今も電話をかければ、いつものように
「どぅした〜?」と
あの優しい声で、電話に出てくれるような気がして、まだ、みのさんの訃報を受け止められていない自分がいます。
写真は、8月の傘寿のお祝いのときのみのさん。まだまだ、これからも、みのさんのトークに、みんなで、お腹を抱えて笑って、楽しいお酒をご一緒できると思っていました…。
おしゃれで、粋で、豪快で、人間味溢れ、そして、本当に温かい、優しい方でした。
テレビでは、豪放磊落なイメージを持つ方も
多いと思いますが、懐の深い大らかな方でありましたが、一方で、常に、ものすごく、まわりを見ていて、とても、細やかな気配り、心遣いの方でした。今も、ひとつひとつのエピソードが次々と思い出され、胸が熱くなり、涙がこぼれます。本当に愛すべき偉大な方でした。
私は、TBSの朝の3時間の報道情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」で、2005年春のスタートから8年半、みのさんと、お仕事させていただきました。
あの、みのさんしかできない天才的な「しゃべり」を、毎朝、間近で見て聞けたことだけで幸せでしたが、それだけでなく、みのさんからは、多くのことを教えいただき、学ばせていただきました。
みのさんは、普段、とっても優しい方ですが、朝ズバの現場では、本当に、厳しかった…。
仕事に向き合うプロの姿勢を目の前で、見せてくれました。
「番組作り」「しゃべり」「生放送」への、こだわりと情熱は強く、アナウンサーたちにも「原稿なんか読むな」「台本通りやるな」と、予定調和を嫌い、妥協を絶対に許しませんでした。
そして、みのさんが大切にしていたのは、視聴者目線。視聴者が求めることに答える、視聴者が疑問に思うことに答える…それがベースにあるので、私たち出演者にも、次々と矢のようにみのさんから質問が飛んできます。
「分かりません」は、ありえないので、「なんでも答えられなくてはならない」という、そのプレッシャーと恐怖と緊張感は、凄まじく、スタジオのプレゼンでも、中継先の現場でも、毎日が、戦いのようでした。
「岡安!うまく喋ろうとするな。上手になんて喋らなくていい!お前の言葉で喋れ。それが人の心に届くんだ」という教えは、今も、耳に響いています。
あ、また、思い出して、泣いてしまう…
出演者だけでなく、番組スタッフたちも、とても大切にする方でした。
月曜から金曜の3時間の帯番組だったので、当時、200人くらいのスタッフがいる大所帯でしたが、ADの名前まで、みのさんは、覚えていましたし、みんなで番組を作っているという一体感がありました。あの頃、厳しくも温かい、みのイズムを浴びた、みのチルドレンたちは、今も、あちこちのテレビの現場で、活躍しています。
もう、思い出がありすぎて、語りきれないですが、酒席でのみのさんは、ほんとに、陽気で楽しかった…。
奥様が亡くなられてからは、お酒は、かなり弱くなられましたが、朝ズバ時代の飲みっぷりは、
まさに「酒豪」でした。
細かく砕いたクラッシュアイスを、ブランデーグラスに、上まで、めーいっぱい入れて、そこに、高級ウィスキー「バランタイン30年」を注ぎ、しばらく、じーっと待って、グラスに霜がついたら、飲む…みのさんのお気に入りの定番の飲み方ですが、あの至福の笑顔も忘れられません。
心に、ぽっかりと穴があいたようで、ほんとに、悲しくて、寂しいけれど、
今は、天国で、大好きな奥様の靖子さんと、グラスを傾けて、語り合っていらっしゃるのだろうな…と思うと、温かい気持ちになります。
私の言葉は、みのさんに、届くだろうか。
天国に向かって、大声で叫びたい。
みのさん!
本当に、本当に、ありがとうございました!!!