岡山市南区郡
PENTAX Optio S60

撮影:2006年~2007年 (HP版より転載・再編集)


児島半島の山々に抱かれ、野鳥が集い憩う湖

児島湾干拓と児島湖の誕生
江戸時代の1583年、宇喜多秀家による農地開拓(藩営干拓)に
始まり、明治、大正、昭和の数世紀に亘った児島湾干拓。


干拓地においては、 児島郡興除村(現、岡山市南区興除地区:
中畦周辺)の農家による「大車」(おおぐるま:牛を動力とした原
動機) の発明に始まり、1924(大正13)年の大旱魃
(かんばつ)
契機に導入した石油発動機、アメリカから購入したトラクターの
水田用への改造などで作業を次々と機械化、昭和初期には他
に例のない機械化農村として全国に名を広めました。

その一方、農地増加に伴う農業用水の不足が顕著になり、深刻
な水不足の解消と干害・塩害の防止、低湿地の排水と干拓堤防
を強化するため児島湾を締め切り、淡水化した農業用水を干拓
地に安定供給させる
児島湾締切堤防工事が農林省(現、農林水
産省)による
児島湾沿岸農業水利国営事業として1950(昭和25)
年に開始されました。

児島湾の中ほどを延長1,558mの巨大な堤防で囲い、世界第2
位の人造湖を築く壮大な計画に基づいた当時日本最大の干拓
工事で、"
世紀の大事業" と呼ばれました。

1959(昭和34)年、児島湾締切堤防の完成により、日本最初の
複式干拓
(下記)による淡水湖「児島湖」 が誕生しました。
ダム湖を除いた人造湖としては、オランダのアイセル湖に次ぎ、
世界で2番目の広さです。
  (湖面積:1,088ha、 総貯水量:2,607万㎥)
締切堤防東の弁天島(遺跡)址へ、大事業の功績を称える顕著
碑等が建立されています。

複式干拓: 湾口を堤防(外堤)で締め切った人造湖の内部に
堤防(内堤)をめぐらせるオランダ式の干拓方法。



対岸、鴨川の樋門
玉野市八浜
PENTAX *istDS2
PENTAX DA 18-55mm
TAMRON AF 28-300mm MACRO
(カメラ・レンズ、以下同じ)







岡山市南区郡
松尾港
東岸の岡山市南区と玉野市の境界に位置する松尾鼻(岬)の
北にある小さな港。(地方港湾 : 岡山市管理)
締切堤防着工以前は児島湾の奥に位置していた為、江戸時代
から盛んになった金比羅参詣の帆船などが嵐の時などに避難
していた潮待ち、風待ち港でした。
現在は漁船、小型船舶の係留施設として使用されています。
※現在、港湾関係者以外立入禁止になっています。



岡山市南区郡
夕日の広場





児島富士 「常山」

      \今日も一日 がんばったぞぉ

           /明日も がんばろっ


一日の思い出を包み、明日への希望を燃やす夕陽

児島湾締切堤防

新規ウインドウで開きます。
(2014.1.25 画像 「堤防全景」 を追加しました。)

ご参考
岡山の風 郷土史 児島半島の誕生、歴史
(児島湾干拓の歴史と児島湖の誕生)

世紀の大事業と称された児島湾締切堤防工事により誕生した
世界第2位の広さを誇る児島湖。
しかし時期を同じくして始まった高度経済成長に伴い、流域の
水質汚濁が増大、日本の湖沼として水質汚染ワースト上位に
ランクされるまで水質が悪化しました。
岡山県をはじめ、各種団体、流域住民の方が水質浄化、環境
美化活動に取り組んでおられます。

流域は異なりますが、 めぐりめぐって児島湖に注ぐ川、その川
に注ぐ用水を汚さないよう生活排水に気をつけます!
児島半島の山々に抱かれ、陽光に美しく輝く児島湖。
水質とも世界第2位、いや! 世界一の美しさを誇る児島湖に
なりますように!
o(^^)o

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