江戸時代の1583年、宇喜多秀家による農地開拓(藩営干拓)に
始まり、明治、大正、昭和の数世紀に亘った児島湾干拓。
干拓地においては、 児島郡興除村(現、岡山市南区興除地区:
中畦周辺)の農家による「大車」(おおぐるま:牛を動力とした原
動機) の発明に始まり、1924(大正13)年の大旱魃(かんばつ)を
契機に導入した石油発動機、アメリカから購入したトラクターの
水田用への改造などで作業を次々と機械化、昭和初期には他
に例のない機械化農村として全国に名を広めました。
その一方、農地増加に伴う農業用水の不足が顕著になり、深刻
な水不足の解消と干害・塩害の防止、低湿地の排水と干拓堤防
を強化するため児島湾を締め切り、淡水化した農業用水を干拓
地に安定供給させる児島湾締切堤防工事が農林省(現、農林水
産省)による児島湾沿岸農業水利国営事業として1950(昭和25)
年に開始されました。
児島湾の中ほどを延長1,558mの巨大な堤防で囲い、世界第2
位の人造湖を築く壮大な計画に基づいた当時日本最大の干拓
工事で、"世紀の大事業" と呼ばれました。
1959(昭和34)年、児島湾締切堤防の完成により、日本最初の
複式干拓(下記)による淡水湖「児島湖」 が誕生しました。
ダム湖を除いた人造湖としては、オランダのアイセル湖に次ぎ、
世界で2番目の広さです。
(湖面積:1,088ha、 総貯水量:2,607万㎥)
締切堤防東の弁天島(遺跡)址へ、大事業の功績を称える顕著
碑等が建立されています。
■複式干拓: |
湾口を堤防(外堤)で締め切った人造湖の内部に
堤防(内堤)をめぐらせるオランダ式の干拓方法。 |
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