理解されるように説明したのか?
❓間違いを認め、分析し、次に生かすことができているのか?
・・・❓を挙げたらきりがない。
こういう、いろいろな疑問や意見を、「正式」にあげるすべもない。
「国や地方のご意見受付」
は、出したところで、返事がくるのはまれ。読んでもらえているのかすらわからない。
だったら、われわれの代表である「議員」に声をあげればよいのか?
(組織の構造としてはこれなのか・・・。しかし、普通に話したところで、問題にすら気づいてもらえない💦)
子どもたちこそ、素直に意見を述べてくる。
だから、この「コロナでの子どもたちからの文句」が、非常に論理的に思えてならない。
子どもは素直だけれども、単純でもある。
だから、「オリンピックなんてきらい
」という子も出てくる。
決して、「オリンピック」が悪いのではない
(論理的にそこは説明しますよ😅)
でも、「オリンピック」が「夢」ではなく、
「悪夢」になっている若者や子どもたち、そして大人もいるのだ。