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私には娘がひとりおります。
とても可愛く聡明な娘です。
幼い頃からスピリチュアルな感覚の強い子でした。
そのせいか否か、生まれながらに精神的な苦労が多かったかもしれません。
本が大好きで、手先が器用。
3歳頃から、粘土遊びに折り紙
あやとりなど、夢中で遊ぶ
手のかからない子供でした。
小学校でいじめにあったものの、中学校では友人にも恵まれていました。
ですが中3になって気にかかることがあり、スクールカウンセラーに相談に行ったことがありました。
普段、穏やかな娘が、一瞬ではありますが、時々キレるようになったからです。
私の両親との四人暮しでしたが、親子二人で暮らした方が良いこと。
二人になると激しく感情を吐き出すことになるが、それはとても大切なこと。
大人になる前に出し切った方がいいでしょう。
そういう風にアドバイスを受けました。
そんな娘が不登校になったのは、高校一年生の二学期でした。
今振り返ると、ずっと我慢しながら登校していたのでしょうが、不登校は突然やって来た。当時は、そう思いました。
私は、中学時代に受けたアドバイスを忘れていたのでした。
運動会の予行練習の日、背中や手足が火傷のようにただれた状態で帰宅して来ました。
病院にかかると、日光アレルギーと診断され、しばらくは外に出ないようにと告げられました。
お医者様も驚くほどの症状で、いろんな角度から写真を撮られ、看護師は手袋をはめて薬を塗ってくれました。
そして、運動会当日は、長袖長ズボンにキャップで競技には参加できず、テントの中で過ごしました。
運動会の後は黒いアームカバーをつけ日傘をさして登校しましたが、毎日皮膚をただれさせて帰宅していました。
病院に行くたび薬が強くなり、最後はステロイド薬の最強の薬を塗っても、効果は見られなくなりました。
そして学校に行かない日が続き、送っても校門をくぐるのが精一杯。
教室に入れなくなっていったのでした。
毎日のように担任の先生が家に来てくれましたが、返って逆効果のようでした。
家にいても自分の部屋で過ごすようになりました。
後に続きます。