小さい頃は5月になると町のいたるところで「キュウリ」のにおいがしました。

 

北海道で路地植えのキュウリがなるのは6月後半。

なんでキュウリのにおいがするのかといったら、その原因は「キュウリウオ(自分たちの地域ではキュウリヂカ)」が各家庭の軒先に干されていたからです。

 

地元の河川には5月になると、キュウリウオが一斉に遡上してきます。

 

夜に遡上することが多いので、懐中電灯とタモ網をもって、胴付きを履いた狩人たちが次々に川へと入っていきます。

 

当時の懐中電灯は今と違って光量が少なく、本格的な人たちはカーバイトという発火剤を使った電灯を用いて、煌々と川辺を照らして、効率よく「キュウリ」を掬っていきました。

 

うちの父親もこの春の風物詩をもれなく楽しんでおり、多いときに一晩で肥料袋いっぱいのキュウリを持って帰ってきて、母親を辟易させていた記憶があります。

 

狩猟本能というものは、後先の始末や調理を考えられなくさせてしまうらしく、父は毎度母親に怒られていました。

 

キュウリは皮から発せられる独特の匂いから、市場にあまりでまわりませんが、干して食べると非常に美味で、「ししゃも」と偽って販売する店も多かったとか。

自分は特にこの時期しか味わえない、卵の醤油漬けがたまらなく好きでご飯何杯でもいけました。

 

そんなキュウリ採りに連れて行ってもらい始めたのは、やっと自分の身長でも着られる胴付き(ウェーダー)を用意できた小学5年くらいからだったと思います。

 

キュウリは、浅瀬の川に立ち、ライトを照らしていると、流れの中に数本の黒い影が列になって見えます。これを川底の砂利ごとタモで掬うのがコツです。

 

魚は川底スレスレを泳いでいる為、川面だけを掬っても捕れません。

 

最初のうちは要領がつかめず群れを見つけても逃してばかりいましたが、コツをつかむと一網打尽で、次々とタモの中にキュウリが入ってきます。

 

 

気が付けば肥料袋いっぱいに、、、、、父の気持ちが痛いほどよくわかりました。

 

 

そんな春のキュウリ採りですが、自分が高校生になるころには遡上数も極端に少なくなり、軒先に干されている光景もさっぱりみられなくなりました。

 

素人による乱獲が全ての要因とは言えませんが、春の風物詩を消す一因となってしまったことは今でも後悔をしています。

 

釣りも正にそうですが、「狩猟本能」をいかに「理性でコントロール」するかが、長く遊び続けられる為の「コツ」であると教えてくれた出来事です。

 

カーバイトとキュウリのにおい。今はもう味わえない、懐かしく愛おしい5月の記憶です。