甲子園の名シーンとして必ず取り上げられるであろう、1996年選手権の松山商-熊工の決勝戦。奇跡のバックホームを起した松山商の監督を務め、2001年の4強も導く。コーチとして86年選手権の準優勝、90年に監督に就任、転任で北条の監督を務めて定年で退いて以後は松山商業の顧問として支援に当たっている。

 西本聖と高校の同期、駒大では石毛宏典と同期だったが、選手として表舞台には立てなかった。裏方としての確かな視点が指導者としての大声に繋がったのかという、些か安直ながらも思わずにはいられない。

 なぜ、部訓が「日本一のボール拾いになれ」なのか。それを得心したら、松山商の人間形成の凄さが見えてくる。