いい人
川越市のおかやす学(岡安学)です。
連日して、60代の方の葬儀がありました。
共に、死因は、がんでした。
しかも、告知されてから、どちらも、余命6ヶ月でした。
偶然の一致はこれだけではありませんでした。
どちらも膵臓がんで、わかったときには既に肝臓に転移していたというところまで同じでした。
さらには、お二人とも、お酒も、たばこも、やりませんでした。
定期的な運動習慣もありました。
また、それぞれのご家族が口をそろえて言うことも同じでした。
優しい、家族思いの性格で、いわゆる「いい人」であった、と言うのです。
ただ、唯一、違うことがありました。
一人は、手術を断念して、緩和ケアで最期を迎えていました。
が、もう一人は、本人の意向で、手術や抗がん剤などの治療を受けたうえでの最期でした。
わたしと、同世代の、この二人と、この度、なぜご縁があったのだろうか、とその後、考えさせられることがありました。
二人の葬儀のお勤めをした後、わたし自身が体調を崩してしまったからです。
いわゆる「いい人」であった。
気になる言葉です。
言いかえれば、周りの人にとって「都合のいい人」であったのではないだろうか。
でも、ほんとうは深いところで、怒りや悲しみを無意識にかかえていたのかも知れない。
ストレスが無くて、がんになる確率は低い、と思われたからです。
「いい人」を演じていた。
そんな縁がわたしたちにはあったのかも知れません。