[ツイッター詩139] (8月詩) | nishiyanのブログ

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この列島の一住民です。(九州)
今までにない最悪の復古的イデオロギー政権を退場させるため消費(GNPの約6割を占める家計消費)を意識的に控える活動を広めることを開始。2017.12.14に休止。★ひとり継続中。

 [ツイッター詩139] (8月詩)


植物たちも動物たちも
一日の終わりには帰って行く
葉を閉じるものもあり
ねぐらに丸まって眠るものもあり
同じように
ことばの人も
一日の終わりには帰っていく場所はある

もしも帰っていく場所が
安らぎのない
揺れ止まない部屋なら
否定の言葉ばかりが
沈黙の沼に降り積もる

現在は過剰な言葉と客引き言葉にあふれている
時代の尖端のことばの人は
そんな言葉の通りを自然な感じで泳いで行く
そんな通りから外れたところからは
言葉で規制し
言葉に誘い込む
ように見えてしまう
警戒してしまう
だから普通のことばの人は
言葉にならない沈黙を
いっそう深くする

どんなことばの人も
うちに帰って
服を脱ぎ靴下を脱ぐと
もう言葉を放とうという気にはなれない
沈黙の疲労野に横たわる
ゆめは
夢は見ない
見ているのかもしれないが
夢は見ない

こんなどんよりした現在が
どこまでもどこまでも
続いていく
ように感じられる場所では
ことばの人は
深く沈黙に沈むばかりである

もちろん
いつものように
朝はまたやって来るし
ことばの人は
いつものように
朝に踏み出して行くだろう

けれど
ことばの人の
沈黙は
時代の意味にとらわれない
峠道を歩いている