いつもご覧いただきありがとうございます
娘の気持ちは退学へと心が固まっているようでした。
高校側からは三者面談を受けるよう呼び出しがかかりました。
やっとの思いで娘を連れ出し、面談に行くと担任の先生の他に校長先生も同席されていました。
学校側からの話は次のような内容だったと覚えています。
・今、復帰すれば進級できるということ。
・登校しさえすれば、何があっても見捨てないということ。
・伝統校でノーベル賞受賞者の出身校だから、卒業した後の人生で強みになる。誇りが違う。やめるなんてもったいないということ。
・今、やめると敗北者となり、ずっと逃げの人生を送るようになるということ。
これが校長先生からのお話でした。
3つ目4つ目のの内容は、その時の私の価値観でもあり、私自身の気持ちは、やめるのがもったいない。
たとえ休学して一年遅れでも、この学校でやり直す方が良いと心の中で思っていました。
今では価値観も変わりました。それに出身校など関係ないし、娘は人生の敗北者でもないのです。
私自身、価値観が変わって良かったな〜!とつくづく思います。
担任や校長先生の説得にも娘の意思は変わらず、退学し別の高校を受験することになりました。
約4ヶ月間苦しんだけれど、新しい高校を受験しやり直そうという言葉を聞き、「仕方がないのだ。学校が合わなかったのだ。やり直せるんだ。」そういう気持ちになりました。
退学届けを出した後、娘はすっきりしていました。
ウォーキングも習慣となって、生活も落ち着いていきました。
春になり無事新しい高校に合格し、友達もできて休むことなく、5月になりました。
この頃になると友達が不登校気味になり、娘は毎朝のようにその子の家に立ち寄るようになりました。
遅刻ギリギリまで、友人の家の前で彼女が出てくるのを待っていました。
一年遅れでの高校生活。
やっとできた友達。
毎日を大切にしたいという娘の気持ちを感じていました。
友達は全く登校しないようになりましたが、一学期はなんとか通うことができました。
そして秋になり、また運動会の時期がやってきました。
アームカバーと日傘の登校は続いていましたが、またこの頃から学校へ行くのが辛くなってきました。
朝、過換気を起こすようになったのです。
続きます。