社員もブラックなのでは

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厚生労働省は17日、若者の使い捨てなどが疑われる「ブラック企業」の調査を9月に実施し、対象の5111事業所のうち82%に当たる4189事業所で労働基準関係法令の違反が見つかったと発表した。ブラック企業の調査を厚労省が行うのは初めて。同省は違反があった事業所に是正勧告を行った上で、是正が見られない企業については公表し、書類送検する方針だ。
2013年12月17日時事通信社



ブラック企業問題の議論でもっとも俎上にのせられるのが
長時間労働と未払い賃金です。
なぜかくも日本人労働者はサービス残業をしてしまうのでしょうか?

サービス残業というと、社員が唯々諾々と
毎晩深夜まで仕事をさせられているイメージです。
しかし、実際は全員がそうということではありません。


■ ブラックフォロワー社員

私はかつて、ブラック企業に勤めた経験があります。
毎日職場には社長の社員を罵倒する怒声が響き渡り、
5年で5人もメンタルヘルス疾患の従業員を出すような実に真黒い会社でした。

この会社では、仕事が終わり
22時前に帰ろうとすると、
会社の出口にたどり着くまでに
「お前、もう帰るの?」
と嫌みたっぷりに言ってくる同僚が必ず何人かいて
気持ちよく帰れたことはめったにありませんでした。

そういう嫌な社員は毎日、朝8時から夜0時まで
「これが自分の生き様だ」と、張り切っている自己心酔。
「仕事楽しい」と言いながら
目にクマつけて毎日イライラキリキリしながら長時間働いていました。

ブラック企業においては
経営者だけではなく、一般の社員もブラックである
ということが往々にしてあるのです。

さきほどの「もう帰るの?」とプレッシャーをかけ
他の社員をサービス残業に誘導する
モーレツブラック社員は
たいがい社長のお気に入りであります。

だから彼らは職場の中心人物として君臨することが多く、
他の社員を無料奉仕させることを促進させるという役割を担っています。

最近、ブラック企業がどういったものなのか、その定義を
本や雑誌やネット上でよく見かけますが、私の実感としては、社長の片腕となって
会社のブラック化に拍車をかける“ブラックフォロワー社員”の存在も
ブラック企業の特徴の一つであることはまちがいないと思います。


■ ほんとうはタダ働きをしたい社員たち

このようなサービス残業大歓迎、
しかも無料奉仕こそ会社の恩義に報いる正義なりと言わんばかりに
自らブラックの奴隷となり、しかも
自身の滅私思考を他の社員にも当然のように押し付けてくるあの発想
いったいどこからくるのだろうかと
あの会社にいた当時、私はずっと不思議に思っていました。

ブラック社長による
洗脳のたまものか、
社長の寵愛を守らんと躍起になってのことなのか

それとも権威権力に弱い日本人の悲しい性なのか?
とにかくそのサービス残業をよしとする精神が私には疑問でした。

こうしたブラック企業の深層をふまえた上で
世の長時間労働やサービス残業がまったく減る気配がない様相を見ると

ほんとうは、
労働者自身がサービス残業をしたがっている
のではないだろうかと思えてきます。

社員が意識の奥底で
「金はいらないから俺はずっと会社に残って仕事をしていたいんだ」
という意識があるから残業をしても賃金は請求せず
いつまでもブラック企業をのさばらせる
ことになっているのではないかと思うのです。

こういうことを言うと、
「そんなばかな、
自らタダ働きをしたがる人間などいるわけない」
と信じられない人もいるでしょう。

でも、これは、
人間の心理に照らしてみると案外あり得る話なのです。


■ 報酬とやる気の関係

人間には自分が好きでしていた行為に値段がつくと
そのことに本質的な興味を失うという心理的特性があります。

これは、アンダーマイニング効果といって、
さまざまな心理実験で明らかになっている理論です。
内発的に(自分が好きで)していた行動に外発的報酬(金銭など)
を与えると人はモチベーションを下げてしまうのです。

例えば、好きなゲームを普通にしている場合は何時間でも続けることができるが、
そのゲームのクリアに報酬が与えられるとなったとたんにやる気がなくなり
ゲームする時間が前より減っていくという現象が起きるのです。

この理論を逆に解釈すると
報酬を与えなければ人のやる気を持続させることができるということもあり得ることになります。

また、人の心理には報酬によって
辛くて嫌な仕事でも「好きな仕事」と認識する仕組みもあるのです。


■ 高報酬の方がおもしろい?…フェスティンガーの認知的不協和理論

心理学者のレオン・フェスティンガーは、ある実験をしました。
複数の被験者を2群に分け、
物をお盆の上に置いたりどかしたりといった
すごく単調でつまらない仕事を数十分させるのです。

そして片方の群には、20ドルの報酬を渡し、
もう片方の群には1ドルしか渡しません。

その後、両方の群の人たちに別々の部屋に行ってもらい、
それぞれの部屋にいる人に、
先ほどのつまらない仕事のおもしろさについて話をしてもらいます。

果たして20ドルの報酬をもらった人と1ドルしかもらえなかった人、
どちらがつまらない仕事を「おもしろかった」と言う度合いが高かったのでしょうか?

多くの人がなんとなく20ドルもらった人の方が
「あの仕事はおもしろかった」という率は高いと思うかもしれません。

しかし実際は、
1ドルしかもらえなかった群のほうが
「あの仕事はおもしろかった」という率が高かったのです。

この現象について仕事に対して「認知的不協和」が発生したとフェスティンガーは
表しました。

認知的不協和とは、自分の中で矛盾する事実を認識することで生じる不快感を表す心理学用語です。
例えば、愛煙家が、
「タバコは肺がんの発生確率を高める」という事実を認識する。
しかし、愛煙家は、自分はタバコが好きであり禁煙なんかできないという認識も曲げられない。

この矛盾する認識がぶつかりあって生じる不快感が、認知的不協和であります。

そして、この認知的不協和にさいなまれた愛煙家は、
「タバコを吸わない人でもガンになる人はなる」と
自分に言い聞かせてタバコを吸い続けます。
これを認知的不協和の解消と言います。

このような心理現象が報酬と労働に対するモチベーションとの関係でも発生することがあるのです。

フェスティンガーの実験では、
20ドルをもらった人は
「たくさんもらえたんだから」ということで
つまらない仕事のおもしろさを語るという不協和が解消されてしまいます。
そのため、
「あの仕事はつまらなかった。でも、20ドルももらえたんだ」
と仕事おもしろさについては本当のことを言ってしまいます。

それに対して、1ドルしかもらえなかった人は不協和を解消することができません。
だから、「1ドルしかもらえなかったのに、自分がさせられた仕事がつまらないなんて認めたくない」という心の奥底に生じるモヤモヤを解消しようとして
本当はつまらなかった仕事をおもしろいと思いこむようになるのです。


■ 取り締まりの限界

ブラック企業の給与水準は低廉であることが多い。
だからこそ、ブラック社員は
自分の不協和を解消しようと
「自分がしている長時間労働はおもしろい、こんなおもしろいことを喜んでやらない奴はバカだ」と自分に思い込ませるのではないかと思います。

こういった労働者自身の心理の観点による
ブラック企業を作るのは思い込みの激しい社員自身であるという見方をした場合、
ただ企業の法令違反を取り締まるだけでは、
ブラック企業問題は根本的な問題解決につながらないと思うのです。
海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」乗組員の自殺に絡み、「いじめを示す調査文書が隠されている」と内部告発した3等海佐(46)に対し、海自が懲戒処分の手続きを始めた。
朝日新聞デジタルより


いじめは単なる個人同士のいさかい程度で片づけられないほどの
命に関わる重大な社会問題であるというのが
今日の日本社会の一般的な認識であります。

この重大な問題を、規則を破ってでも告発することが、
国家や組織に背く違反なのか、それとも認容されるべき行為
なのか、
どう判断するかによって、
この国の公益通報や情報公開についての成熟度が見えてきます。

みなさん、
「ペンタゴンペーパーズ事件」というのをご存知でしょうか?
ペンタゴンペーパーズとは国防総省の戦争の機密文書の俗称です。

ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件のでっちあげなど
戦争を開始し故意に拡大させたことを含め、
アメリカの政権が国民を欺いてきた戦争の歴史がそこに記されていました。

この最高機密文書の一部を、1971年6月13日、
ニューヨークタイムズ紙がスクープしました。 
この記事のおかげでアメリカのベトナム戦争反対の機運が高まります。

当然、当時のニクソン政権は諜報活動取締法や国家反逆罪を振りかざし
新聞社に圧力をかけ、
出版差止め命令を裁判所に求めました。
さらには、この機密を盗み出したニューヨークタイムズの記者を告発しました。

それに対して連邦最高裁判決は…



政府の命令を違憲とする判断を下し、

そして、二人の記者の告発も却下されました。


国益を守るということは、秘密を守るところにあるのか、
政府組織の中にけしからん事実があったことを暴くことにあるのか、

それについてアメリカの司法は、暴くほう、
つまり国民の「知る権利」の方を選んだのです。


先日、日本の国会にて特定秘密保護法案が可決されました。

この数週間、「この日本には守られるべき秘密があり、国益のためにも秘密法が必要である」
というようなフレーズがさまざまな議論の中で
何度も出てきました。

確かに、どんな組織にも守るべき秘密はあります。
企業で言えば技術、顧客情報などがこれにあたるでしょう。

せっかく企業が築きあげた長年の開発成果を
ライバル社に盗まれ、その技術によって企業が競争に敗れるようなことを
許す社会があるとすれば、それは公正な社会とはいえません。

機密を守るということは
競争をフェアにする上で欠かせない行為であり、
それを守るための法制度を否定することは
決して合理的とはいえません。

しかし、必要以上に隠すことを常習化させている組織に
対象指定が際限のない秘密法という伝家の宝刀を与えることは、
その社会のコンプライアンスや道徳性が
疑われる要素となります。

なぜなら、今回の事件のような組織内いじめをはじめ、
資金の不正流用や身内の犯罪の隠ぺいなどの
組織の不正や問題点をいくらでも闇に葬り去ることができ、
社会的に「フェア」でない状態となるからです。

今回の事件を鑑みても、
この日本という国において
秘密法という伝家の宝刀を抜く資格が本当にあるのか?
という疑問がどうしても私にはぬぐい去れません。

ペンタゴンペーパーズ事件のような
法律違反の取材でも国益に適うものであり
報道の自由に資する取材であるなら無罪である
という判例が積み重なった国では
必要最小限のことだけを国民に明かさない機密保持法は
それほど脅威にはならないと思います。

でも、
もし、
この日本が、この内部告発した3等海佐に社会的制裁を
与えるようなことを認める国であるならば、
それは、この社会が報道の自由や情報公開の風土が未熟であることを自ら認めたこととなり、
きっと特定秘密保護法案はこの国にとって危険極まりないものとなるでしょう。

この事件は単なるいじめの訴訟問題ではなく
この国の情報公開と重要な秘密を守ることについての成熟性をは量る分水嶺と言えます。


この作品は、いくつかの階層で成るスクールカーストを描いているのですが、
ある視点で見ると登場人物を二つのクラスタに分けられます。

それは「恋人を作れる人、作れない人」という分け方です。

この基準は残酷なまでに人間を分け隔てます。
なぜなら高校生活の充実度は恋人がいるかいないかで格段に違うからです。


■恋愛の条件

スクールカーストの上位にいるのはいつも運動部です。
高校生活において女子にモテる条件として多くあげられるのはスポーツができることだからです。
恋に幻想を抱きがちなお年頃女子には「男は中身だ」などというセリフは取るに足らない痴れ事でしかありません。

背が高くてスポーツマン、頭もよくてセンスがいい、
そんな相手じゃないと十代でカワイイ自分の恋愛劇場のステージに上げることなんてできない。

だから、かすみとの恋をひとり夢想する映画部部長の前田は、
足元のサッカーボールを空振りするダサさ丸出しの彼は、
恋愛のステージに立つ資格すらなかったのです。
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■すべてが結果の世界

カースト上位にいる恋愛勝者たちは常に結果を必要とします。
勝利、運動能力、ファッションセンス、頭の良さなど常にカッコよさという結果を女子に求められるので、日常的に物事を結果で判断しがちになるのです。

宏樹が野球部をサボるようになったのは、弱小チームで得られる結果がきっと満足できるものにはならないと思ったからです。
それは「結局できるやつは何でもできるし、できないやつには何もできないっていうだけの話だ」
という彼の結果主義的でシニカルな信条からくる行動です。

この映画のカースト上層者と下層者とでは何かをするときの理由が根本から異なっています。
それは、それをすることによってリターンがあるかないかという判断基準の有無です。

上層者は異性にモテるとかみんなにチヤホヤされるとか、良いリターンが期待できるときにがんばるのに対して、下層者は自分の行動に結果を期待しません。

映画コンクールで優勝できる望みのないゾンビ映画製作にのめり込む前田、
夏が終わっても指名されるはずもないドラフトまで野球部に出て練習に打ち込む3年生のキャプテン
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結果がでないとわかっていても、好きだからしょうがないという理由だけで
彼らはわき目もふらずひたすら好きなことに熱中します。


■報酬を求めない純粋な興味だけの行動

人間が何か行動をするときの動機には二種類あります。
内発的動機付けと外発的動機付けです。

内発的動機とは、それをするのはおもしろいからという行動の理由です。
例えば、ゲームをする人は、褒美がもらえるからという外部からの理由ではなく、単におもしろいからといった自分の内から沸き起こる純粋な動機によってゲームをするのです。

もう一つの外発的動機付けによる行為とは報酬目的の行動のことです。辛い部活の練習も女子にモテるとなると男子は奮起し力を湧き起こします。嫌なことでも報酬があると労苦をいとわなくなる。ということは、
逆に言えば報酬がもらえる行動は嫌なことである、という解釈も成り立ち得ます。


■上層者の迷い

スクールカーストの上層者にとって恋愛は報酬です。
報酬目的のために男子は運動神経を鍛え、女子は可愛さを追求する。
欲しいものを手に入れるための闘争がスクールカーストという形で残酷な上下関係を決めるので、上層者は本当の自分には望ましくない苦労や苦痛も甘受しなくてはならなくなります。
映画の上層の人たちを見ていると、イケてる自分にどこか息苦しさを感じているようにも見えます。

桐島が部活を辞めたことで恋人の梨紗とバレー部員たちが困惑しているのは、彼女らには一流選手としての能力を持つ桐島に関わるメリットがあったからです。

そんな自分にぶらさがる周囲の人間に対して桐島は、自分は一人の人間として周囲にどう思われているのか疑問に感じ始めたのかもしれません。
ともすると彼は、自分は周囲の人たちの自尊心を満たすための道具にされているのではないかという疑念すら持っていたかもしれません。

バレー部エースの恋人としての一流素敵女子であることでアイデンティティを構築する梨紗
そんな彼女に桐島は、自分はひとりの男としてどういう扱いをされているのか、それは自分にとってどんな価値があるのかわからなくなったのではないかと思うのです。

イケてるイケてないという基準ですべてが決まる恋愛はある種の契約関係に似ています。
かっこいい彼氏でいることを条件に可愛い彼女が与えられる、
報酬を与えられる、もらえるから与える、

そんな勘定高いギブアンドテイクな関係こそが充実した高校ライフ、というのであるなら、それにどんな意味があるのか?
それに自分はどう感じているのか?本当にそれでいいのか?沸き起こる迷い。
真摯に青春と向き合う者には悩ましい疑問です。


■結局イケてる女子が握っている

恋愛できるかどうかの決定権は、だいたいは女性が握っています。
ただし、この決定権は、どんな女性でも持つことができるものではなく、女性的魅力をより多く持つ者に許された特権です。地味な吹奏楽部部長には縁がありません。
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この映画のなかでは、上層者の梨紗、沙奈、かすみが自分と恋愛する権利を、それぞれの彼氏である桐島、宏樹、竜汰に与えています。
ダサい映画部である前田らは、恋愛対象となるどころか女子に日常的にあざ笑われ、自分にはチャンスがないことを思い知らされるだけ。

勝者と敗者、この差は結果主義の残酷性を伴います。
しかし、そのような現実において勝者には常に結果を求められる息苦しさがあるはずです。

突然、部活を辞めた桐島、
恋愛に縛られず自由屈託なく生きる前田を見てふと虚無感に襲われ涙した宏樹
スクールカーストの上層の彼らも世知辛い高校生活の中心にいる息苦しさから逃れたいという気持ちがあったのかもしれません。
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■草食系男子の起源

厚生労働白書で、によると「異性の交際相手も友人もいない」若者が、
男性62.2%、女性51.6%にものぼると言われています。
モテる少数の男性は多くの女性と付き合い、モテない男性はずっと一人身のまま。そんな
格差激しいカースト制が現代日本の恋愛事情を形作っています。

恋愛に興味を持つことがない昨今の若者を「少子高齢化の根源」として嘆く社会の大人たち。
でも若者らにしてみれば自分たちは人口増加の道具ではないという反発感を彼らは持っているような気がします。

「いまどきの男は女一つモノにできないのか、情けない」と世のおっさんたちにいくら蔑まされようが
年収を、カッコよさを、おもしろい話をして、何でも気づくやさしさを、もっと自信を持ってよ、堂々と男らしくして! 
といった女性にとっての「報酬」を一方的に要求される今日の恋愛に世の男性は嫌気を感じているのではないでしょうか。

厚労省の若者意識調査によると草食系男子には恋愛よりも自分の趣味を大事にしたいという人の比率が年々高まっているそうです。
おそらく、ゾンビ映画を作る前田や見込みのないドラフト会議を待つ野球部キャプテンのように内発的動機付けによる行為に没頭したいという意識が多くの若者の中で強まっているのだと思われます。

報酬や結果ばかりを求められる恋愛に縛られるのはバカらしい、そう思う人が多数派になりつつあるのがこの現代日本の世相なのです。

そんな恋愛ステージから消えた今日の草食系と呼ばれる男たちは
きっと過剰に結果ばかりを求められる世界に虚しさをおぼえた桐島や宏樹のなれの果てなのだと思います。

映画 「桐島、部活やめるってよ」

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今年のアカデミー賞は何ていう作品だったっけ?
と聞かれてもぱっと出てこない。
毎年のことだからすぐ忘れてしまいます。
2013年アカデミー作品賞は「アルゴ」でした。
では、
日本アカデミー賞はといえば…

余計出てきません。
発表から8カ月経った今でもサッと答えられたら、
それは結構な日本映画フリークです。

今年の日本アカデミー賞最優秀作品賞は
「桐島、部活やめるってよ」という作品です。

「アルゴ」も大変おもしろい作品でしたが、
日本のアカデミー賞作品も負けていません。
なんせ、この映画のキャッチコピーは、
「ハリウッドよ、これが日本映画だ」なのですから。
なんとも挑戦的で大言壮語なコピーです。

しかしこの大げさなコピーに負けないインパクトが
この作品にはあります。

見た者それぞれに心震わす衝撃を与える力が、
この映画にはあるのです。

最近は、自分が今、満たされているかについて
リアルに充実しているという意味の
「リア充」という表現を用いる人が多いのですが、
高校生活を振り返って
自分が「リア充」であったかどうか、
それがこの映画の衝撃度を感じ取る重要な要素となります。

学校生活が「リア充」である要件として、
成績の善し悪し、
運動が得意か、
容姿がかっこいい
センスがある
おもしろい
そして、異性の恋人がいる
などが挙げられます。

これらを多く持っている人が学校生徒の階層序列での“上層の人”であり
ない人を“下層の人”と振り分けられる。

もちろん、誰かが表立って「あいつは上層」「あんたは下層」と
評価告知するのではなく、
なんとなく「自分はイケてる」から上層、
「彼女いないけど運動部でレギュラー」だからまあまあの中間層くらいか、
「ダサいオタクだよね、俺」だから下層だな
と教室の雰囲気によってなんとなく内心で自己決定させられるのです。

上層の人は、教室で何かと目立つし、異性とワイワイ盛り上がる。
学校生活で青春を謳歌しているのはまさに「リア充」の彼ら。
一方、下層の男子は体育のサッカーで邪魔者扱いされ
何気なくジョークをつぶやいただけで
女子に「キモい」と陰で嘲られる。

なんとなく生徒が生徒を階層的差別する空気感が学校にはある
という残酷な事実を如実にかつ精緻に描かれたシーンをこの映画は容赦なく見せつけてきます。

映画を見て行くうちに自分の高校時代と照らし合わせ
ああ自分はこの登場人物のポジションだったな…
そういえば女子にあざ笑われていたよな、あのとき…
おもわず身をよじらせ、身もだえ、切ない記憶がよみがえる映画

それがこの「桐島、部活やめるってよ」なんです。

私個人は、この作品は満足度において完全にハリウッドを超えたと思っています。
騙されたと思ってぜひ一度ご覧になってみてください。


すでに映画をご覧になった方はこちらもご覧ください

桐島が辞めた理由を考えてみた  
映画「桐島、部活やめるってよ」にみる草食系の起源 (注意ネタばれあり)



アリの子育ては…

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厚生労働省は育児休業取得を促進するために
給与の50%を支給していた育児休業給付を
67%に引き上げるという案を出すそうです。

しかし、はたして所得増加だけで
育児休業取得が伸び悩んでいる問題は解消に向かうでしょうか?

育児休業がなかなか取得されない原因を
休業中の所得の問題とするより
職場風土に大きな原因があると考えるほうが
現実的ではないかと思います。

現状として多くの職場においては、育児休業について
いささか否定的で非現実的な理想論ととらえる向きがあるからです。

「出産育児は大事だろうけど、育児休業で人手が減り負担ばかり押し付けられる我々の身にもなってくれ、だいたい
どうして他人の育児のために自分たちが苦労しなければならないのか?」
といった被害者意識が、経営者、管理職、そして同僚に芽生え
育児就業者に対して冷たい態度となって現れます。
当然、育児就業者も肩身が狭くなります。
職場における迷惑をかける者、かけられる者という構造
が育児休業取得が伸びない原因といえるのではないかと思います。

離職理由で最も多いのは職場の人間関係であるということからすれば、
職場と子育ての両立問題は、所得の問題より
育児のしわ寄せによる人間関係悪化の問題のほうを重く考えるべきだと思うのです。

では、なぜこのような子育て社員に対する不満は沸き起こるのでしょうか?
それは、いくら少子高齢化が危ぶまれている社会であっても
職場の現実問題として育児休業は
赤の他人の子どもの事情だからです。
他人の子どもの利益のために自分が不利益を被ることを
お人よしの愚かしさと
感じる雰囲気が今の日本の職場にはあるのです。

でも、自分以外の子どものための苦労は、すべて自分の不利益であるのかといえば
それも違うような気がします。


■ よその子の方がかわいい世界

社会性昆虫であるアリの世界において
働きアリは、自分の産んだ子ではない子供のために身を粉にして働きます。
自分の親である女王蟻の子、つまり自分の妹のためにわが身を犠牲にするのです。

なぜ働きアリはこのような自分にとって道理にあわないことするのでしょう?
それは、働きアリは自己遺伝子保存の法則に従っているからなのです。

性決定方式が単数倍数性のアリは、自分の子供よりも自分の親が産んだ子、
すなわち姉妹の方が共有する遺伝子が多いのです。
だから自分が産んだ子より女王蟻の産む子供が生き残った方が
世の中により多く自分の遺伝子を残すことができる、
というのがアリの自己遺伝子保存の原理なのです。

アリにいとしさを感じる感覚があるとしたら
きっと自分の子供より妹の方がかわいいと感じるに違いありません。

他人の幸福を自分の喜びと感じることが当たり前となったときに
うまく機能する社会があるとなれば、
アリよりも柔軟性の高い人間も同じような社会風土を作ることができなくもないような気がします。

もし職場の仲間に自分の育児中の子をかわいいと感じてもらうことができるとすれば、どうでしょう?
育児休暇も育児のための欠勤も早退も
職場の先輩、同僚の不満要因とならなくなるかもしれません。

「○○さんのかわいい赤ちゃんのために一肌脱ごう」、
「残業はがんばってうちらで引き受けるから○○さんは保育所に行ってよ」
というセリフが口を突いて出るような
そんな育児の共有感は職場に起きないものなのでしょうか?


■ 迷惑が迷惑でない社会

とある睡眠に関する調査では
多くの妻は夫のいびきを耳触りな騒音に感じると答えます。
しかし、良好な夫婦関係が築かれていると
妻はダンナのいびきがまったく気にならないという回答が多くなります。

人間には、友好な人間関係を築くことができていると
相手の迷惑が迷惑でなくなるという心理的な仕組みがあるらしいのです。

最近、保育園では子供の騒音がもとで近所トラブルになるケースが多いそうです。
年中鳴りやまない子供が発する大声が我慢ならないと
怒鳴りこんでくる近隣住人が後を絶たないらしいです。

そこである保育所は、
子供とのふれあいイベントを開催して
近隣住人の人を保育所に招待しました。
すると騒音トラブルはかなり減ったそうです。

他人の行為が迷惑かそうでないかは
ある程度は感覚の問題であるといえます。

普段からかかわりあいがある顔見知りの行為の影響は
見知らぬ人のものとくらべ受容しやすいのです。

こういった他人に対する許容心理の観点から
職場における育児中の人とそうでない人との
対立関係の解消方法を考えてみましょう。
例えば、
自分の子どもを職場に連れて来て職場の仲間と触れ合わせるといった
接触機会を設けてみるというのもひとつの手段だと思います。

子供に対する親密度が上がって、育児による業務しわ寄せの許容度は高まり
育児休暇等への理解が促進されるでしょう。
また、そういった機会を社会が積極的に作るということで
育児の社会的意義の理解が促進される契機になりうると思います。

子供は周りから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知る
ドロシーノルテ