その2からの続き・・・
2012年
地元総合病院のもの忘れ外来から市大付属病院の老年内科を紹介され受診。
ここで2週間ほど検査入院する。
入院してたのは別の科だったけど、同じ病室の人達とは仲良くなっていて、父は自分から冗談ぽく「ぼく、頭がパアらしいですわー」とか笑いながら話していたりした。
同室者も「こんなしっかりした人がまさかぁー!」って反応。
でも慣れない入院生活で父も混乱したのか
・一日に何度も何度も、ちょっと興奮状態で入院スケジュールについて母に電話してくる。
・外泊してくる際に、切符の買い方がわからない・電車の乗換えができず迷子になるなどの騒動があった。
そして診断は、『前頭側頭葉型の認知症』
ピックという分類は今はないけど??、ピック病のような症状が出るとの説明を受ける。
画像所見では『アルツハイマーも認める』 が、症状が出ているのは前頭側頭葉型のタイプが強いとのこと。
医者からは、簡単な今後予想される症状(ピック病の内容)の説明と、
今後も規則正しい生活を!車の運転はやめて!とかくらい。
そして、前頭側頭葉型の認知症は症状もショッキングだし内服薬も限られてしまうから、父への説明は、Drのアドバイスでだったと思うけど、『アルツハイマー型認知症』のみだった。
そして、メマリーの処方。
薬の調節は元々の地元の脳神経外科クリニックで、とのこと。
この脳神経外科の先生自ら、認知症は詳しくないんですーって言ってたのに!
優しくて本当にいい先生なんだけど、そんな先生が薬を調節して大丈夫なの?!と
診断だけついたらほっぽり出されたような気がして、これからどうなるんだろーと心細かった。
父は、Drの話をがむしゃらにメモを取りながら、聞いていた。
(あとでこのノートを見たら、誤字脱字がすごくて文章も変。こんなに書けなくなっていたことにビックリした。)
説明後、「そうかぁ・・・・困ったな。まあ、しゃーないな。」と言葉少なめ。
でもDrが、言語能力はすごく高いのでーと部分部分持ち上げてくれるような
説明の仕方をしてくれたので、徐々にそこを繰り返し言って納得しようとしてるようにも見えた。
家族みんな、父には
「はっきり病気がわかってよかった!いい薬もあるし、他にもいいって言われてることは色々やっていこうー。家族で支えるから大丈夫。」とか声かけて励ます。
ショックや不安もあったけど、はっきりしたことでやっと前に進めるような気がしていた。
診断がついたことで、父は早期退職する。
父もずっと病欠のことを気にしていた(職場近くに行くときは変装していたくらい)ので、
肩の荷がおりたみたいだった。
・・・・・・・って所までが、初めての認知症の診断を受けるまでの話。
忘れないようにと思い出しつつ書いていたら、だらだら長ーくなってしまって
全部読んでくださった方いたらごめんなさい(;´▽`A``
今年に入ってから父の症状も少し進み、クリニックを変えて(ここで意味性認知症と診断)
内服もガラっと変わっています。
また別記事で、ぼちぼち書いていきます。