今日は午後1時半から貞山運河ネット主催の貞山運河歴史セミナーに参加しました。

参加費が800円ですが、会場は300席がほぼ満席でした。

仙台市民は歴史が大好きだと感心しました。

 

仙台市歴史民俗資料館学芸室長の畑井洋樹さんの講演

「新堀の掘削とその時代」は、目を見張る内容でした。

 

東日本大震災の津波で流され、瓦礫の中から救い出した「新溝碑」について

詳しく読み解いていただきました。

 

明治3年から5年にかけて借金をしながら、新堀を掘削した元仙台藩士の秋保昇と岩崎保。

新堀が機能し始めても投下資金は回収できず。

秋保は破産、転住、岩崎は疲弊を極め、明治17年に投下資金の5分の1以下の値段で宮城県に買い取られる。

戊辰戦争で敗れた仙台藩の下級武士の悲しい事実を初めて知りました。

 

又、畑井さんが紹介した新堀掘削から間もない明治時代初めの地図に驚きました。

写真の地図の新堀の左端、新浜の辺りに大きく橋がかかっています。

亡くなった遠藤家本家の奥さんが、先祖の弥太郎さんが、新堀に橋をかけて、弥太橋と呼ばれていたと話していると伝え聞きました。私は、そんなの小さな用水路の橋の間違いだろうと思っていました。

 

この地図を見て、本当に新堀に弥太橋が架かっていたと確信しました。

今、私たちは、貞山運河新堀に橋の復活を要望していますが、

それを応援してくれる過去の事実がわかりました。