前回は祖母の兄(大伯父)のことを書きましたが、今回は曾祖母の弟(曾祖叔父=そうそしゅくふ)の戦争記録を軍歴証明書をもとに紐解いていきます。

 


曾祖叔父は明治42年(1909年)に生まれ、昭和20年(1945年)に36歳の若さでソ連の地で戦病死しました。



 

過去記事に曾祖叔父や曾祖母の生家のことを書いてますのでそちらもご参照ください。


https://ameblo.jp/okerokichi/entry-12593764549.html 





さて、今回取得した曾祖叔父の軍歴証明書がこちら↓


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軍歴証明書を時系列に見ていくと、



★昭和4年(1929年)

12月1日、現役兵。

⇒20歳で徴兵検査を受けたものと思われます。



★昭和5年(1930年)

1月10日、現役兵として歩兵第14連隊第6中隊に入営。歩兵二等卒。

11月30日、善行証書付与。歩兵一等卒に昇級。

⇒歩兵二等卒として入営。11月には善行により歩兵一等卒に昇級した模様。



★昭和6年(1931年)

11月30日、現役満期。

12月1日、予備役。

⇒徴兵期間が終わり予備役になった。



★昭和7年(1932年)

3月1日、臨時招集のため歩兵第14連隊に招集。

3月26日、招集解除。

⇒臨時招集を受けたが同月に解除された様子。



★昭和9年(1934年)

4月29日、昭和六年乃至昭和9年事変従軍記章授賞

⇒これは満州事変の従軍記章のことで、曾祖叔父も授与されたようです。



(〜中略〜)



★昭和16年(1941年)

8月1日、工兵第56連隊に応召。第42野戦道路隊本部に編入。部隊派遣のため門司港出航。

8月23日、大連港上陸。

8月28日、国境警備勤務に服す。

12月8日、大東亜戦争宣戦発布。

⇒応召のため門司港から出航し、中国の大連に上陸した様子。その後、国境の警備を担当していた模様。12月に太平洋戦争が始まりました。



★昭和17年(1942年)

1月7日、南方転用のため虎林出発。

同日、密山県境通過。

同日、国境警備勤務を離る。

1月11日、関東州界通過。

同日、大連着。

1月24日、転用中止のため大連出発。

同日、関東州界通過。

1月28日、国境警備勤務に服す。

8月31日、陸軍上等兵。

⇒太平洋戦争が始まり、南方に向かうため国境警備勤務を離れて虎林(中国の市)から移動開始した。が、転用が中止になり、再度国境警備勤務になった様子。8月には陸軍上等兵に昇級したようです。



★昭和19年(1944年)

2月1日、第3中隊編入。

4月20日、部隊移駐のため虎林出発。

4月21日、冕寧県境通過。

同日、国境警備勤務を離る。

同日、勃利県勃利着。

8月10日、部隊移駐のため勃利出発。

8月14日、奉天省鞍山着。

9月19日、部隊移駐のため鞍山出発。

同日、遼陽着。

⇒昭和18年の記録は空欄ですので国境警備勤務を続けていたものと思われます。昭和19年2月に第3中隊に編入し、その後は部隊移駐のためかなり移動していたようです。


※軍歴証明書の記録はここで終わっており、昭和19年9月の最後の記録から曾祖叔父が亡くなる昭和20年10月までの約1年間の動向は分かりませんでした。ここからは、戸籍、死没者原簿、町史、ロシア政府の記録等から曾祖叔父の動向を追っていきます。



★昭和20年(1945年)

8月15日、終戦。

10月20日、ソ連ブラガへ(ブラゴヴェシチェンスク)とチタの中間駅輸送中に急性肺炎で亡くなる。

⇒8月に戦争が終わり、曾祖叔父はソ連軍の捕虜になったと思われます。10月にソ連ブラガへ(ブラゴヴェシチェンスク)〜チタの輸送中の列車内で亡くなっています。死因は急性肺炎と書いてありました。


36歳でした。




 


戦争は終わりましたが、曾祖叔父はそのまま極寒のソ連で亡くなりました。

日本の土を踏むことも、家族に会うこともなく。



除籍謄本の曾祖叔父の欄には、

 

『昭和二十年(1945年)十月二十日ソ連ブラガヘにおいて戦病死』

 

と書かれていましたが、

ロシア連邦政府から提供された抑留者に関する資料には、


『推定される死亡場所・移動中(ブラゴヴェシチェンスク〜チタ列車内)


と更に詳しく書いてありました。



更に死没者原簿という資料には、


『ソ連ブラガへとチタ中間駅輸送中。急性肺炎。』


と記載されていました。

おそらくブラガへはブラゴヴェシチェンスクの誤記?もしくは略名だと思われます。



これらの情報を統合すると、いずれにしてもソ連のブラゴヴェシチェンスク~チタに輸送中の列車内で急性肺炎により亡くなったということが事実のようです。



曾祖叔父の軍歴証明書を取り寄せてみて、動向を時系列にまとめてみると、そこには一人の人の人生があったということを改めて考えさせられました。

 

みなさんも、もしお身内で戦争を体験されている方がいるなら、もしもお話を聞けるならぜひお話を聞いてみてください。

いろんなことを考えさせられると思います。

 

 

ちなみに、このチタという地には日本人抑留者の墓地があるみたいです。

もし、いつかロシアに行けたらこの地に足を運んでみたいと思います。



というわけで今回は軍歴証明書をもとに曾祖叔父の戦争の記録を紐解いていきました。

では😊