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娘が学校へ行けなくなってから、度々高校へ呼ばれることがありました。


スクールカウンセラーの先生と面談があるからです。

相談室に入る前の前室では、娘と同じように教室へ入れないのでしょう。

二人の女の子が座っていました。

一人は顔色も悪く下を向いたままで、もう一人は真っ赤な顔で号泣しています。


二人ともとても辛そうでした。


そして私の面談の番が来ました。

カウンセラーの先生は、
「娘さんは精神年齢が高いのです。他の生徒と話が合わないようですね。」

そう言われました。

この言葉は、中学の時も言われましたが、だからと言ってどうすればいいのか?

その時の私は、ただ娘の家での様子を報告して帰るだけしかできませんでした。


娘は相変わらず、外へ出るとアレルギーで、日に当たっていない背中まで、びっしり小さな泡のような水疱ができていました。


痒みと痛み、そしていくら塗っても内服しても効かない薬に、娘の苛立ちは強くなっていきました。


他にも様々な要素があって、10月からは1日も登校できなくなってしまいました。

担任の先生は、クラスメイトを伴って、家まで来続けましたが逆効果なのでやめていただきました。


私も娘の気持ちに寄り添うどころか、学校に行って欲しいばかりでしたから、親子の間も悪くなり、娘は部屋こもりがちになりました。


時々大きな声で泣いていますが、私が行くと酷く拒否するので、オロオロするばかりでした。


今では相談をお聞きする仕事をしている私も、この頃はこのような状態でした。


私のする事なす事裏目に出て、娘は本当に苦しんでいました。


様々な出来事がありましたが、省かせていただきますね。


娘の気持ちを理解できないまま時は過ぎ、コミュニケーションも難しくなっていましたが、登校を強制するのをやめたら、少しづつ穏やかになっていきました。



ただ1日中、家の中にいて話もしないので、滑舌が悪くなってきて、気分転換にもなるしと、時々カラオケに連れて行くことにしました。


学校も行かずにカラオケなんてと言われそうですが、とにかく外の空気を吸わせたいのと、気分転換のために何度も連れ出しました。


そして年が変わる頃には、自発的にウォーキングを始め、日が傾く夕方から1時間弱、外へ出られるようになりました。


この頃は、もう元気になってくれればとそれだけを思っていました。



続きます。